幕間 煙突の午後
翌日の昼、マーリンは村の広場を歩いていた。
日差しは穏やかで、遠くから子どもたちの笑い声が聞こえる。
「マーリン様、煙突の調子はいかがですか」
声をかけてきたのはエルグだった。
作業台のそばに立ち、手を止めてこちらを見ている。
「……快適よ。驚いたわ。あんな低い天井の家で、魔法無しに暖かく過ごせるなんて。初めてかもしれない」
エルグは照れくさそうに笑った。
「それはよかった!……ええ、自分でもちょっと自慢だったんですよ」
「商人になろうとは思わなかったの?」
マーリンの問いに、エルグは少しだけ表情を曇らせた。
「それが……勘定や人付き合いが苦手でして。私は、こうして誰かのために作ることが性に合ってるんです。見返りなんて…いらない」
「ふふっ……もったいない気もするけど。まあ、それも自由ね」
マーリンがそう言って微笑むと、エルグの目元が和らいだ。
(本当に変わった…すべてが柔らかく、言葉遣いも違う。)
「ところで……グリナスとは、どうなんです?」
唐突な言葉に、マーリンの肩がピクリと動いた。
「な、なによ突然……」
「あっ、すみません! 出過ぎた真似でした」
言ってしまった!という表情で頭を掻く。
「……なにもないわよ」
口をとがらせるマーリンは、200年を生きた魔女には見えない。
まるで、年頃の少女そのものだった。
エルグは、微笑ましさと、ほんの少しの哀しさを感じた。
彼女もまた、孤独だったのだ――それが、ふと分かった気がした。
「……キュリアのこともある。どうか慎重に。けど、運命とは……止められないもんですな」
「運命なんて、くだらないわよ」
マーリンはふっと笑った。だがその声は、どこか遠くを見つめるように響いていた。
(人は、望んで狂っていく。そういうふうに、できてるのよ)
所詮、自分も例外ではなかった。
何百年も生きてきたというのに――この心だけは、何ひとつ変わっていない。
エルグのもとを後にしたマーリンは、ふらりと広場へ向かう。
そこに、あの男の影を探すように。
グリナスとは、おととい会って以来、顔を合わせていない。
薪の打ち合わせのこともある。そろそろ――会っておかなければ。
そんな時だった。前方からふたり分の足音。
キュリアとグリナスが、道の向こうから連れ立って歩いてきた。
キュリアが先に気づき、声をかける。
「あら、マーリンじゃない。今から帰るとこ?」
「……ええ」
グリナスは変わらぬ無表情で黙っている。
キュリアが少し得意げに笑った。
「あまり“うちの人”をいじめないでね。こう見えて意外と繊細だから」
許嫁として当たり前の心配だろう。しかしマーリンにはもはやそうは見えなかった。
「いいから。行くぞ。」
グリナスの手がキュリアの背中に添えられる。
マーリンの胸に、重く冷たい感情が滲んだ。
それは確実に嫉妬だった。
(……今、ここで全部、言ってしまったらどうなるんだろう)
そんな衝動が喉元までせり上がる。
けれど、マーリンはただ黙ってすれ違う。
すれ違いざま、グリナスがぽつりと呟いた。
「じゃあ、また」
その一言が、火種に油を注ぐ。
マーリンの胸の奥に、今まで感じたことのない感情が生まれた。
それは――執着。
そして、哀しみと怒りが混ざりあった、名もなき衝動だった。
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