剃りびと 蘭&護(5)蘭の1日  蘭&会社社長

押戸谷 瑠溥

第1話 蘭、一生勤められる職場を探す


 蘭のバイトは3ヶ月を過ぎ、季節は夏の終わりになろうとしていた。


 晃司が50人の学生を集めてくれたので、月イチで10人ずつ今まで2回、その都度蘭は1回のカラオケボックスでの仕事で1晩30万円ほどの利益を手にしていた。


 以前は晃司に使われていたが、今では完全に主導権を握っていて、蘭の方が晃司の人脈を利用して稼いでいるような格好になっていた。


 晃司と会う機会も自然に多くなり、会えば必ず最終的にHまで持ち込まれ、晃司の都合のいい女に成り下がったように見えてはいたが、Hはしても、決して彼の口車に乗ることはなかった。


 あれから晃司は別の大学の学生50人を集めて、同じやり方で〈5分フェラ抜き合戦〉を持ちかけてきたが、蘭は保留した。


 晃司が自分の利益を最優先に考えて動く男だと知っていたから警戒したのと、蘭自身あまり大きく手を広げるつもりもなかったので、そして今の仕事はゲイたちを身代わりに立てているとは言え、学生たちには蘭が直接フェラチオをするという話になっているので、やればやるほど蘭自身の評判を落としていることに遅まきながら気づいたのである。


 その対策として蘭は悪女化粧をして目先を変え、名前も新たに〈香蘭こうらん〉と中国式に変えた。


 それと同時に晃司は〈敗戦剃毛儀式〉の仕事を各大学の運動部から取ってきて、蘭に協力を求めたが、蘭はそれにもイチャモンをつけた。


 晃司が〈5分フェラ抜き合戦〉の頼母子講の親になっている弱みにつけ込んで、〈敗戦剃毛儀式〉のギャラも有観客の際には利益の50パーセント、一歩譲って蘭の取り分40パーセントにまで引き上げることを、交渉したのである。


 〈敗戦剃毛儀式〉のギャラを上げてくれなければ、〈5分フェラ抜き合戦〉もやらないと蘭がヘソを曲げれば、頼母子講の親になっている晃司は子会員から突き上げを食らうこと必至なのを見越して、半ば脅すような形で強引に条件の変更を飲またのである。


 「あの時、私には2万のギャラだったよね。私がクレームを付けなきゃ、1万で済ませようとしていたじゃない。罰を受けた良樹クンでさえ26000円がとこの収入で、晃ちゃんは10万くらい稼いだとか。それはいいのだけれど、実際に汗を流しているのは私なのだからさ、利益の半分を寄越しなさいよ。でなきゃバカらしくて、やってらんないわ」


 「しょうがねぇな。こんな条件を飲まされるなんて、オレも焼きが回ったな」


 「いいじゃない。私は晃ちゃんの精子、いつも飲まされているんだからさ」


 晃司は妊娠を恐れてコンドームをつけるにはつけても、その中での射精を嫌い、直前になってAV男優のようにコンドームを外し、いつも蘭の口中か顔に向けて射精していた。


 蘭も人のいいことこの上もなく、晃司の快楽度のことではあるが、同じように射精するなら空中でカラ撃ちして乳房の上に出すよりは、子宮内に似た口中での射精の方が気持ちいいだろうと想像出来たので、また蘭自身も無理強いされる感覚がイヤではなかったので、それを許している。


 「面白くねぇ、シャレ」


 晃司はそう不満を漏らしたが、手軽に性欲を吐き出せる都合のいい女が身近にいるというそれだけで、蘭は蘭でまだ晃司にその分の貸しがあるという気になっていた。


 月に30万円と、〈敗戦剃毛儀式〉での1回数万円のバイト料も入れると40万円にも届く、しかも源泉徴収なしの収入は魅力だったが、しかしこんなことをいつまでも続けていてはいけないという不安も、蘭の中では少しずつ生じてきていた。


 第1に事後のその後ろめたさである。


 あのどうしようもない、砂を噛んだような後味の悪さは、いつまで経っても慣れない。


 そして第2に、将来を含む社会保障の面である。


 そして第3に学生たちの間で広がっているであろう、〈あの女、すぐにくわえてくれるぜ〉という目に見えない悪い噂も予想できる。


 そんな噂はハワイのゴミが逆回りして日本の沿岸に届いてくるように、考えられないような場所に溜まるものなのである。そしてある日突然、表沙汰になる。


 が、お金が入ればそんな不安はどこかへ飛び去り、それなりに出費も増えてゆく。


 ブランド物のバックに靴や洋服。化粧品だってワンランク上のものを使いたいというのは、人情である。


 それに法の網というものもある。


 どんな法律違反を犯しているのかはわからないが、蘭にしてもやがて結婚をして子供を産み、育てるという人並みの将来設計を描いていないわけではない。


 その時に万がイチ、警察にお世話になった過去があるというのはやはりマズイし、〈あの女知っているぜ〉、と誰かに後ろ指をさされないとも限らない。


 やはり将来のことを考えると、確実に年金が入る大企業に入社するか、公務員になるべきだが、今となってはそのためのスキルも学歴も不足していることが、ネックになっていた。


