第8話 私の心を解かした人(ノエル視点)
高くそびえる塔の数々、宙に浮かぶ魔導装置。 自然のものではない眩い光。
そのすべてが、人の叡智の象徴のように整然と輝いている。
魔術都市――ルミナス=アカデメイア。
王国でもっとも魔術研究が進んだ都市であり、各地の賢者と魔導師が集う知の都。 その中心、古代魔術棟の最上階にある研究室は、今日も埃っぽい静寂に包まれていた。
机の上に散らばる羊皮紙、開きっぱなしの魔導書。 外では、浮遊式輸送機が低い音を立てて通り過ぎる。
ノエル・アルフェンは羽ペンを止めた。
「……まったく、また調整失敗。どれだけ理論を積んでも、魔力効率が改善しないのよね」
それは自嘲のようで、同時に諦めの混じった呟きだった。
ノエルは天才と呼ばれていた。
確かに同年代の中では突出していたが――彼女はよく知っている。
宮廷魔術師候補の筆頭ともてはやされているものの、実際に宮廷魔術師になる為には大きな壁が存在する事を。
自分はその壁の“手前”で終わる存在だと。
ペンを置き、椅子の背にもたれたその時。
扉が控えめにノックされた。
「入っていいわ」
静かに開かれた扉の向こうに、三人の影があった。
一人は純白の法衣を纏ったシスター。
一人は黄金の髪を束ねた女騎士。
そして、先頭に立つ黒髪の青年。 背筋はまっすぐで、表情に迷いがない。
その存在だけで、部屋の空気が少し変わったのが分かる。
「あなたが……最近、王様から勇者の称号を与えられた天城レン、でいいのかしら?」
言いながら、ノエルは少しだけ目を細めた。 噂では、王に選ばれた“新たな勇者”。
しかしそれが実力によるものか、ただ民衆の目を眩ますためだけの象徴としての勇者なのかは知らない。
「はい。突然押しかけてすみません。あなたに、封印魔術を教えて頂きたくて」
彼の声は、まっすぐだった。 そのまま心にぶつかってくるような、まっすぐさ。
ノエルは瞬間、反射的に眉をひそめた。 そういう“真っ直ぐな人間”が苦手だった。
なぜなら――自分には、そんな純度で何かを信じることなどできなかったから。
「封印魔術? ……それは古代期に失われた体系。 記録はほとんどが断片的よ。 簡単に習得出来るようなものではないわ」
「わかってます。でも、魔王軍の魔力供給源となっている遺跡の魔道具の封印に必要なんです!」
ノエルは机の上の魔導書を指先で叩いた。
――この男、理屈を知らない。 けれど、言葉の奥にある“意志”だけは本物だ。
「あなた、自分が言ってる事の難しさをまったく理解していない顔ね」
「すみません、正直に言うと難しいことは苦手で」
「……ふうん。 見掛けどうりの正直さね」
その返しに、思わず笑いそうになる。 自分にはない、愚直さ。
理屈ではなく、意志で動く――それは、理解不能で、どこか羨ましかった。
ノエルはペン先を回しながら、彼をじっと見た。 この青年がどんな人物なのか、少しだけ知りたくなった。
「……いいわ。あなたの目的が本当なら、協力してもいい。 古代遺跡の調査も行いたかったし、そのついでで私が直々に封印してあげるわ」
「ありがとうございます!!!」
レンは一瞬驚いた顔をして、それから照れたように笑った。
……こんな真っ直ぐな目をした人間がいるのか。 ノエルは胸の奥がかすかにざわつくのを感じた。
理屈ではなく、感情が動いた気がした。
「……面白い人ね、あなた。じゃあ、見せてもらいましょうか。本当に勇者という名にふさわしいのかを」
天才魔術師――ノエル・アルフェン。
その日、彼女は初めて“理屈では測れない存在”と出会った。
その旅は、私の研究にとって非常に有意義なものだった。 確実に一人ではたどり着けなかったはずの遺跡も彼らとなら攻略できる。
レンの勇者としての実力は本物であった。
古代遺跡、その中にある古代魔道具から魔王軍は魔力の供給を得ている。 約二十ヶ所それを封印していくのが私たちの旅の目的であった。
古代文字の解析、封印陣式の再構築、魔力干渉の除去。 私は淡々と魔力計算をこなし、レンたちと共に封印を行っていた。
「封印陣の第三層、完成。……次、あなた、魔力を少し流して」
「了解!」
レンが手をかざすと、淡い光が魔法陣の線をなぞっていく。
魔力が流れるたびに、刻印の一部が浮かび上がり、古代文字が淡く震えた。
ノエルはその様子を目を細めて見つめていた。
――この男、やっぱり不思議。
魔術理論を何も理解していないのに、魔力の流れだけは“美しい”。 無駄がなく、歪みもない。 理論ではなく“感覚”で世界を掴んでいるような……本当に妬んでしまうほどの才能。
「よし、成功だな!」
レンが笑って手を上げる。
それを隣で見ていたセリアが、少し照れたように微笑んだ。
「すごいです、レン様。やっぱりあなた様の魔力は特別ですね」
