第7話 壊れた誓い(リィナ視点)
夕日に照らされた王都は、いつものように赤く澄んでいた。 冷たい風が石畳を撫で、陽光が尖塔の窓を照らす。
その中心にある騎士団本部の執務室で、一人の女騎士が静かに立っていた。
リィナ・バルド。
魔王討伐の英雄の一人であり、その功績から史上最年少で王国騎士団団長に任命された天才である。
彼女の机の上には、かつて権力と私利私欲で騎士団を腐敗させていた上層部の名簿が並んでいる。
全て――彼女の手によって罪が白日の下に晒され、断罪された。
「……これで、王国の剣はようやく真っ直ぐになった」
リィナは淡く息を吐き、手にした書簡を机に置く。 その眼差しは冷たく、しかし澄んでいた。
民のため、正義のため――彼女の中には一片の迷いもない。
裏切りや腐敗を許さぬ、揺るぎない誇り。 誰もが彼女を“理想の騎士”と呼んだ。
「団長! 報告いたします!」
副官の青年が駆け込んでくる。
「北の山岳地帯に魔王軍の残党が潜伏しているとの情報が! さらに……天城レンの目撃報告も!」
その名を聞いた瞬間、リィナの眉がわずかに動いた。 だが、すぐにその表情は硬く閉ざされる。
「……そう。まだ逃げ回っているのね、あの裏切り者が」
声は低く、感情の欠片もない。
「討伐隊を編成しますか?」
「いいえ。私が行くわ。」
青年が息をのむ。
「団長自ら……!?」
リィナは椅子を押しのけ、立ち上がった。 背筋は一直線。 長剣の柄に添えた指が、微かに震えていることに、彼女自身は気づいていない。
「彼はかつて私の仲間だった。 けれど、その信頼を踏みにじり、民を危険に晒した。 この手で終わらせる。……それが私の責務。」
その声音には、決意と冷徹が混じっていた。 まるで、使命そのものが彼女の心を縛っているかのように。
リィナは窓辺に歩み寄り、王都を見下ろした。 人々が笑い合い、平和を謳歌している。その光景を見つめながら、小さく呟く。
「この世界を、あの男に乱させはしない……」
リィナはゆっくりと外套を翻し、広間を後にする。
長い廊下を歩きながら、ふと壁に掛けられた絵画に目を止めた。
そこには――我々勇者一行が描かれている。
私、セリア、ノエルそして……そして?
三人しか描かれていないはずの絵画に男の影が浮かぶ。
その顔は、陽光の反射でよく見えない。 けれど、なぜか心臓が脈打った。 呼吸が苦しくなる。
彼は民を、私たちを裏切ったはず。 彼は人類の敵のはず……はず?
なぜ?
思わず額に手を当てる。頭の奥で、何かが軋むように動いた。
その瞬間、耳鳴りがした。視界が白く弾ける。
「――リィナ、下がれっ!俺が、時間を稼ぐ――っ!」
男の声。
聞き慣れたはずのその声が、突然、鮮明に蘇る。 胸の奥に火がついたように熱くなる。
「……あ、あれは……誰の……」
絵画には描かれてないはずの顔が、今、脳裏ではっきりと見えた。
そして、次の瞬間――リィナの膝が崩れ落ちる。
剣が床に落ち、甲高い音が響いた。
世界が反転するように歪む。
「リィナ、お前ならきっと騎士団を変えて高潔な騎士になるって信じてるよ」
その言葉が、心の奥底を焼く。 失われていた全ての記憶が、呪いのように一気に流れ込んできた。
魔王との最終戦。
血まみれの彼。 助けを求める手を――自分が振り払った瞬間。
「――ああ……っ」
喉から漏れた声は、悲鳴とも嗚咽ともつかない。 崩れ落ちた床に指先が食い込み、涙が頬を伝う。
「ちがう……私が……裏切ったんだ……!」
聖堂の鐘が、遠くで鳴っていた。
その音はまるで、彼女らの罪を告げるかのように、冷たく響いていた。
――なぜ、彼の傍から離れたのか。
――なぜ、あんな嘘をついてしまったのか。
頭を打ち付ける。何度も、何度も、何度も。
鼓動が早くなり、呼吸が乱れる。
“彼の声”
“彼の微笑み”
“彼の痛み”
それらがすべて胸を刺す。
そして――最後に浮かんだのは、私たちと別れた時のあの瞳。
国のため、民のため、正義のため――
高潔だったはずの私を私たらしめる誓い。
リィナは胸元の勲章を掴んだ。
騎士団長の証、王から授けられた栄誉の印。
指に力がこもる。 金属が軋む音と共に、それは砕け散った。 手のひらを滑る欠片が床に落ち、鈍く光る。
――まるで、自分の誇りそのものが砕けたようだった。
頬を伝う涙が、ひとつ、またひとつと落ちていく。
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい……!」
あの戦場。左腕を失っても、彼は笑っていた。
なのに、私は――剣を抜いた。 振り下ろしたのは、誰に向けてだった?
私は自身が憎み断罪してきた騎士たちと同類だったのだ。
「レン……」
その名を呼ぶと、声が震える。
かすかに、誰かが傍にいるような錯覚を覚える。 光が揺らぎ、彼の面影がそこに立っている気がした。
リィナは立ち上がり、ふらつきながら鏡に近づいた。
映る自分は、知らない女だった。 唇は色を失い、瞳は焦点を結ばず、ただ何かを探しているように揺れている。
「……あなたは、誰?」
問いかけたのは鏡の中の自分。 返る声は、まるで別人のように掠れていた。
そして、不意に笑みがこぼれた。 ゆっくりと、苦しげに、けれどどこか嬉しそうに。
「そうよ……私、ずっと嘘をついてたんだ」
「誇り? 正義? そんなもの、最初から無かった……」
笑いが、嗚咽に変わる。
嗚咽が、呻きに変わる。
呻きが、やがて壊れた音になっていく。
「レン……レン……レン……」
その名を呼ぶたび、胸の奥で何かが軋んだ。
何度呼んでも、声は虚空に溶けて消えていく。 しかし、彼の名を呼び続けることでしか、今の自分を繋ぎ止められなかった。
「ねぇ……あなたなら……私に向けてまた笑ってくれる?」
「また、あの時みたいに……“大丈夫だ”って、言ってくれる?」
空気は冷たいのに、頬は熱い。 涙が途切れず流れ続けていた。
それが自分の意思なのかどうか、もうわからない。 床に崩れ落ちたリィナは、ゆっくりと両手を胸に当てた。 そこに感じる鼓動が、まるで他人のもののように遠かった。
「レン……私、あなたに誓ったのに……」
「“守る”って言ったのに、どうして――」
言葉の先は、声にならなかった。
既に日は沈み、窓から差し込む差し込む月明かりが静かに差し込んでリィナの頬に落ちる涙を銀に染めていた。
“もう一度やり直せるなら”
“もし、彼がまだ生きているなら”
“もし、彼が許してくれるなら”
そんな祈りのような想いが、胸の中で溢れていく。
その夜、王都の最も高潔な騎士は、己の理想と共に静かに壊れていった。
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