第4話 一歳児、公開告白する

 赤ん坊は毎日戦場に立っている。


 布団と格闘をし、寝返りを習得した後は、首を持ち上げねばならぬ。でなければ顔が埋もれて苦しいからな。

 そしておすわりをマスターし、離乳食を流し込み、匍匐前進を極めて、栄光のつかまり立ちへと進む。


 この頃に生誕一周年を盛大に祝われた……というのは新聞で見たエミルのことだが、私もささやかながらも温かい誕生日会を開いてもらった。


 そして私は今──聖堂の前に立っている。


 一歳児の前にラスボスを配置するなど、ゲームバランスどうなってんだ?

 だが、このラスボスは幼児の母たちをいとも簡単に陥落させてしまうのだ。


 賜紋しもん式。 

 これは女神の恩寵を受けるための儀式だ。

 そして、聖堂が用意する、精霊の衣装。

 これがもう、超絶可愛くてだな。

 子どもを持つ親ならば、

「きゃー!賜紋式出席したーい!」

 となること請け合いなのだ。


 そして母上も御多分に洩れず、

「精霊の服、ジェレンに着せたーい!」

 と、うきうきで聖堂までやってきたくちだ。


 ……まぁ、私がなんでも似合ってしまう超絶美幼児なのが悪いのだが。


 薄緑を基調とし、淡いピンク色のグラデーションを描いた、ひらひらの絹布。

 花冠は本物の花で作られ、首飾りには小さな精霊石がついている。

 賜紋式で授かった精霊石は、一生のお守りになると言われ、結婚式の際には新郎新婦が交換する、ロマンティックアイテムにもなるのだ。


 よくできた趣向だろう?

 何を隠そう、これらを考案したのは前前前世あたりの私だ。

 得になることがなければ、賜紋式などコアな信者しか来なくなる。それではやがて廃れてしまうからな。


 だが、それが今私を苦しめることになろうとは……っ!


 私の思い描いたビジュアルイメージはこうだ。


 香油の香りが聖堂を満たし、ステンドグラスからは色づいた光がさんさんと注ぐ。


 若くて可愛い新米聖女たちが、祝福の言葉を述べながら精霊の額を触る。

 紋が淡く光り、女神に受け入れられた精霊たちは祝福の園へ行ける……という、美しい光景だ。


 まあ、新米聖女ごときが複雑な紋を読み解けるはずがない。楽勝、楽勝と思っていたら。


 ……おっさん神官どもが来たーーー!!


 待て!私は華やかな絵面がいいと言うたよな?

 おっさんより新米聖女がいいに決まっておろう?

 責任者出てこい!


「あら?ジェレン、病院の先生だわ。これはもう、運命ね!」


 ……メガネ、お前もか。


 医者やら神官やら聖騎士やら、いったい何足のわらじを履いておるのか。


 だが、これは僥倖ではあるまいか。

 あいつの列に並べば、見逃してくれるはず。

 何せ私は、まだ丘から駆け下りていないのだからな。


「せんせ」


「まぁ!ジェレン、お話上手ねぇ」


「せんせ」


「うんうん、先生の列に並びましょうね」


 ふぅ、助かった。


 あ、あいつ、紋の研究してる神官ではないか。

 あっちは測定機器の開発担当だな。


 貴様ら、神聖な賜紋式をなんと心得る!

 そんなギラギラした目で紋を見るな!

 可愛いお姉ちゃんを出せ!


「バルシュ様、こちらへ」


 ……む?

 メガネが可愛いお姉ちゃん聖女に呼ばれてどっか行ったぞ?!


 おいこら待て!

 私がどうなってもいいのか?!

 お姉ちゃんと私、どっちをとるのだ!


「先生、行っちゃったね」


 母上が残念そうに呟く。


「どっちの神官さんがいい?」


 どっちもイヤです!


「や!」


「やーなの?」


「や!」


「じゃあちょっと列から離れて、先生待つ?」


「せんせ」


 だが五分待っても帰ってこない。

 あの野郎、帰ってきたらしめてやる。


 その間にも列はどんどん短くなっていく。


 ……いや、もう待てぬ。


 かくなる上は私が出向くほかあるまい。

 あの扉を超えていったということは……。

 上級執務室の方か。


「あらあらー、ダメよ、ジェレン。そっちは立ち入り禁止って書いてあるわ」


 離してください、母上!

