第20話 閑話 アイリスの花嫁修業
朝日が王城にある一室の窓から差し込む頃、アイリスは目を覚ました。
寝起きの視界はまだ少しぼんやりしているのに、胸の奥だけがふわふわと落ち着かない。
昨夜、レンたちが今日、無事に帰ってくるという伝令が入った。
レンや彼女らが無事だと聞くまではアイリスは心配で心が張り裂けそうであった。
彼らがいない広い部屋は、静かすぎた。
レンと二人で逃げ続けた日々より、ずっとずっと広く、何もかもが綺麗だというのに、胸の奥は妙に落ち着かない。
「……掃除、しよう」
アイリスが袖をまくって立ち上がると、部屋に入ってきた使用人の女性が目を丸くした。
「アイリス様? 本日もお部屋の掃除をご自分でなさるのですか?」
「は、はい。 私に出来ることはこのくらいだから……せめて皆さんのお手伝いだけでも」
「まあまあ……ええ、もちろんです。皆さんも喜びますよ」
いつの間にか、王城の使用人たちと彼女は親しくなっていた。
勇者とともに王城に来た客人――そんな扱いではあるのだが、彼女の気遣いや素朴さに、すっかり懐かれている。
しばらくすると、廊下の先からぱたぱたと足音が近づいてきた。
「アイリスちゃん、おはようございます! 今日は食堂側のお掃除を手伝っていただけるとか!」
「おはよう!うん、任せてください! みんなで一緒のほうが早く終わりますから」
使用人の少女たちは「かわいい……」「本当に良い子……」と口々に囁きながら、ほうきを手渡してくれる。
「じゃあ、この床を掃くのは私がやります」
「無理しすぎないでくださいね! そうだ、終わったらお茶にしましょう!」
「よーし、私も頑張るぞ!」
和気あいあいと掃除をする中で、ほうきを動かす手がふと止まる。
あの人は、ちゃんと食べているだろうか。
寒くしていないだろうか。
無茶をして、また怪我を――なんてことはないだろうか。
考えてしまうと胸が痛くなるから、アイリスは首を振って掃除を続けた。
「アイリスちゃーん、こちら終わりましたよー!」
「分かった! じゃあ、次は窓を拭こうかな」
「まあ、手際がいいこと……!」
褒められると少しだけ照れくさくて、けれど嬉しくて。
少し年上の頼りがいのある人や、同年代ぐらいの女性と過ごすのはアイリスにとってとても大切な時間になっていた。
しばらくして掃除が終わると、執務室の近くの小さな休憩室でお茶の時間になった。
湯気の立つカップを両手で包むと、体の内側までぽかぽかしてくる。
「レンさんたちは、今日、北部から帰ってこられるんですよね?」
「うん。 騎士団も含めてみんな無事だそうよ」
「良かったですねー! アイリスちゃんも心配だったでしょ」
アイリスは小さくうなずいた。
東の小さな村で、ひとり取り残されていた自分を連れ出してくれたレン。
その恩人の大切な人たち。レンの傍にいる三人の姿は、とても輝いている。
ただ――少し羨ましい。
何の力になれない自分がもどかしい。
「……早く、帰ってきてくれたらいいな」
ぽつりと漏れた言葉に、使用人たちはそっと微笑んだ。
アイリスは胸に手を当てる。
――帰ってきたら、まず何を言おう。
「おかえり」かな。 それとも、「お疲れさま」?
