第6話 私の道標(リィナ視点)

王都から少し離れた交易都市オーブル


 年に一度、近隣の騎士・冒険者・傭兵たちが腕を競い合う武闘会が開かれる。

この地に赴任してまだ半年。 私は王国騎士団の若手として、誇りと責任を胸にこの舞台へ立っていた。


 観客席からは歓声が絶えず響いていた。 王都から観覧に来た貴族たちが見守る中、無骨な鎧を身に纏った私は、剣を正面に構え、審判の号令を待つ。


「次の対戦者――リィナ・バルド対、アマギ・レン!」


名前を呼ばれた瞬間、観客席のあちこちから軽い口笛が響いた。


片や女性でありながら異例の早さで騎士位を授かった私。

片や素性不明、流れの冒険者。


 観客の間には、「この勝負は既に決まった」という空気が漂っていた。 だが、私はすぐにその空気を読み取り、心を引き締めた。


“どんな相手であれ、剣を抜くからには全力で”

それが私の信条だった。


 対面した男――レンは、粗末な革鎧に、旅の埃を被ったような恰好であったが、どこか凛として威厳を感じるような風貌をしていた。

彼の目は研ぎ澄まされた刃のように澄みきっていて、まっすぐに、私を見据えていた。

 

「よろしく頼むよ、リィナさん」

「……挨拶は不要だ。実践ではそんなものは無いのだから」


私は淡々と答え、剣を抜いた。 審判が手を上げる。

――そして、鐘の音が鳴る。


 開始の瞬間、私は一気に距離を詰めた。 踏み込み、斜めの斬撃。

速さは自信があった。 相手が反応するよりも早く、喉元に刃を――

 

カン、と小気味よい音。

視界の端で、銀の軌跡が弾かれた。

信じられなかった。 私の剣は、軽く受け流され、勢いを殺されていた。

 

「……速いけど、力が入りすぎだな。」


 わずかに笑みを浮かべながら、レンが軽く踏み込み返す。見えなかった。

次の瞬間、私は後ろに跳んでいた。 反射的に防御した刃が、手のひらに衝撃を残す。


「くっ……待った……!」

「実践に待ったは無いだろ?」


 その言葉に、思わず歯を食いしばる。

彼のただ、真っ直ぐな目。 私を女だからと下に見ず、蔑まず“一人の騎士”として見る目。


 私は再び構えを取り直す。 足元を低く、心を研ぎ澄ませる。

もう一度、仕掛けた。 速さも、力も、正確さも、これまで磨いてきた全てを込めた。 だが、彼はまるで風のようにそれを受け流し、最後の一撃で、私の剣をはじき飛ばした。


 金属音が響く。 剣が地面を転がり、土煙が舞う。 私は息を呑み、地に片膝をついた。


観客のざわめき。

「嘘だろ、騎士団が冒険者くずれなんかに……」

「誰だ、あの青年……」

 

敗北の実感よりも早く、心の奥で何かが熱を帯びていた。


――これが、本当の強さ。

“上”を見た気がした。 悔しいのに、妙に胸がすっとしていた。


「……あなた、何者なんですか。」

私の問いに、天城レンは首を傾げて笑った。

「今はまだただの冒険者だよ。けど、もっと強くなりたいって気持ちは君と同じだと思うよ」

 

 その瞬間、何かが胸の奥に灯った。 屈辱ではなく、焦がれるような感情。

敗北の痛みよりも、あの背中に追いつきたいという衝動のほうが強かった。

鐘が鳴り終わり、試合が終わっても、私は剣を拾い上げたまま、彼の去っていく背中を見つめていた。

 

――この時、私はまだ知らなかった。 この出会いが、私の人生を大きく変えることになるのを。











 武闘会から、一週間。

オーブルの空気は、ざらついた不安に満ちていた。

北方で魔王軍の部隊に動きがあったという報せが届き、町の人々は避難の準備を進めていた。

 

 私は、王国騎士団オーブル駐屯隊の先鋒部隊の隊長として、防衛線の指揮を任されていた。 剣を磨き、鎧を整えながら、頭の片隅では、あの武闘会の男――レンのことを思い出していた。

(あの人の太刀筋は、どうしてあんなに綺麗なんだろう……)

考えを振り払うように、剣を鞘に収めた時――

伝令が駆け込んできた。


「報告! 魔王軍、北の街道より進軍中! 数……百以上!」

「百以上……? そんなはずが――」


 私の声をかき消すように、鐘の音が鳴り響く。

避難警報。 それが、戦いの始まりを告げた。


 私たち騎士団の部隊は、東門に展開した。

だが、すぐに異変に気づいた。 私たちの部隊以外の騎士がいない。援軍が来ない。 連絡も、伝令も、ない。

 

「……どういうことだ、なぜ後方からの支援がない!?」

私の叫びが響く。

 