 或いは完璧に英会話や中国語が出来るとか、コンピューターさえあればCIAへのハッキングもしてみせるわよ、と豪語出来る知識も技術もないのが、自分を売り込めない弱点になっていることに、初めて蘭は気づいた。


 一方、学生たちの間では、〈あの女、くわえてくれるぜ〉、と蘭のことはヒソヒソ話で広まって、その反対側のゲイの世界でも評判になっていた。


 どこから聞きつけてくるのか蘭の携帯に、次のカラオケボックスでの仕事に使ってくれと直接売り込んでくる男まで出てくるようになり、それで蘭は携帯を2台持つ羽目に立たされた。


 そんな思いに行きつ戻りつしていた時、山形から電話で呼び出された。


 月イチの〈5分フェラ抜き合戦〉のゲイ側窓口になっている山形だったが、そのための打ち合わせではなさそうで、何かの頼み事があるとのことだった。


 そのついでに、紹介したい人もいると言う。


 午後イチで銀座のいつものカフェへ蘭が行って、まず彼女が捜したのは山形ではなく、この店で時折顔を見る例のイケメンだった。


 以前何度かこの店で見てなぜか彼のことが気にかかっていて、このカフェへ来るたびに彼の顔を見るのが楽しみになっていた。


 が、例のイケメンの姿は今日もなく、別のイケオジの視線とぶつかった。


 山形の隣には、40代中頃か50前といった年齢の、感じのいい男性がいて、彼の視線とぶつかったのだ。


 今の浮き草のような仕事をしていることに危機感を募らせていた蘭は、地道な仕事をしようと前々から山形に相談を持ちかけていたが、どうやらその話のようである。


 地道な仕事をと言いながら、ゲイに相談するのもどうかと思うのだが、相談する相手は彼しかいなかった。


 父親は一部上場企業の会社員で、高校卒業時に大学進学を勧められたが、美容師への夢を持って美容学校へ進んだので、それ見たことかと言われるのを嫌って、蘭の方から父親には相談し難かった。


 山形と一緒にいる男性は、都内でも高級で知られている有料老人ホームの事務長という名刺を差し出してきて、古橋と名乗った。


 端正な顔立ちをした渋目のいい男で、40代中頃に見える若々しい年齢から受ける印象は頼り甲斐もあり、蘭好みである。


 先日のどこかの会社の社長といい、古橋と言い、こんな男性をゲイの山形が知っているのだから、世間がどういう構図で成り立っているのか、蘭にはつくづく不思議な気がした。


 「君のことは少し聞いた。地道な仕事に就きたいんだって?」


 名刺を差し出された後、いきなり古橋に言われて、蘭は山形の方を見た。


 少し聞いたって、どこまで?

 とその目で蘭は山形に問うていた。


 「美容学校卒業と同時に国家資格を取り、有名美容室でカットの技術を習得して、今はフリーターだということだよ。どこかに就職したいけれど、ずっと勤められる地道な仕事に就きたい。公務員がいい、とそこまで」


 と、山形が男口調で説明した。


 「君に聞きたいのだがね」


 古橋がたずねたので蘭は、


 はい?


 と答えるように彼の方に目をやった。


 テニスでもやっているような陽に焼けた健康そうな顔の中の、太い眉の下の黒々とした目が蘭を見つめていた。


 「本音で話したいから失礼なことを言ったら謝るが、出来ればウチの老人ホームの職員として働いて欲しいのだ。高齢者はこの先もどんどん増えるから人手が足らないし、国家資格を持っている君には主としてそちらの仕事をして貰いたい。ホームの入居者の髪のカットも必要だし、訪問介護先でのそれの希望者も多くいる。そんな正規の労働とは別に、特殊な仕事もやってもらえると有り難いのだが」


 「特殊な仕事って、どんなことでしょうか?」


 蘭は言いながらチラと、山形の顔を見た。


 「年を取っても男というものは女性に興味を持つものだし、女性の裸を見たい。セックスもしたい。また女性の陰毛を剃ってもみたいし、剃られてもみたいという願望がある。セックスは別だが、君の出来る範囲でいいんだ。料金は正規の労働とは別口で支払う」


 「私はそんな処理係ではありません」


 蘭はいきなりそう言われて、ムッとして山形を睨んだ。


 古橋がそこまで言ったからには、山形はめったなことでは公言してはならない部分もバラしているに違いない。


 「じゃあ、やはり公務員がいいのかね?」


 「公務員というよりは、年金がきちんと貰える勤め先です」


 「それならウチの老人ホームも、きちんとした勤め先だよ。給料は一部上場企業並だし、退職金や各種手当てや社会保障まで準じている」


 「でも老人ホームって、いま流行はやりの企業じゃないですか。そんな企業の寿命は20年だって聞いたことがあります。それに引き換え公務員はどんな時代になっても公務員でいられます。30年先の私は50代ですけれど、フツーの会社だと会社自体淘汰され、消滅する恐れがあっても、公務員ならその心配はありません。たとえ共産党独裁政権の暗闇の世界になっても、生き延びることが出来ます」


