第2話 明と
美術室のドアを豪快に開けるやつが現れなくなってから、1週間が経った頃だった。最初はただ体調を崩しただけだと思っていたが、さすがにこんな長期間の休みは小中合わせて初めてだった。
「最近、彼来ませんね。」高田先生が僕の絵を見ながらそう呟いた。毎回のように来ている明を先生も知っているため、きっと心配してそう言ったのだろう。こんな時、普通だったら「ただの風邪らしいですよ。」とか「家の用事らしいですよ。」とか幼なじみなりの返し方はあったのだろう。
でも僕は理由を知らなかった。
いや、知ろうとしなかった。
部活の途中だったけど、先生は用事があったため、僕に部室の鍵を預けてきた。
「きっと大丈夫。」と思わせるような表情を浮べる先生の顔を、僕は真っ直ぐに見ることが出来なかった。
最近は頭の中に何のイメージも浮かんでこない。ただ鉛筆を持っては目の前の物に、無意味な線を刻んでいくだけだった。連なっていくそれは、まるで僕の未完成な心を表しているようにも思えた。
最終下校時刻のチャイムと共に部室のドアを開けると、そこには俯いている明がいた。久しぶりに会ったこいつは魂が抜けたような、疲れ切っているような、そんな感じがした。あっと声が漏れた時、明は貼り付けたような笑顔をして「部活辞めることにしたわ。」と軽い口調で話してきた。いつものような調子を見せる明に逆に違和感を感じ、また深く、僕の眉間にしわが刻まれていったことに気付いた。
なんでと怪訝そうに問いかける僕に「正直部活合ってなかったんだよね。俺はもっと気楽でやりたかったっていうかー。これ以上レギュラーで目立っても悪いし。」と何ともいいかげんに答えてきた。そしてなぜかこの時、僕はこいつに対して、腹の底で煮えたぎるような思いを抱えてしまっていた。さらに会話を続けようとしていた明につい、
「やっぱりお前は中途半端なやつなんだな。」と口走ってしまっていた。言ったことに気付いた時にはもう遅く、明は完全に言葉を失っていた。
泳いでいる目は、今にも涙がこぼれ落ちそうなほど潤んでいた。
下を向いている明になんて言葉をかければ良いのか分からなくなってしまっていた。傷つけてしまったという罪悪感が僕にじりじりと圧力をかけてくる。変な間が永遠に続くようなこの空間は、僕と明だけが閉じ込められているように思えた。
夕日が差し込んでくる廊下は明を強く照らし、赤く血塗られたようにも見え、明の心全てを殺してしまったのかと錯覚するほどだった。
あのさ、と声をかけた瞬間、明は「ごめんな、ほんとごめん。」とハッとしたような表情をし、そのまま走って消えてしまった。あまりの速さに僕は追いつける訳もなく、ただ教師に注意されただけだった。
あれからまた明とはしばらく会えてない。あんな会話が最後だったからいまいち気まずく、話しかけようにもタイミングが見つけられずにいた。
塾のクラスはなぜか、明は一つ下のクラスに変わっていた。壁1枚挟んだだけなのに、何故だかとても遠く、触れられないように感じてしまっていたのだ。連絡を取れば良いと思うかもしれないが、僕は携帯電話を持っていなかったので、話すには結局対面しか方法が無かったのだ。
「ごめん、なんてそれは僕が言わなきゃいけなかったのに。」1人ベットの中でそう呟き、眠りについた。午前2時の時だった。
放課後美術室に行くと高田先生は浮かない顔をしていた。理由は聞くまでもなく、先生が手にしていた落選の紙ですぐに分かった。
「また次もありますからね。」と励ます言葉に今回はなんだか良い思いがしなかった。これで何回目なんだろう。梅雨入りしたせいか辺りは暗く、雨音が先生の声を消し去っていた。
短い文章のその紙を眺めながら、僕は持っていた鉛筆をその紙と一緒に捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます