第16話 新たな火種

 王城の客間に柔らかな朝日が差し込んでいた。

レンは窓辺で軽く腰を伸ばし、隣ではアイリスが小さなテーブルに食後の紅茶を用意してくれていた。


「レンさん、今日はみんな忙しいみたいですね。 この部屋も二人だと凄い広く感じますね」

「そうだな。三人とも復帰したばかりで、仕事が山積みらしいし」


 アイリスはくすっと笑いながら、レンの前に茶杯を置いた。

いつもより静かな部屋は、どこか落ち着いた空気に満ちている。


「……なんか、こういう何でもない時間っていいな」

「ふふ。レンさんが落ち着いてると、私も落ち着きます」

「前はそんな余裕なかったもんな」

「うん……こうやって周りを気にせず落ち着ける場所もなかったですもんね」


アイリスは目を伏せたが、すぐに顔を上げ、穏やかに笑う。

「でも、だからこそ今のこういう時間のありがたさが、余計に感じますね」

「……同感だな」


 そんな小さな会話を重ねながら、レンはふと窓の外に目を向ける。

晴れやかな青空——その下で、三人はこの数日を取り戻すように仕事に耽っている。








 大聖堂。

レンとアイリスが談笑していた頃——大聖堂では、セリアが祈りを捧げる信徒たちの前で柔らかな声を響かせていた。


「今日という日が皆さまに穏やかさをもたらしますように」


 彼女の声は以前のように張り詰めたものではなく、どこか優しく、深い息が混じっていた。

祈りが終わると、信徒の老婦人が手を合わせながら微笑む。


「セリア様、最近は表情が明るくなられましたねぇ」

「え……そ、そうですか?」

「ええ、とっても。 勇者様が帰ってこられるまでは時折、表情が暗くなっているときがありましたから」

「……! そ、それはご心配をおかけしました。 もう大丈夫ですので、安心なさってくださいね」



(レンさん……きっと今頃アイリスさんと一緒にいるんだろうな)

そう思いながらも、口元に柔らかな笑みが浮かぶ。


 不満も不安も嫉妬もある。でも、けれど以前のように押しつぶされはしない。全部ひっくるめて前を向こうと決めていた。


彼の傍にいられるように。


「今日も一日、いい日になりますように」

微笑む彼女の姿は、確かに聖女としての温かさを取り戻していた。












 研究棟の奥では、ノエルが魔導照明に照らされた机で器具と向き合っていた。

細かな魔力回路を調整しながら、額に浮かんだ汗を袖でぬぐう。


「うーん、増幅率がやっぱり下がってる……ここがもう少し反応してくれれば……」


指先から淡い青い魔力がにじみ、魔力計の水晶が小刻みに光る。

ノエルは真剣そのものの表情で針の動きを追った。


(昨日のレン……なんかいつも以上にかっこよかったなぁ……)

レンの事を思い出しただけで顔が熱くなる。

だがすぐに咳払いし、白衣の襟を引き締めた。


(……しっかりしなさいノエル。 助手たちの前では研究者の顔をしなくちゃ)

しかし、頬の緩みだけはどうしても止まらなかった。


 机にはレンに見てもらうつもりでまとめた資料が積んである。

(帰ったら、ちょっとだけ見てくれるかな……)


その期待が彼女の手を自然と動かしていた。














 騎士団本部。

訓練場では、リィナが声を張り上げながら団員の訓練を見ていた。

剣がぶつかり合う甲高い音が、朝の空気に鋭く響く。


「足が遅い! 戦場でノロノロしてたら、格好の的よ!」

「は、はい団長ッ!」


 彼女の叱咤は荒々しいが、騎士団の誰もがその声を嬉しそうに聞いていた。

リィナが戻ったおかげで、団は以前の活気を取り戻したからだ。


そのリィナ自身も短期間の休養であったものの、懐かしい感じを覚えていた。


(レン……ちゃんと休めてるかな。 また、変なトラブルに巻き込まれてなければいいけど)


 そんな些末な思いを胸に抱ける事こそが、彼女にとっての幸せでもあった。

しかし、その時だった——。



「団長ッ!」

若い兵士が息を切らしながら駆け込んでくる。


「北部監視塔から急信です! “魔王軍の残党と思われる魔族集団を確認”とのこと!」


 リィナの表情がわずかに強張る。 騎士団長としての彼女の眼が、真剣な光を帯びた。


「……場所は?」

「北部の外縁、旧街道のあたりと!」


彼女はすぐに踵を返し、書簡を受け取って内容を素早く目で追った。

「以前から在った北部の魔王軍の生き残りの噂は本当だったみたいね……」


肩にかけていたマントを整え、鋭い呼吸をひとつ。

「……レンに、知らせなきゃ」


また、新たな火種が動き出そうとしていた。

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