第2話 蘭、仕方なく老人のチン毛を剃ることになる

 

 「臨時職員だから、別の仕事を持つことが出来るのだよ。じゃあその時にはまた相談するよ」


 古橋はそう言い残して伝票をさっと掴んで、山形に手で合図をして、颯爽と去って行った。


 [第1話から続く]




 「どう?蘭ちゃん、役に立った?」


 山形が女口調に戻った。


 うん。


 「って、私のことバラされたのは、不満だけどね。でも早速電話をかけてみるわ」


 蘭は古橋から受け取った名刺を、ヒラヒラさせた。


 「良かったわ。でも蘭ちゃん、せっかく2年近く高橋の所で修行したんだからさ、公務員なんてバカなことをやらずに、ウチの美容室でやってよぅ?」


 山形が言った。


 「うん。あれはあれでいいの。古橋さんの話を聞いてみて、なんか希望が出てきたの」


 「そう。じゃあいいけれど、〈5分フェラ〉はもうやらないつもり?」


 「うん。少しずつ、手を引いてゆく。だってやればやるほど私自身、変な方向に名前が売れてゆくんだもの。今だってゲイの人からバンバン電話が入ってくるのよ。仕事に使ってくれって」


 「そうねぇ。でももったいないわね。いい稼ぎ口なのに」


 「それよりも山形さん、山形さんの方も私に話があるんでしょ。どんなこと?」


 今日、蘭が山形に呼び出されたのは、本来彼の方に何かの用件があったからである。


 「うん。そのことなんだけどさ。私の知り合いにね、ナイスミドルがいるの。ほら蘭ちゃん、ちょっと前のことだけど、カラオケボックスの前で出会った時に一緒にいた渡部さん」


 「ああ。どこかの会社の社長さんって、あの人ね。でもあの人、ナイスミドル?確かにヨボヨボじゃないけれど、ウチのお爺ちゃんと同じような感じだから60はいっているような気がするのだけれどね。ナイスミドルって、さっきの古橋さんのような人じゃない?」


 「まあね。でも渡部さんって、見た目、全然いいでしょ?」


 「うん。って、まさかおめかけさんにでもなれって言うんじゃないでしょうね?」


 蘭は将来設計の糸口を掴んだような気がして、いきなりテンションも上がったのかそんな冗談がスラスラ口をついて出た。


 「そんなんじゃないけれど、そのダブリュウさんおヒゲを剃って欲しいのよ」


 おヒゲ?

 蘭は首を傾げて山形を見た。


 こういう欲望の世界に身を置いてほんの3ヶ月に過ぎないが、間違いなく山形のような男がもたらす話には裏があるのを蘭は気づいていた。


 ヒゲを剃るためだけが目的なら、大の大人がわざわざ喫茶店に呼び出すこともない。理容室でも美容室でも、直接行けばいい。


 「下のおヒゲ」

 と、山形はウインクした。


 やっぱりね。

 蘭はニヤッとしながら下から山形を睨んで、


 「ダブリュウさんもゲイ?」


 蘭は名前を言わないのが彼らの流儀かしらんと思いながら、頭文字を使った。


 「違う、違う。彼はゲイじゃないわ。バイセクシャルでもない、ただの女好き」


 「じゃ、なぜ山形さんが口を利いているの?」


 「それが付き合いの難しいところなのよ。どこの会社とは言えないけれど、あの人は誰もが知っている会社の社長さんで、社会的地位のある人なの。ゲイは口が固いと思っているのでしょうね。事実そうだけど、頼まれたのよ。お願い、剃ってあげて」


 「だって、密室で2人きりだなんて、厭だな。ソープへでも行ったら?それともまさか・・・」


 蘭は言いながら、日南第一大学の時のように、人前でやらされるのではないかという悪夢のようなことを、ふっと想像した。


 あの時は学生相手だからまだ何とかなったが、社会人相手に、しかも宴会の余興の罰ゲームか何かに引っ張り出されたら、たまったものではない。


 罰人バツビトのオチンチンの毛を酔っ払いの前で剃るなんて、目も当てられない。


 「彼みたいに顔が売れた人は、ソープへなんか行けないのよ。それがバレた途端、会社に苦情電話がバンバン入って進退問題にまで発展するかもしれないからね。それに目的は性欲の発散ではなくて、被虐的ひぎゃくてき陶酔感とうすいかんを得るためだもの」


