第3話 蘭、老人相手に仕事をする

 「お願い。人間的には保証するからさ」

 この通り、と山形は蘭に向かってもう1度手を合わせた。


 [第2話より続く]




 翌日、蘭は指定された銀座のホテルへ行った。


 宿泊客の半数以上が外国人上級ビジネスマンか、外国人観光客で占められると言われている、銀座では比較的新しい外資系ホテルである。


 バーやナイトクラブなども充実しているようで、レストランも和食から中華、さらにイタリアンやフレンチまで幅広く、その地の利もあって、いつも深夜まで人の出入りが絶えない。


 蘭はそのホテルがちょうど銀座だったので、時間調整を兼ねて、いつも山形と待ち合わせに使うカフェを覗いてみた。


 例のイケメンが来ていないか、と思ったのである。


 来ていたからといってどうこうするというのではないが、顔を見ると安心するのである。


 が、当然というか、そのイケメンはいなかった。


 そのあと蘭は指定されたホテルへ、向かったのである。


 蘭が指定された真っ昼間の午後2時、教えられた部屋番号のドアをドキドキしながらノックすると、あの時の老紳士が背広姿で、ドアの向こうで迎えてくれた。


 先日会った時も蘭はそう思ったのだが、その温厚そうな表情や、老いたとはいえその端正な顔立ちからしても、社会的地位のある人物というのは確かなようである。


 人相見のように、決して顔立ちで人の性格を判断するわけではないが、やはり何十年も同じ顔をつけていると、卑しい心の持ち主は、ゴミが沼底から浮かんでくるようにその顔に卑しさが浮いてくるものだ、とテレビに出ていた誰かが言った言葉の妥当性は理解していた。


 このごろ蘭は社会的地位が高いと評される人たちの風貌と、人物評が一致する数式のようなものを、まだ人生経験が浅いなりに見つけていた。


 悪人ヤクザが顔つきから恐ろしいのと同様に、多少の例外はあっても、社会的地位のある人は、たとえそれが端正な顔とは言えなくても、独特の風貌という品格を備えるものである。


 ただ、蘭自身、女を騙すスケコマシと、優しそうな顔の見分けはまだつかなかったが。


 だから蘭は山形の頼みがあったとは言え、2、3ヶ月前に1度すれ違ったきりの老紳士が待つホテルのドアを、躊躇ためらいながらもノックすることが出来たのである。


 とは言いながら、社会的地位のある人が、屈辱的な扱いを受けて喜びを感じるという〈被虐的陶酔感ヒギャクテキトウスイカン〉を得たいなんて、アリ?


 という思いもなくはなく、


 性的嗜好と人間の根源に潜む幼稚性や暴力性という内面こそ、外見と一致しないのではないか、と、蘭はそれなりの警戒心を持っていた。


 「よく無理を聞いてくれたね。山形くんが拝み倒したとか」


 と、老紳士渡部は、遙か年下の蘭に対しても丁寧な口調で言って、ソファーへ案内した。


 どうやら山形は、拒否する蘭を説得したと、半分手柄話にもっていったようだった。


 それはそれで構わない。


 蘭にしても、言われて二つ返事で話を請けたと思われるよりは、マシである。


 「君の好みがわからなかったからいろいろ並べてみたけれど、どれでも好きなものを飲んで下さい」


 テーブルにはサイフォンに入ったコーヒーや、各種のジュースや洋菓子スイーツが並べてあった。


 「お気遣い戴いて、ありがとうございます」


 蘭は礼を言って勧められるままにソファーに座ったものの、そのあとどうしたらよいのか、場を持て余した。


 考えてみれば今までは晃司が常に間に入っていたので、彼の仕切りのままにやれば良かったが、こんな老人を相手にするのも初めてだったし、2人きりでホテルの中というシチュエーションも初めてだったので、すぐに仕事にかかってよいものかどうか、判断に迷った。