それとも……ふふ、と彼女は少し笑った。
考えるだけで胸が熱くなるのは、きっと、仕方のないこと。
アイリスは部屋の台所で調味料を整理しながら、ふと思った。
――レンさんが帰ってきたら、なにを食べたいかな。
魔の森へ向かった彼らがどんなに強くても、戻ってくる頃にはきっと疲れきっている。
それならせめて、自分にできることをしたい。
温かいご飯を作って、ゆっくりして欲しい。
「……買い出し、行こうかな」
思い立つと、行動は早かった。
仲の良い使用人に伝えて、アイリスは城下町に繰り出した。
露店の呼び込みの声や子どもたちの笑い声が風に乗って通りを流れていく。
アイリスが姿を見せるだけで、近くの店主たちがぱっと笑顔になる。
「おう、アイリスちゃんじゃないか! 今日はひとりかい?」
「はい。ちょっと食材を買いに」
「勇者様たちのためか? いい娘だなあ……ほら、こっち新鮮なニンジン入ったよ!」
「じゃあ、それ頂きます!」
「まいどあり! これはサービスで入れとくよ!」
強引に袋に詰め込まれ、思わず目をぱちぱちさせる。
次に向かったのは肉屋だ。
「アイリスちゃん! 今日は勇者様達とはいっしょじゃないんだね?」
「今は……少し遠くへ出かけているから」
「もしかして、また魔物退治かい? 本当に頼もしい男だねえ。あの人達は本当に強い」
魚屋の親父の声には尊敬が滲んでいた。
アイリスは胸がきゅっとした。
――そう。強い人なんだ。だけど、同時に無茶もする人。
「その勇者様の帰りを待ってるんだろ? なら、これ持っていきな。今日の一番いい肉だ」
「え、でも……!」
「娘が、ぜひ英雄様たちに食べて欲しいって言ってよ。なあ?」
隣からちょこんと顔を出した少女が、アイリスに小さく礼をした。
「帰ってきたら、食べてほしいの!」
「うん。必ず、渡すね。ありがとう」
そう言うと、少女の顔がぱあっと明るくなった。
買い物はまだ続いた。
パン屋では焼きたての丸パンをおまけに渡され、薬屋では「傷薬をひとつ持っておきなさい」と袋を押しつけられた。
レンが今まで成してきた事が、こうやって人々の感謝や尊敬として表れていることに、アイリスは改めてレンに対しての感情が大きくなる。
両手いっぱいに食材を抱えたアイリスの足取りは自然と弾んでいた。
買い出しを終えて王城に戻ると、アイリスはすぐに部屋の台所へ向かった。
「よし。頑張るぞ」
小さく気合を入れ、袖をまくる。
レンと、セリアと、リィナと、ノエル。
みんなが食べて元気になる、温かいご飯を作りたい。
――その想いだけは本物だ。
だが料理の腕は、残念ながら本物ではなかった。
「まずは……スープを作ろう!」
アイリスは買ってきた野菜をまな板の上に並べ、
包丁を手に取る。
すっ……ぱんっ。
「……あれ?」
切れたニンジンが、まな板から飛び出した。
その後、力強く切られたまな板の上のニンジンやジャガイモは形容しがたい形をしていた。
「でも……スープにしちゃえば大丈夫だよね!」
無理やり前向きに受け取る。
次に玉ねぎ。
「玉ねぎは、ええと……細かく切って……」
ざくんっ!
ざくんっ!
ざくんっ!
「きゃっ……!」
包丁がまな板をえぐる。
しかしアイリスは、
「……ちょっと柔らかいまな板だなぁ」
なんて呟き、気にせず刻み続ける。
刻まれた食材たちは途中から繊維が潰れ、最後の方は、元が何の食材であったか分からなくなっていた。
だが、彼女はそれを見ても真剣にうなずく。
「これなら、スープに溶けてもっとおいしくなるかも……!」
鍋に水を入れ、強火にして、材料を手当たり次第に次々と投入する。
どぼんっ
ばしゃっ
ぼとんっ
乱暴な落下音がするたびに、鍋の中の水が跳ねる。
だがアイリスは、跳ねたしずくを拭いながら楽しそうに微笑んだ。
「レンさんたち、きっと喜んでくれるよね……」
そして味付け。
「お塩は……ひとつまみって聞いたけど……」
彼女は塩を箱から握りこんだ。
山盛りの塩が‟ざっ“と鍋に落ちる。
「……あれ? ちょっと多かった?」
鍋の表面に白い層ができる。
「……煮込めば薄まるよね!」
奇跡の前向き思考を見せ、スープをかき混ぜる。
その動きは力強く、撹拌の域をはるかに超えていた。
鍋の中の野菜は、回されるたびに形が崩れ、かろうじて形を保っていたニンジンやジャガイモも、別の物体に変わっていく。
「次は……お肉!」
焼こうと思って火をつけると――
ぼっ
「……っ!? か、火力強い……!」
そして当然のように焦げる。
じゅうううう……
焦げる煙が少し立ち上がる。
「良い匂いかも!」
アイリスは自分にそう言い聞かせながら、そのまま調理を続ける。
目についた調味料を片っ端から投入したあと、アイリスはレンの真似をして、そっと味見をする。
「……ん……?」
味は――しょっぱい。
しょっぱいというか、舌が焼けるほど塩辛い。
しかし、アイリスは――
「なんか……元気出る味かも……?」
とてもポジティブに受け取った。
そして完成した何かを見て、アイリスは満足げに微笑んだ。
「できた!これで、レンさんたちも喜んでくれるかな」
皿に並べられた‟何か“には愛情だけは充分に詰め込まれていた。
アイリスは胸に手を当てて小さく息をつく。
「どうか、無事に帰ってきてね。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます