第18話 邂逅
北部へ向かう街道を抜け、レンたちは薄霧の立ちこめる“魔の森”の入り口に到着した。昼間だというのに森は影を落とし、風が枝を鳴らす音にかすかな低音が混じっている。
一行はここにたどり着く直前に、小さな村に立ち寄っていた。
その村は、森に近いせいか緊張した雰囲気が漂っていた。
子どもたちは家に閉じこもり、大人たちは村の中央に集まり、祈るようにそわそわと森を見つめている。
「失礼します。王国騎士団団長のリィナ・バルトです。最近、森の様子に何か変化は?」
リィナが胸に手を当てて名乗ると、村人たちは安堵と不安の入り混じった目で彼女たちを迎えた。
「来てくれたか……! 本当に助かった」
先頭に出てきた壮年の男が、息を詰まらせるように言いながらレンたちを囲む。
「一月ほど前からなんだ。森の奥で――“どす黒い魔力が揺れてる”様な感じがするんだよ。体が勝手に震えるような……あれは、魔王軍がはびこっていた頃の気味の悪さと同じだ」
その言葉に、レンはわずかに眉をひそめた。
隣でセリアも、風の流れに集中するようにそっと目を閉じる。
「……感じます。森の奥から、燻るような魔力。ただの魔物とは性質が違う、もっと悪意に満ちた…濃い気配です」
ノエルも冷静に地面へ手を触れ、魔力を流し込んで辺りを調べる。
「それだけじゃない。 かなりの数の魔獣や魔族の気配を感じる。 まるで、誰かが統率を取っているかのように」
リィナはその言葉に息を飲む。
「なら、やっぱり——」
レンは森の奥をじっと見つめた。
森の向こう。 昔、魔王討伐の旅の中で戦った幹部たちの姿が脳裏に浮かぶ。
その中で、特に執念深さと異常なまでの‟強さ“への執着で知られた男——
“破砕将ダグラ”。
かつてレンが直接倒したはずの相手。
だが、もしあの時、死んでいなかったのなら……。
「……生きてるかもしれないな。あの野郎」
レンの声は低く、確信の混じった響きだった。
空気が張り詰める中で、リィナが騎士団を見回し、小さくうなずく。
「これ以上、村を不安にさせるわけにはいけない。魔の森に向かうぞ!」
騎士団の面々は、団長の鼓舞に反応し、士気を高めていた。
森の奥へ視線を向けた瞬間、レンははっきりと感じた。 かつて戦場で対峙した時と同じ、鉄臭さをともなう禍々しい重圧。
己が倒したはずの男の“気配”。
「間違いない――ダグラの魔力だ」
そうつぶやいたレンの目には、静かな覚悟が宿っていた。
森の入口からしばらく進むと、空気が一気に変わった。
木々はざわめき、じわりと肌を刺すような魔力が漂ってくる。
「……濃くなってきましたね。魔力の密度が」
セリアが神杖を軽く掲げ、周囲を見渡す。
その直後だった。
ガサガサッ! ガアァァッ!!
茂みが裂けるような音と共に、森の奥から黒い影が次々と飛び出した。
痩せた獣のような体躯、鋭く濁った目。魔王軍に属していた雑兵たち——オーク兵や牙獣型の魔物が、まるで溢れ出すように姿を現した。
「総員、構えッ!!」
リィナが剣を抜いた瞬間、騎士団全体に緊張が走る。
魔物たちは唸り声を上げながら隊列へ向かって突撃してきた。
「くっ……数が多い!」
「囲まれます、団長!」
騎士たちは素早く陣形を整え、次々と押し寄せる魔物を受け止めていく。しかし、その数は明らかに異常だった。まるで誰かが集め、意図的にこの先に進ませないようにしているかのような……。
リィナは状況を瞬時に判断し、レンたちを振り返った。
「レン、セリア、ノエル! 私たちは先へ進む。これは明らかに“足止め”よ。奥には奴がいる」
レンが前を見ると、森の奥から先ほどよりも濃い魔力が脈打つように伝わってくる。
ダグラがいるとすれば、この先だ。
「でもリィナ、この魔物たちは——」
「大丈夫よ。彼らは王国騎士団の精鋭たち。ここは彼ら達だけで食い止められる!」
そう言うと、リィナは副団長のレグナに向き直った。
「レグナ! ここから先の指揮はあなたに任せるわ。魔物を森の外に出さないよう、全力で押し返して!」
「はっ、了解しました団長! ……どうか、ご武運を」
レグナは力強く頷き、即座に部隊へ指示を飛ばす。
「前衛、盾を強化! 後衛、間隔を空けて魔法で道を開けろ! 団長と勇者様達の道を作るぞ!」
