第21章 静けさと鼓動

朝靄の中、グリナスはひとり静かに目を覚ました。


絹のシーツを押し返すように上体を起こし、額に手を当てる。




夢を見ていた――だが、その内容は霧がかかったように掴めなかった。


ただ、胸の奥にわずかな痛みが残っていた。


「……」




窓を開け放つと、潮風がゆっくりと部屋に流れ込んできた。遠く、海の水平線が白金に輝いている。


グリナスはそこに視線を投げながら、先日までの記憶を整理し始めた。


魔女が解き放たれたとの報告。


観測班からの報告に宮廷が揺れた。


キュリアは青ざめ




グリナスは庭に出て、苛立ちまぎれに魔法を振るった。


整えられた植栽が根こそぎ引き剥がされ、大量に生まれる樹木に花壇の土が宙を舞った。




解放したのはやはり…ナギだろう。


観測班からその名前は出なかったが、あの黒海の中心まで行き、黒龍をかいくぐってマーリンを開放できるものなど…。


「あいつ以外にいない…」


グリナスは拳から血が出るほど握りしめる。



脅したはずだ。


俺の権力の前に跪き、震えていた。


(それを…慈悲から…助けてやったんだぞ…!!)




歯を食いしばる。


だが…それでも、魔力は流れている。

核はまだ三つとも手元にある。

自らの魔法も、問題なく使える。


黒龍も、黒海も、沈黙を保っている。


「……まだ、間に合う」


グリナスは独り言のように呟くと、窓辺の鉢植えに手をかざした。

若木がひとつ、穏やかに芽吹いた。

緑化魔法の手応えは、確かに生きている。


だが、それでも胸のざわめきは消えなかった。


(何も変わらない…)




このまま———


核を持ったまま…全てを終わらせてしまえば…


ふと生まれる魔法への執着と殺意。








そのとき、扉の向こうから控えていた兵の声が届いた。

「陛下。魔女の核反応に変化はありません。引き続き、魔力供給は安定しています」


グリナスはにこっと微笑みながら振り返る。




「そうか。ありがとう。下がっていい」




グリナスは微笑んでいたものの、わかり切った報告に、かすかな苛立ちを覚えていた。

そんなことよりも問題は、復讐の意志だ。


(……彼女が、目を覚ましたのなら)


グリナスは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


(ここに来るだろう)




——————


ナギの隠れ家の外では朝食が作られていた。


火にかけられた白米の香り、串に刺さった魚にエイルが塩を振っている。




朝の光が差し込む中、ナギとエイルは、膝をついてマーリンの前にいた。

淡い光に包まれ、座ったまま目を閉じている。


ナギたちが何度ベッドを勧めても、彼女は首を振った。

食事もとらず、とにかく休みたいと。


そして

「これで十分」と微笑んで、光の中でそのまま眠りについたのだ。



閉じられていた瞳が、ゆっくりと開く。

「やぁ……おはよう……」


その声はか細く、けれど確かに空気を震わせる。


ナギが口を開く。


「……大丈夫か?」


マーリンはしばらくの間、何かを思い出すように目を細めたあと、微かに頷いた。


「ああ……相変わらず大量に魔力は吸い取られているが、封印から解き放たれただけで、大分楽だ。」


彼女の声は、痛みと戸惑いに満ちていた。


昨日マーリンから聞いた話。

グリナスにだまされ、核を奪われたという。


グリナスは元々善良な木こりだったが、野党の襲撃で「力」への執着を深めたらしい。

キュリアは、グリナスを想っていたからこそ、彼の暴走に抗えなかったのではないか。

エルグもまた、便利屋としていいように使われていたことに嫌気がさし、名誉と富を餌に協力を強いられていたのではないか。


──そんなふうに、マーリンは語っていた。




どうやって騙され、どうやって核を奪ったのか…


具体的なことは言わなかったが…聞くことなどできない。




マーリンがゆっくりと口を開く。


「さて…これを食べたら…核を取り返しに行くぞ」




エイルが驚いた表情をする。


「と、取り返すってあの三大魔法使いから!?


 無理に決まってるわよ!都市を丸ごと賄うような雷撃使いと、人を無限に再生させてくる治癒使い、そしてグリナスの生み出す樹木は人を叩き潰すことだってできる…!」




しかし


ナギが手でエイルを制止する。




「それでも…」


「やらなければ‥‥だろ?」



ナギの目は、まっすぐにマーリンを見つめていた。



「……ああ」


エイルは不貞腐れたように串を引き抜き、がつがつと食べ始める。

「全く……勝手にしなさいよね。私は行かないわよ!」


ナギは焼けた魚の串を引き抜き、マーリンにそっと渡した。


「まずは腹ごしらえだ。……300年ぶりの飯、泣くほど旨いかもな」


マーリンは一瞬戸惑ったが


ふっと微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る