 「ヒギャクテキトウスイカン?」

 蘭は初めて聞く言葉にポカンとした。


 「そ。陰毛って成人の象徴じゃない。それを他人に除去されるというシチュエーションによって、年齢にそぐわない屈辱を感じることになり、マゾヒストにとっては〈被虐的陶酔感〉に浸れるってわけ。以上、ウィキペディアの受け売り」


 山形が笑った。


 蘭はマゾと聞いて、自分に当てはめていた。


 自分も確かに性的苦痛を強いられても、苦痛とは思わないタイプのエムだが、剃られたことも、また剃られてみたいと思ったことも、まだない。


 ただ素質はあるのだろう、恥ずかしい格好をさせられても、それが快感になって体の芯が熱くなる。


 それを見て喜んだのは、あの里村トップディレクターだった。



 ・・・「ほら、ぼくの上にまたがって、オマンコを指で開いてごらん」


 蘭はそう命令されて、彼の顔の上にまたがり、両方の指で陰唇はなびらを開いたものだった。


 誰にも見られたことのない部分を見られているという恥ずかしさで、そのまま倒れてしまいそうだった。


 チャラ男が舌で舐めてくるその舌先のザラザラ感に体が反応して、濡れて熱くなってくるのがわかった。それが初めて自分がMだと知った時だった・・・



 蘭はその時のことを思い出しながら、


 「ダブリュウさんって、エムなの?」

 と山形に聞いた。


 「Mかどうかは知らないけれど、人間は誰でも〈マゾヒスト的傾向〉も〈サディスト的傾向〉も潜在的に両面持っているらしいわよ」


 「ふ~ん。でもどうして私なの?」


 「Wさんが先日ふっと漏らしたの。あの時の女の子、っていうのが蘭ちゃんのことね。美容師ならアルバイトでボクのチンコの毛を剃ってくれないだろうかって。それで私も、ま、そんなことはしないでしょうけれど、一応頼んでみるわ、って言ったの。彼にしたらさ、ソープには行けないわけだし、そんなプロの女ではないシロウトさんの初々しさが、またたまらないってわけ」


 「でも突然豹変されても困るしね」


 「それは私が保証するし、社会的地位のある人だから、自らドツボに填まるようなバカな真似はしないわ」


 「保証すると言われてもねぇ」


 う~~ん、


 と蘭が喉を絞ったところで、間髪入れずに山形が片手を立てて、蘭の目の前で指を広げた。


 蘭が、山形の頼みならま、仕方ないか、と傾きかけたのを見て取ったサジェスチョンだった。


 それに陰毛剃り自体学生相手に何度もして、初対面の男子の陰毛も剃ってきたせいか、もう蘭には特別なことをしているという感覚も罪悪感も羞恥心も、薄くなっていた。


 「5000円、じゃないよね・・・5万?」

 蘭はその金額に驚いた。


 「2時間でね」


 「2時間も?」

 今度は、蘭は時間の長さが気になった。


 剃る時間は知れている。


 入って、

 剃って、


 すぐに退場する〈チン毛剃りロボット〉のような訳にもゆくまいが、それにしても時間が長い。


 会話と言ってもどんな会話をあの老人とすればいいのかわからないし、ましてや相手が下半身どころか全裸のままだとすると、想像するだけで気が滅入るというより恐ろしい。


 「話し相手になってあげてよ」


 と、山形は言った。


 「話し相手って言っても、何の話をすればいいのよ?」


 年齢差があるので話といっても噛み合わないだろうし、さらに相手がオチンチンを出したままで、と蘭は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


 山形がそこまで言うからには余程困っているか、山形自身拝み倒されてどうにもならないのだろうし、ダブリュウさんという人も、人間的に保証出来るからだろうと察した。


 「お願い。人間的には保証するからさ」


 この通り、と山形は蘭に向かってもう1度手を合わせた。


 [第3話へ続く]


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