第9話 静かに狂う後悔(ノエル視点)
夕暮れの王都は、静まり返っていた。
魔王が討たれてから一か月――人々は安堵し、街には再び活気が戻っていた。
その王都の一角。王立魔術学院に併設された研究棟の最上階。
そこにある研究室の一つで、ノエル・アルフェンは書物の山に囲まれ、無言で羽ペンを走らせていた。
彼女の肩書は今や「宮廷魔術師」。
若くしてその地位に就いた才媛として、王に近侍する数少ない魔術師の一人である。
机の上には、封印魔法の解析図と、勇者に関する記録が並ぶ。
彼女はふと、片隅に置かれた一冊の報告書に目をやった。 そこには、黒い封蝋が押されている。
――“勇者レン、王国反逆罪により指名手配”。
ノエルの唇がわずかに歪んだ。
あまりの滑稽さに失笑する。
「ホントにいい気味ね」
呟きながら、視線を報告書に落とす。
天城レン――かつて共に旅をした男。
……そして、裏切り者。
魔王との最終決戦で、人類を裏切った男という
という“嘘”
私とセリア、リィナの三人で決めてついた嘘。
私たちはそれぞれレンに抱いていた憎しみを晴らすため、彼をこの世界から爪はじきにするため、裏切ったと嘘をついた。
王様も民衆も私たちを少しも疑わず、彼を憎んだ。
この事は三人だけの秘密。
リィナだけは騎士として、嘘をつく自分が認められないのか、自分でも気づかぬ内にレンが本当に裏切ったと認識を歪めてそうだが、そんな事はどうだっていい。
彼があのままどこかで野たれ死んで際くれれば、その他の些事などどうでもいい。
――しかし、彼の名前を聞くたびに心の奥底がざらつくような感覚になる。
そのざらつきは、まるで小石のように心に引っかかっていた。
レンの名を聞くたびに胸が詰まり、息が苦しくなる。
彼への怒りだと思った。 憎悪だと信じた。 許せないのだと、自分に言い聞かせた。
「感情に振り回されるのは愚か者のすること」
「私は違う。合理的に理性と知識で行動する。……本当に?」
秋風がカーテンを揺らしたとき、ふと、彼の声が脳裏をかすめた。
「ノエル、君が無事で本当に良かった」
一瞬で、心臓が跳ねた。
胸の奥が、何かに掴まれたように苦しくなる。
「……やめて。そんな、はず、ない……」
思わず机を握りしめた。 紙の端が破れ、インクが飛び散る。
頭の奥で、何かが“きしむ”音がした。 視界の端が揺らめき、世界が微かに白んでいく。
「……これ、は……?」
レンの名が、レンの顔が彼女の瞳に焼きつく。
そして――
押し殺されていた彼への感情が、堰を切ったようにあふれ出した。
息ができない。 心臓が、まるで手で握り潰されているようだった。
レンへの思いが、洪水のように押し寄せてくる。
レンと出会った日のこと。
無愛想な自分に、何度も笑って話しかけてきた彼。 調査に没頭して食事を忘れた夜、そっと差し出されたパンの温もり。 戦場で、いつも守ってくれた彼の背中。
そして――あの日。
彼が血を流し、片腕を失ってなお笑っていた光景。
「ノエル、君の魔法があったから、ここまで来られた」
そう言ってくれた声を。
私は……私は「吐き気がする」そう言い放った。
ノエルは両手で頭を抱えた。
冷たい指先がこめかみを押さえる。 それでも、思考は止まらない。
「やめて……思い出させないで……」
自分の声が、知らない誰かの声のように響く。
やめたいのに、止まらない。 思考が壊れた歯車みたいに同じところを回り続ける。
私がレンを陥れた。――レンを“裏切り者”にしたのは、私だ。
指先が震える。 理解が追いつかない。
「違う……違うの……! 私は、レンと――一緒に居たかっただけなのに……レン、どうして……私、あんなことを……」
脳裏に焼き付いたレンの声が蘇る。
『ノエル、君のことを信じてる』
「やめて……やめてよ……そんな言葉、いらない……!」
壁に背を預け、膝を抱える。
ノエルは床に落ちたボロボロの紙を見つめていた。
“勇者レン、反逆罪により指名手配。”
その字が、酷く歪んで歪に見えた。
「ふふ……そう。そうだったわね。これ、私のせいよね」
「裏切ったのは、私だ……私が、全部、壊した……」
声が震え、喉がひくつく。目の奥が焼けつくように熱い。理性が抵抗しようとする。
だがもう、意味がない。
心の奥で、何かが完全に崩れ落ちた。
怒りも、誇りも、理屈も――そのすべてが粉々になり、
ただひとつ、残ったのは“取り返しのつかない後悔”だけ。
「宮廷魔術師の称号も、地位も名誉も要らない。……レンが居なければ……彼の隣に立てないのなら……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
謝罪の言葉が、夜の静寂に吸い込まれていく。
それでも足りない。 いくら言葉を重ねても、何ひとつ取り戻せない。
冷たい床の上で、ノエルは小さく丸まった。 震える体を抱きしめながら、彼の名を、かすれる声で繰り返した。
自嘲の笑みが浮かぶ。 だが次の瞬間、その笑みは歪んだ。
「……なのに、どうしてあなたは怒ってくれなかったの?」
震える声。かすかに笑って、涙が頬を滑る。
「叱ってよ、ねぇ……怒って、呆れて……“お前のせいだ”って、言ってよ……!」
「ねぇ、レン。あなたなら、こんな私に……もう一度笑顔を見せてくれるかしら?」
「ねぇ、レン……もしもう一度会えたら、今度こそ、あなたの隣で――」
その先の言葉は、嗚咽に溶けた。
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