 「それだったら、ヘアメイクで腕を磨いた方がいいのではないかな」


 「そう思ったのですが、ヘアメイクって自分の腕だけが頼りの一匹オオカミで、それはそれでいいのですが、そこまでなるのが大変なのです。その前に立ちはだかる大ボスがいて、言いなりなのです」


 「公務員がまさにしかり。国、あるいは市町村、職場にも大ボスがいて、下っ端は言いなりに動かなくちゃならない。組織というものは、大なり小なりそんなものなのだよ」


 「それならそれでいいのです。将来の安定を買うようなものですから」


 「やはり公務員が就職先の希望かね?」


 「はい」


 「それなら1つ、いい方法を教えるよ」


 「ぜひお願いします」


 「じゃあ臨時職員からだね。臨時職員ならすぐになれるから、そこから始めるといい。ただし、給料は安いよ。土方どかた人足なら時給もそれなりに高いが、事務仕事だから、法で定められた東京都の最低賃金、時間給1000円少々の日雇い労働だ。20日出勤して14万少々。交通費が付くけれど、税金と各種の社会保険料を差っ引くと、手取りは12万少々。ま、年休は付くが、と言いながら正規の職員になれる保証はないというよりも、干し草の中から針を探すくらい難しい」


 「臨時職員ならすぐになれると言っても、最近は臨時職員でさえ採用に関しては厳しいと聞いています。不渡り手形を掴まされることは、ないでしょうね」


 蘭はこの言い方が自分でも気にいった。


 ビジネスの最先端で、相手と交渉しているキャリアウーマンになったような気がした。


 それに月給のことなら美容師時代、自由意思とは言え、真夜中まで自主練習していた時の手取りは10万円少々だった。


 それに較べればアップしているし、実習生時代には年休があってもなかなか取れなかった、正真正銘いつでも希望出来る有給休暇があるのは、うれしい。


 「君だったら、臨時職員にならすぐになれる。これは保証する。期間は最長3年。だからその間に公務員試験を受けて、通れば晴れて正規の職員に昇格する可能性は高い。給料も地から天にアップする。それまでが下積みということだ」


 下積み?

 蘭は語尾を上げた。


 きたな、

 と思った。


 これが彼らの手口だ。


 高橋よしひろカットサロンの里村トップディレクターが、そうだった。

 ぼくの言う通りにすれば、すぐに鏡をあげるよ、と彼はベッドの中で囁いた。


 鏡というのは自分専用の鏡である。


 客が来れば自分の椅子に座らせる。

 そこには大きな鏡と、専用の洗髪スタッフがついている。

 蘭が里村のその専用洗髪要員だった。


 暫く奴隷になれと言うことである。


 「仕事はそうだな、コピー取りから資料作りなどの、様々な雑用。もちろんお茶くみもある。これをやりながら、本採用にチャレンジする」


 「臨時雇いとして役所で働きながら、試験を受けるということですか」


 「そういうことだ。君のスキルを生かすとすれば、狙うのは高齢福祉課。初めはそうだな、区内の出先機関から老人ホームを回って、様々な意見要望を吸い上げて、処理出来るものはする。出来なければ上へ上げる。それを1年やれば経験者として、うんと役所への門戸は広くなる。その間に、介護やその他の資格を取ることを勧める。君の場合は散髪が出来る資格を持っているから、役所にはそういう技術職の人も必要なのだ。それが1番近道だ」


 「そうかもしれませんね」


 なるほど、

 そういうのもアリかも、

 というより、


 蘭のような中途半端な人間には、その方法しかないのかも、と思っていた。


 さっきはキャリアウーマンになったような気がしていたが、いきなり事務方の仕事を狙うのではなく、高卒なので現場から入って行くそういうやり方も1つの方法だということを知らないのが、世間知らずの甘チャンということなのだろう。


 「それじゃあここへ連絡してみなさい。都内の区役所の高齢福祉課の係長だが、老人の頭を、正真正銘〈頭〉のことだが、散髪してくれる人を欲しがっている」


 古橋は1枚の名刺を差し出した。


 「それからこれは改めて相談だが」

 と、古橋は続けて、


 「都の臨時職員として働きながら、ウチのホームの仕事を手伝ってもらえないだろうか?」


 「仕事次第でしょうけれど、兼業が可能なのですか?」


 蘭はせっかく公務員になるためのヒントを貰った相手に対して無下に断ることが出来ずに、曖昧な返事をした。


 それに彼の言い方は、すでに採用が決まったような言い方でもある。


 「やり方はいろいろあるからね」


 「でも臨時職員って、要はアルバイトじゃないですか。アルバイトが別のアルバイトをしてもいいのですか?」


 「臨時職員だから、別の仕事を持つことが出来るのだよ。じゃあその時にはまた相談するよ」


 古橋はそう言い残して伝票をさっと掴んで、山形に手で合図をして、颯爽と去って行った。



 [第2話へ続く]

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