第20話 星屑の花

【三人称視点】


ヒルデが王女の病の治療法を発見したという報告は、すぐに王城を駆け巡った。国王アルフォンスはヒルデを再び謁見の間に呼び出し、その詳細を尋ねた。


「して、聖女殿。治療法とはいったい……?」


彼の声には切実な響きがあった。ヒルデは手にしていた古文書を王に示しながら説明を始めた。


「リリアーナ王女殿下を苦しめているのは『闇の茨の呪印』と呼ばれる古代の禁術です。これを解くには、唯一『星屑の花』と呼ばれる植物が必要となります」


彼女は花の図が描かれたページを広げて見せた。夜空のように青い花びらの上に、銀色の斑点が散りばめられた神秘的な花だった。


「星屑の花……。聞いたことがない名だ。それはどこに行けば手に入るのだ」


国王が身を乗り出して尋ねる。ヒルデは少しだけ言い淀んだ。これから告げる事実は、王にさらなる苦悩を与えることになるだろうからだ。


「その花の唯一の自生地は……王都から遥か北東の辺境。ミストラル村周辺の森の奥深くです」


その言葉に、謁見の間が静まり返った。ミストラルの森。その名は王都の者たちにも知られていた。危険な魔物が数多く生息する地。そんな場所にたった一つの花を求めて行けというのか。その状況に、国王は言葉を失った。


重い沈黙を破ったのはヒルデだった。彼女は静かに、しかし力強い声で言った。


「陛下。どうか私にその任をお与えください。このヒルデが自らミストラルの森へ赴き、必ずや星屑の花を持ち帰ってまいります」


彼女の言葉に、その場にいた誰もが驚愕した。聖女である彼女が、自ら危険な魔境へ行くというのだ。あまりにも無謀な申し出だった。


「ならん!」


国王が叫んだ。


「そなたは国にとっての宝だ。そなたの身に何かあれば、それこそ取り返しのつかないことになる!騎士団を派遣しよう。最高の精鋭たちを……」


しかし、ヒルデは静かに首を横に振った。


「星屑の花は非常に繊細な植物です。清浄な魔力を持つ者でなければ触れることさえできず、触れた瞬間に枯れてしまうと古文書には記されています。私が行くのが最も確実なのです」


彼女の瞳には揺るぎない決意が宿っていた。それは王女を救いたいという純粋な使命感だけではなかった。彼女は逃げたかったのかもしれない。王都の喧騒から。聖女という重圧から。そして、クラウスという男から。危険な辺境への旅は、彼女にとっての一種の救済でもあったのだ。


国王はヒルデの覚悟を前にして、それ以上反対することができなかった。


「……分かった。そなたのその勇気と忠誠心に感謝する。旅の準備は王家が全面的に支援しよう。必要なものは何でも申し付けるがよい」


彼はそう言って深々と頭を下げた。


ヒルデがミストラル村へ向かうという話は、すぐにクラウスの耳にも入った。彼はヒルデの元へ駆けつけると、芝居がかった様子で彼女の手を取った。


「ああ、ヒルデ!なんて無謀なことを!君を一人でそんな危険な場所へ行かせるわけにはいかない!この私も同行しよう!」


彼はさもヒルデを心配しているかのように言った。しかし、その瞳の奥には計算高い光が宿っている。彼が考えているのはヒルデの身の安全ではない。星屑の花を手に入れるという手柄を独占すること。そして、旅の道中でヒルデを完全に自分のものにすること。その二つだけだった。


ヒルデは彼の申し出を冷たく突き放した。


「お気持ちだけ受け取っておきます。ですが、これは私一人の任務です。足手まといになるだけですので、お控えください」


彼女の言葉に、クラウスは一瞬表情を凍らせた。しかし、すぐにいつもの優雅な笑みに戻った。


「ははは。手厳しいな。だが、私は諦めんよ。君を守るのが私の騎士としての務めだからな」


彼はそう言ってウィンクしてみせた。ヒルデは心底うんざりした。この男はどこまでもついてくるつもりだ。旅の道中、彼をどうやって撒くか。彼女は新たな問題に頭を悩ませなければならなかった。それでも、彼女の決意は変わらない。どんな障害があろうとも、必ずミストラル村へたどり着き、星屑の花を手に入れてみせる。


数日後。旅の準備を整えたヒルデは、王都の門の前に立っていた。見送りは国王からの配慮で、ごく内密に行われた。国王は、ヒルデに最高級のポーションと魔力結晶を詰めた袋を手渡した。


「聖女殿。くれぐれも気をつけて。そなたの無事の帰還を、国中の民が待っておるぞ」


ヒルデは深々と頭を下げた。


「必ずやご期待に応えてみせます」


彼女はそう言って馬に跨った。彼女の背後では、クラウスと国の騎士たちがすでに出発の準備を整えている。この男は鬱陶しいことこの上ないが、今は無視するしかない。


ヒルデは一度だけ王都を振り返った。この街で彼女は名声を得た。しかし、同時に多くのものを失った。アムルとの思い出。平穏な日々。彼女は過去に別れを告げるように小さく息を吐いた。そして、前を向く。目指すは北東の辺境、ミストラル村。ただ今は進むしかない。王女を救うために。


ヒルデは馬の腹を蹴った。彼女の長い旅が今始まった。二つの運命が再び交差するその時が、刻一刻と近づいていた。

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