 戦線はじりじりと押され、私たちは防戦一方になっていた。

魔族の炎弾が飛び交い、町の防壁が次々と崩れる。 焦げた木の匂いが、肺を焼くように刺さる。


「リィナ殿、後退命令が来ません! 伝令は?」

「来るはずがない……」


胸の奥で、何かが冷たく沈んだ。 既に頭は理解してしまっていた。


――“前衛にはバルド部隊を置け。時間を稼げればそれでいい。”

――“王都本隊が到着するまで、あの部隊が捨て駒として時間を稼げればいい。”


 今まで見て見ぬふりをしてきた騎士団の腐敗した部分。上層部の考えそうな言葉が頭の中に浮かんでくる。

おそらく私たちは“時間稼ぎ”のための生贄に選ばれたのだ。


 誰も助けに来ない。

王国の名の下に戦っているはずの私たちが、王国によって見捨てられたのだ。


「リィナ殿! 防衛線が――っ!」

仲間の叫びが途切れる。 爆風が吹き荒れ、私の身体が地面に叩きつけられる。

耳鳴り。 視界が赤く染まり、揺れる。

それでも剣を杖のように突き立てて、私は立ち上がった。


「全員、退却を――!」

誰に命じても、もう誰も動かない。

倒れた騎士たちは、私と同じ誓いの言葉を胸に刻んだ仲間たちだ。


“王国の盾となり、矛となり、民を守る”

それが、私たちの誓いだった。 なのに、忠誠を誓った騎士団が、私たちを捨てた。


「なぜ……なぜだ! 貴様らに騎士としての誇りは無いのか!!」

ここにはいない腐敗した騎士たちへの恨みを喉が裂けるほど叫んでも、返ってくるのは炎と、獣の咆哮だけだった。


 私は一歩、二歩と前に出て、炎の向こうに広がる魔族の群れを見据えた。

怒りが、涙が、焼けるように込み上げてくる。

 

「正義とは、なんなんだ……!」


 胸の中で、何かが音を立てて崩れた気がした。 私が信じてきた“騎士道”も、“正義”も、すべて偽りだった。 誓いも、忠誠も、上の者たちの都合のために使い捨てられるだけのものだった。


それが、私の世界が壊れた瞬間だった。





 そのとき――轟音が響いた。

崩れた瓦礫の向こうから、閃光が走る。 まるで嵐が吹き荒れたかのように、炎が一瞬で切り裂かれた。

視界に差し込む光の中、誰かの声がした。


「まだ、生きてるか!」

その声を、私は知っていた。 信じられないと思いながら顔を上げる。

 

――天城レンがいた。


 焦げ跡だらけのマントを翻し、片手の剣で、迫る魔族を次々と薙ぎ払っていく。

その背中は、炎よりも眩しかった。


「……なぜ……あなたが……」


 喉が震える。 もう、涙はとっくに乾いていた。

レンは倒れた私のそばに膝をつき、手を差し伸べた。


「この街の人たちを助けるために来た。 もちろん君も、その中の一人だ。」

 

 短い言葉。でも、その瞳に偽りはなかった。

そこには打算も、命令も、義務もない。 ただ、“助けたい”という一心だけがあった。


 その後ろから、白い光が降り注ぐ。 シスターの恰好をした女性の祈りが、まるで天の滴のように舞い降りていた。 焼けた傷が癒え、呼吸が戻る。


「動けますか? もう少しで避難所までの道がひらけます!」


 その女性の声は、優しくも強い。 それが、壊れかけた心に染み込んでいく。

私は立ち上がり、再び剣を拾い上げた。


「……私は……王国の騎士です。市民の方は避難して――」


言葉が喉で止まる。 レンの目が、まっすぐに私を見ていたから。

 

「肩書きとか、立場とか……そんなのどうでもいいだろ。 人の為に立ち上がるのに、許可なんかいらない。」


長年、縛られていたものが解けていく。涙がまた勝手に溢れた。

 

「あなたは……なぜ人の為に戦えるのですか?」

「さあな。ただ、救えるはずの誰かを見捨てて生きるのが嫌なだけだ。」


――それだけの理由で、ここまで来たというのか。 命を懸けて。 誰に褒められるわけでもなく。

 

 私は、ようやく理解した。 自分が信じてきた“正義”は、誰かの都合で作られた偽物。 けれど、この人の中にある“正義”は、どこまでも本物だ。

炎の中で、私は小さく息を吐いた。


「あなたのような人に……なりたい。」

レンは少しだけ目を細めて、微笑んだ。

「じゃあ、一緒に行こう。」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に灯がともった。 焦げた世界の中で見つけた、私の道標。

 

――私は、この人に一生ついていこう。

――この背中を、命が尽きるまで守ろう。

 

そう、静かに誓った。

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