 それに、初対面の客を相手に、すぐにその気にさせるキャバクラ嬢のような会話術も蘭はまだ持ち合わせてはいなかったので、尚更気詰まり感だけがあった。


 さらにこんな高給ホテルで、シャツにジーンズという自分の格好も変だと思っていた。


 次があるのかどうかはわからないが、その時には服装も考えなければ、とこんな立場に立たされても次のことを考えている自分がいて、それにも蘭は驚いていた。


 「若いね。幾つだね?」

 と、渡部がたずねた。


 「年齢はシークレットです。ですからお客様も、ご自分の年齢はお忘れ下さい。私より10歳年上の男性、それでいいではありませんか」


 「うん。いいことを言うね。その通りだね」


 蘭は自分でも巧い取りかかりだと満足した。これで仕事に入りやすくなった。


 「早速、始めたいのですが」


 「うん。じゃあシャワーを浴びてくるよ。何か飲んでリラックスしていなさい」


 渡部は優しく言って浴室の方へ消えた。


 蘭はソファーから立ち上がって渡部を見送ったあと、肩掛けバックから仕事に必要な七つ道具を取り出して、コーヒーやジュースなどが置いてあるテーブルの上に並べていった。


 いかにも高級そうな窓のカーテンと、壁のクロスは茶系統で統一されていて、大きなベッドが2つ、そして大きな応接セットと大きなドレッサーが目を惹いた。


 初めて見るこんな上等な部屋が幾らで泊まれるのか、時間貸しというのがあるのかどうか、蘭には見当さえつかなかったが、渡部に関して言えば山形が言った通りの人物のようで、内心ホッとしていた。


 渡部は暫くして、腰にバスタオルを巻いて出てくると、ソファーの蘭の前に仁王立ちに立ち、自分からタオルを落とした。


 見られたいという、誰にでもある多少のエムっ気のせいか、或いは裸を見せて若い女をイジメたいというエス感覚もそこにあるのかどうか、堂々とした振る舞いだった。


 思ったほど皮膚に弛みはなく、仁王立ちという態度も泰然自若たるものだったが、それとは裏腹に、陰毛の中のペニスは黒い毛虫のように黒い皮を被って、縮んでいた。


 包茎短小というやつであるが、包茎だから陰茎の発育が遅れるのか、そもそも陰茎が小さいから包皮が余ってしまうのか、また年を取ると陰茎自体が縮んでしまってそうなるのか、蘭にはよくわからなかった。


 ただ、〈敗戦剃毛儀式〉の目黒良樹も白かったがこんな形状のペニスだったので、多分、先天性ではないかと思ったりもする。


 とそこまで考えて、蘭は心の中で苦笑した。


 女性の乳房の大きさが人によって異なるように、これは先天性などではなく、ただの個体差というものだろう。


 その証拠に包茎ペニスは決してまれに見るものではなく、〈5分フェラ抜き合戦〉の戦場でも、程度の差はあれ、まま見られるペニスの顔つきだった。


 むしろ数的かずてきには〈ムケムケチンチン〉の方が、少ないのかもしれない。


 少ないが、ムケチンは性能の善し悪しはともかく、見てくれはいい。と言って、かぶりチンの性能が良いかどうか、まだ蘭自身経験はなかったのだが。


 「陰毛を剃ればいいのですね」

 と、蘭は聞いた。


 「陰毛はダメだよ。ゴルフのあとの浴場で見られると、変な噂が立つからね」


 「はっ?」

 蘭は一瞬ポカンとして、


 「じゃあ、どうすればいいのでしょうか?」

 弱ったことになった、と蘭は一瞬身構えた。


 山形は絶対に信頼のおける人物だと保証し、蘭も悪い人ではなさそうだとの印象を持っていたが、見誤ったかもしれないと案じた。


 「キンタマが収まった袋なら見えないからそこを頼むよ。それから尻の周りも見えんから、そこも」


 「ではソファーに座って、腰を突き出して下さいますか」


 蘭が言うと、渡部はソファーに浅く腰を下ろして、脚を広げて思い切り腰を突き出した。


 ペニスが小さいせいで、タマの収まった陰嚢がなお大きく見える。その陰嚢にポツリポツリと白髪交じりの毛が生えている。


 「脚をそのままちょっと上にあげてもらえますか?」


 蘭が言うと、それにも渡部は素直に従った。


 考えてみれば、異様な格好ではある。


 年齢に不足のない老人が、大企業の社長と言われる男が、二十歳はたちの若い女の前で両脚を広げて、性器ペニスばかりか陰嚢スクロタム肛門アヌスをさらしている姿は珍妙でさえあった。