騎士たちが整然と動き、レンたちが通れるよう即席の通路が開かれた。
その間にも魔物たちは凄まじい勢いで突っ込んでくる。
剣がぶつかる音、魔法が炸裂する閃光、怒号と咆哮が森に響き渡る。
ノエルがレンの隣で呟く。
「皆、強いわね……あの数を前にしてまったく怯んでいない」
「当然よ。彼ら、私が直々に鍛えているのだから!」
レンは強く頷き、奥を見据えた。
「行こう。ここで立ち止まったら、皆の頑張りが無駄になる」
「うん」「ええ!」
背後では、騎士団の声が響く。
「全隊、押し返せぇぇっ!! 必ずここで、止めるぞ!!」
火花のような声を背に、四人は魔物の軍勢を一気に駆け抜け、森の更に深い闇へと踏み込んでいった。
魔物の群れを背後に置きながら、ただ一直線に、脈打つ魔力の中心へ。
——その先に“破砕将ダグラ”がいることを、誰もが確信していた。
森の奥へ進むほど、空気は重く淀み、まるで歩くだけで体力を削られるような圧迫感があった。
それでもレンは迷いなく、片腕の身体で前へ進む。
残る三人――セリア、リィナ、ノエルはその背中を見つめながら、胸に押し込めた不安が膨らむような感覚に襲われていた。
セリアはレンの隣を歩きながら、何度も彼の欠けた腕へ視線をそらせなかった。
あの時、自分が治癒を拒むような選択をしてしまったこと。
彼の苦しみを見捨ててしまった過去は、今もセリアの胸を深くえぐる。
だからこそ、今は。
(レン様が傷つくくらいなら……私の身体なんて何度壊れてもいい)
彼女は神杖を強く握りしめた。
どんな呪いでも、傷でも、命さえ惜しくない。
あの日の許せなかった自分を二度と繰り返さないために。
リィナは剣の柄に添えた指をぎゅっと握り込んだ。
表情は平静を保っているが、その胸は穏やかではない。
(片腕のまま最前線に立つだなんて、本来なら止めるべきなのに)
だが、レンは止まらない。誰よりも前へ進む。
(なら……私が絶対に護る。騎士団長としてじゃない。レンを愛する一人の人間として)
彼女は静かに息を吐いた。
彼が敵の凶刃に晒される時は、自分が盾となり、矛となり、レンの危険を全て断つ。
そんな覚悟を胸に抱く。
ノエルは何度も大きく息を吸っては吐いた。
心臓はずっと早鐘を打っている。
かつて彼女は、自分の言葉でレンを傷つけ、追い詰め、彼の居場所を奪ってしまった。
その後悔が、今も消えてくれない。
(だから……絶対、絶対に守る。誰にも……もう誰にも、レンに触れさせない)
彼女の瞳は強い決意と覚悟を宿していた。
森はどんどん暗くなり、やがて木々の間から黒い霧が漏れ出してくる。
レンはその中心を見据えた。
「……この気配。間違いない。ここだ」
言葉にした瞬間、空気が破裂するように張り詰める。
三人はすぐにレンの周囲へ半円を描くように立った。
「レン、下がっていてくれ」
リィナが静かな声で言う。
「……前に出るなら、私たちも一緒です」
ノエルも冷静に魔力を励起させる。
「レン様、何があっても私が癒しますから。前のように任せてください」
セリアも神杖を構え、前を睨んだ。
レンは三人の視線を順に受け取り、静かに前へ一歩出た。
「大丈夫。みんなで戦おう」
その瞬間だった。
ズズ……ッ、と霧が渦を巻く。
地鳴りのような低い笑い声が森に響き渡った。
「…………来たか」
霧の中から、巨躯の男が一歩、また一歩と姿を現す。
全身を覆う岩のような筋肉。
片方の角が折れたままむき出しの額。
魔王軍最強の将軍として名を馳せた男――
破砕将ダグラ。
その背後で、もう一つの影が静かに立っていた。
鋭い双眸と異様なまでに整った体躯を持つ男。
ダグラの腹心として名を知られ、ダグラの右腕と恐れられた魔人――
グラハム・ランブ。
グラハムは冷たく微笑んだ。
「待っていましたよ、勇者レン。……その片腕でどこまでダグラ様と戦えるのか、見物ですねぇ」
ダグラは腕を組み、地面が震えるほどの低い声で唸った。
「よくぞ来た……俺ァずっと待ってたぞォ……この手で、てめぇを叩き潰し、最強の称号を得るためになァ!」
霧の中心で、四人と二人の視線が絡み合った。
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