「そんなことないよ。ノエルがいたからだ」
「……はい、はい」
ノエルは魔力式を整えながら、セリアのわずかに赤らんだ頬に気づいた。
(……ふうん)
彼女は軽く眼鏡を押し上げた。
セリアだけではない。 リィナもまた、レンが傷つくたびに誰よりも先に駆け寄り、
剣の稽古の時には、いつも彼を見つめている。
(なるほど。あの二人……彼に“恋愛感情”を抱いているのね)
冷静に分析する。 けれど、どこか胸の奥がざらつく。
「ノエル、どうかしたか?」
「いや、貴方の鈍感さに呆れていただけ」
「え、鈍感? 俺がか?」
「……ええ。かなりね」
くすりと笑うセリア。 リィナは呆れたようにため息をつく。
ノエルは視線を落としたまま、彼女たちの反応を観察していた。
彼女たちはレンに“惚れている”。間違いなく。 そして、レンはそれに気づかない。
ノエルは小さく独り言を呟いた。
「恋愛感情……非論理的。著しく合理性に欠ける感情」
けれど、セリアの穏やかな微笑みを、リィナの真っ直ぐな眼差しを、そして――彼女たちを見て一瞬見せるレンの柔らかな表情を思い出すたび、胸の奥が少しだけ痛んだ。
(……私には、理解できない)
そう結論づけて、焚き火の炎を見つめる。けれどその瞳は、ほんの僅かに揺らいでいた。
また一つ、新たな封印を施した後だった。
「少し、気になる事があるの。先に調査しておくわ」
私はそう言って、一人で遺跡の小道へと足を向けた。
レンは一瞬、眉をひそめた。
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫。単なる壁画の調査よ。危険はないわ」
「でも、突然魔物が現れる事だって……」
「何かあったら“勇者様”に助けを求めるわ」
軽口を返し、レンたちに背を向けた。
――そう、私は本気で危険だと思っていなかった。 この辺りに高位の魔物はもう存在しないはず。 それに、彼女には魔術師としての自負があった。
(……私は無力じゃない。どんな状況だって冷静に対処できる)
そう、思っていた。
けれど――
「っ……!」
壁画の文字を読み取ろうとした瞬間、地中から何かが蠢く気配。
足元が一瞬、歪んだ光を放ち、地割れとともに黒い影が飛び出した。
牙、爪、腐敗した体臭。 それは先ほど封印したはずの魔力の残滓から生まれた“魔喰いの獣”。
(ありえない……周囲に反応は無かったはず……!)
咄嗟に詠唱を始めるが、喉が震える。 魔力が乱れる。 視界の端が白く瞬く。
冷静に、と頭ではわかっていても、身体が動かない。
――恐怖。
これまで論理で切り捨ててきた原始的な感情が、彼女の思考を麻痺させていく。
防御詠唱を終える前に、獣の爪が私を裂いた。 熱い痛み。肩口を裂かれ、血が噴き出す。
「……ぁ、っ……!」
地面に叩きつけられる。視界がぐらぐらと揺れる。
魔術師としての自負も、理屈も、思考も――全部霧散していった。
そのとき。
「ノエルッ!」
光が走った。 剣の閃きが、暗闇を切り裂いた。
レンが、息を切らして飛び込んでくる。
獣が咆哮を上げるより速く、レンの剣がその首筋を断ち切った。 血飛沫が舞い、闇が静まる。
レンはノエルの傍に膝をついた。
「大丈夫か!? 怪我は――」
「っ、たいしたこと……ないわ」
そう言いながらも、声が震えている。 レンは即座に回復薬を取り出し、肩口に注いだ。 痛みと熱が引いていく。
そして、レンが心底安心したように息を吐く。
「よかった……本当に、無事でよかった」
その声に、ノエルは息を呑んだ。
――どうして。
どうして、私はこんなに安心してるの?
どうして、こんなに優しい目で私を見るの?
恐怖と安堵の余韻が胸の奥で絡み合い、心臓が勝手に跳ねた。
(違う……これは恐怖による動悸。交感神経の興奮。生理的な反応にすぎない)
自分に言い聞かせる。 けれどレンが微笑んだ瞬間、思考が崩れた。
「……ばか」
「え?」
「あなた、いつもそう。どうして……いつも人のことばっかり……」
声が震えた。 自分でも制御できないほどに。
レンが戸惑ったように首を傾げる。
その表情を見た瞬間、ノエルは気づいた。
――ああ。
私はもう、この人に惹かれてる。 恋という言葉を頭が拒んでも、心が、それを認めてしまった。
理屈では説明できない。 理解できない。 けれど、確かに“存在してしまった”感情。
ノエルは目を伏せた。涙が頬を伝うのを、彼女自身が理解するよりも早く。
「ノエル?」
「……なんでも、ないわ」
震える声でそう告げ、彼から顔をそらした。
その後セリアとリィナと合流した時、レンには聞こえないように私は二人に耳打ち打ちした。
「二人に譲るつもりはないから」
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