 株主がこの光景を見たら、たちまちその会社の株は暴落してしまうだろう。


 部屋には静かなBGMが流れるだけで、その静けさを嫌って蘭はシェービングクリームの缶をわざと大げさに振って、勢いよく泡を掌の上に吹き付けた。


 掌にソフトクリームで作ったような、泡の山が出来る。それをそのまま陰嚢に塗して、両手で全体に塗り込んでゆく。


 2個の睾丸をそのまま柔らかな皮膚が包み込んでいて、睾丸の形さえもはっきりわかる、垂れた陰嚢である。


 男性経験は晃司とチャラ男の2人しかまだなかったが、2人とも陰嚢は硬いゴムまりみたいに丸く弾力に富んでいた。


 若い女にタマを触られているという気恥ずかしさがあるのか、それともM的快楽に刺激されたのか、垂れていた陰嚢全体がきゅっと締まり、ペニスがちょっと頭をもたげた。


 蘭は右手にT字型の安全カミソリを持ち、左手で陰嚢全体を引っ張るように押し上げて、ゆっくりと刃を当てた。


 渡部はじっと視線を蘭の顔に当てて、手先よりも若い女の表情が変化するかどうか楽しむように、蘭の顔を眺めている。


 顔を赤らめたり、モジモジしたりすると自分の負けになるので、蘭は蘭で意地でも毅然とした態度を崩さず、無表情に徹した。


 涙を流して泣く手もあったのだが、相手の気持ちを削いでは仲介した山形に申し訳ないので、それはしなかった。


 渡部の包皮に包まれたペニスが、息苦しそうに少し口を開けていた。


 皮を剥いてシコシコしてあげたら、またちょっとくわえてあげたら気持ちがいいだろうと蘭は思うが、〈敗戦剃毛儀式〉の時の目黒良樹同様、思うだけで、そこまではできない。


 陰嚢の毛はそんなに多くないので、ゆっくりと時間をかけて、表皮を右から引っ張ったり、左から押し上げたりして、剃ってゆく。


 思えば〈敗戦剃毛儀式〉での目黒良樹は、ちょうどこの時に精子を放出して蘭の顔にぶっかけたが、渡部はさすがにそこまで溜まっているわけではないのだろう。


 というか、ペニスに元気がないのだろう。


 というのか、さすがにそこまでやる度胸がないというのか、ここまできて理性問題なぞありはしないのだろうが、最後の最後の一線を越えるまではゆかなかった。


 「それではアヌスの方へ、移りましょうか」


 蘭が言うと渡部は体を裏返しにして、ソファーに胸を預け、犬のような格好になって、尻を突き出した。


 その時の渡部の、口を半開きにして目を閉じた、いかにも陶酔したような顔を見て蘭は、不意に恐怖をおぼえた。


 今は安全なこの老人が豹変したらどうしよう、と気を回した。やはり催眠スプレーなどの護身用グッズが必要かもしれない、と再認識した。


 蘭はアヌス付近に直接シェービングクリームを吹きつけ、指で塗し、毛を1本1本丁寧に処理して、それからタオルできれいに拭き取った。


 ゆっくり作業したつもりだが、それでもまだ入室してから1時間も経っていない。


 あと1時間以上ある。


 2時間という時間請けで仕事を請けたときに困るのは、こんな時である。


 作業が終わったところでその日の仕事は終わりという、やりきりじまいという仕事の仕方もあるのだが、渡部に関しては間に山形が入っていたので、その方向へもってゆくこともできなかった。


 入室した時から時間のカウントをするのが当然だろうが、悪いような気もするし、剃り始めた瞬間からカウントするとすれば、まだたっぷりと時間は残っている。


 「終わりました」


 と、蘭は言った。


 そう、


 と渡部は頷いてから、


 「チンコを触ってくれませんか?」


 と、なにげに要求した。


 「私は、それはしないのですよぅ」


 蘭はきっぱりと、しかし、あまりきっぱりと断ると怒り出すかもしれないと思い、突っ慳貪にならないように、気をつけて断った。


 「5万追加します」


 「済みません」


 「口でとは言わないよ。指でいいのだけれど」


 渡部は懇願するように粘った。


 この人が何の仕事をしているのか、100人の社員の長として指揮を執っているのか、或いは1万人か10万人の企業のトップに君臨しているのかは知らないが、その口調があまりにも弱々しかったので、蘭は人生の終わりにさしかかった人の〈性〉への執着を見たような気がした。