 私にはやらねばならぬことがっ!


 体を捻った途端、ぷちん、と首飾りが外れ、精霊石がころころと転がっていく。それは誰かの足先で止まり、拾われた。


 真っ白なローブに銀糸の刺繍が煌めき、胸元には大きな精霊石。手に持つのは女神の銀杖。

 彼がひとたび微笑むと、若い女性信者のハートをぶち抜く凶器となる。


 これ、法皇代理の……名前なんだっけ。


「ゾラン様だわ」

「うそ、賜紋式にお越しなの?」


 ざわざわと母君たちが騒ぎ出す。

 美形、恐るべし。


「どうぞ、可愛い精霊さん」


 ゾランが微笑みを添えて、私の小さな手に精霊石を握らせる。


 きゃー!と母君たちの黄色い歓声があがる。

 父君たちは、さぞ渋い顔をしていることだろう。


「精霊に女神の祝福を」


 ゾランの手が額に伸びる。


 ……んなっ?!

 誰もそなたに祝福など頼んでおらぬわ!


 私は額を押さえて俯いた。


 ざわざわと動揺が広がっていく。


「あの子、ゾラン様の祝福を拒否する気?」

「しつけがなってないのよ」


 一歳児にしつけもなにもあるか!

 母上を侮辱するでないわ!

 しかし、こんな空気では母上が針の筵に……っ!


「あらあら、まあまあ!ジェレンはそんなに先生のことが好きなのね?!」


 ……なぬ?!


 母上はゾランから音もなく三歩下がり、深く腰を折った。


「申し訳ございません、ゾラン様。この子、病院でバルシュ先生にお会いしてから、それはもう一途にお慕いしておりまして。ですから先生に祝福を授けていただきたいのです」


 それは、誤解ですぞ!母上!


 がばっと顔を上げると、きょとんとした顔のゾランと目があった。


「バルシュが好きなのかい?」


 母上はじめ、聖堂中が私を見ている気がする。

 これ、頷かないとダメなやつでは……。


「せんせ、しゅき」


 一転、聖堂内の空気が祝福に染まる。


「可愛いー!」

「おませちゃんねぇ」


「まあ!二語文!ジェレン天才!」


 ……母上、やっぱりあなたズレてませんかね?


「だ、そうだよ、バルシュ」


 ゾランが二階の回廊に声をかけた。


 はぁ?!


 弾かれたように見上げると、メガネと目が合った……ような気がした。赤ん坊の視力ではよく見えん。


「何か、仰せになりましたか?猊下」


 助かった!私の告白、聞こえてなかった!


「この子、君のことが大好きなんだって」


 言うなぁぁぁぁぁあ!!


 しかも"大好き"とか、盛るでないわ!


「そっちの仕事はいいから、祝福してあげなさい」


「……承知いたしました」


 皆が固唾を飲んで見守る中、メガネが私の額に手を当てる。


「精霊に女神の祝福を」


 ゾランが覗き込もうとするのを背中で遮り、紋が浮かぶとすぐに手を離す。


「ようこそ、女神の園へ」


 そしてさようなら、女神の園。

 さて、帰るか。


 踵を返そうとして、聖堂が拍手に包まれた。

 やめろ、やめてくれ、私はこんなところで目立ちたくないのだ!


「そうだ、君の昇叙式の精霊役、この子に頼むといい」


 ゾランがいらんことを言い出した。

 おい、メガネ、考え込むな。今すぐ断れ。


「どんな衣装なんですか?先生」


 母上!


「そうですね、小さな聖女といったところでしょうか。女神の園で成長し、聖女になる精霊がモチーフですので」


 おま、そんなこと言ったら食いつくに決まっておろう?ボロ雑巾とでも言うておけ!


「まあ!それはきっと可愛いわ!」


 ほらー!!


「ジェレン、先生の精霊さんになれるのよ?嬉しいねー」


 ぐぬぬ。


 母上の期待に満ちた目。

 ゾランのいいことをした感。

 メガネの不安そうな、それでいて何かを訴えるような眼差し。


 それらの圧力に私は屈した。


「……うれちぃ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、私はつぶやいた。

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今世は恋に全振り希望! ~赤ん坊から始まる聖女バレ回避ライフ~ 為ヶ井ユウ @borderMID

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