 恐らく妻にさえこんな格好ばかりか、こんな声をも聞かせたことはないだろう。


 そう思うと、少しならいいか、と思ったりする。

 それに陰嚢の毛を剃る時に、散々ペニスに指が触れてもいる。


 触れるかわりに握ってシゴクだけだ。


 そんなに差はない。


 ただ、カネに目が眩んだと思われては心外だが、こんなことをしてカネを得ているのだ、自己弁護になるような理由を挙げれば挙げるほど、自分が惨めになるような気がする。


 蘭は渡部をワンワンスタイルにしたまま、後ろから指を伸ばし、片方の手の指でペニスをつまんで刺激し、そして片方の手でマシュマロのような陰嚢を柔らかく包み込み、掌全体で揉みほぐす。


 「ちょっと待ってくれますか?」


 渡部が言って、体勢をまた変えて前向きにソファーに腰掛けて、脚を開いた。


 蘭は続けた。


 人差し指と親指でペニスの包皮を剥いて亀頭を出し、尿道口からネクタイを締めたような部分を、指で丁寧に刺激する。


 少し遊ばれたチャラ男の里村トップディレクターからは、そこを舐めてくれ、とよく言われたものだが、渡部に対してはそこまで出来ない。


 渡部は蘭の指先ではなく、顔をじっと見つめている。




 ・・・「そのネクタイを締めたような箇所。そこ、気持ちいいんだよ」

 と、チャラ男は言ったものだった。


 「それからタマも口の中に飲み込んで、舌でチロチロしてくれ。タマを蹴られた時に感じる、あの息が止まってしまうようなカンジ。あの1歩手前の感覚がまたいいんだ」


 蘭はそう命令されて、一生懸命〈口の中のタマ〉を舐めたものだった・・・




 「君は恋人はいるのですか?」


 と、不意に老人が聞いたので、蘭は現実に引き戻されて、


 「いれば、ここには来ていません」


 と、答えた。


 なぜ自分がこんなことをするようになったのか、わからない。


 気がつけばどっぷりと浸かっていたのだが、やはり晃司に半騙しにされてやった〈敗戦剃毛儀式〉、アレが入口だ。


 渡部のペニスはなかなか大きくならなかった。


 半立ちになったり、萎んでしまったりの繰り返しである。


 どのくらい時間が経ったのか、


 「時間だから、もういいですよ。ありがとう」


 老人がそう言って、蘭は壁の時計を見た。


 入室後からカウントしてもまだ30分以上も時間はあるが、渡部が蘭の帰り支度も気にして切り上げてくれたのだろう、その心遣いが有り難かった。


 「済みません。私、巧くないので」


 「いや、良かったよ。ありがとう」


 渡部が蘭を労ったので、蘭はますますこの老人がかわいそうになった。


 「イキたい、ですか?」


 と、蘭は聞いた。


 イキたい、と言われたら、どうしようと考えていた。


 風俗に勤める女性はみんなこんな風に、より風俗の深みに入ってゆくのだろうが、口ですればいいのだろうか、と恐ろしいことを考えるもう1人の自分がいて、蘭は驚いた。


 このバイトをやり始めた初めのうちこそ、知らない人のペニスを触る手もためらいがちだったが、学生相手に何回もしていると麻痺してしまったのか、普通になり、ちょっとくわえるだけなら何てことはない、と思う自分がいる。


 「イキたいよ、でもいいよ。約束だから」


 渡部は縮んでしまったペニスというよりも、タマをブラブラさせたまま立ち上がった。


 蘭は不意に、むかし何かの宗教本で見た、皮の被った可愛らしいペニスをさらす赤ちゃんアダムをマリアが抱いている1枚の絵を思い出した。


 あの絵を見た時も、こんな子供みたいな〈被りチン〉なら舐めてみたい、と思ったのは事実だった。


 そんな蘭をよそに、渡部はベッドに置いた背広の内ポケットから財布を取り出して、中から大雑把にお札を抜いて、ありがとう、と礼を言って蘭の方へ差し出した。


 裸で悪いね、と付け加えたが、それが自分の裸のことなのか、裸のおさつのことを言ったのか、蘭にはどちらともわからなかった。


 蘭は逃げるように部屋を出た。


 イカせてあげれば良かったと思う気持ちと、罪悪感とがごっちゃになり、切なくなった。


 いずれにしても長く続ける商売ではないと、つくづく思っていた。


 [剃りびと パート5 了 6パートへ続く]

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剃りびと 蘭&護(5)蘭の1日  蘭&会社社長 押戸谷 瑠溥 @kitajune

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