第3話 再会は、乳児室で
はっ、と目を開けると、そこは病院の一室だった。
消毒薬の匂いに白い天井。間違いない。
ならば、命は取り留めたということか。
ほっとして、小さく息をつく。
これで母上を泣かせずにすむな。
しんとした部屋に、赤ん坊の泣き声が響く。
首をひねって様子をうかがうと、たくさんのベットが連っていた。
……これだけの赤ん坊が入院しているということか。
ご両親の心配たるや、いかほどであろうか。
その時、頭に声が流れ込んできた。
(あー、また失敗しちゃったなぁ。赤ん坊の限界がわからないや)
……む?
これは思念伝達ではないか。
しかも今、赤ん坊とか言うてなかったか?
(魔力を集めるのも一苦労だよ。一歳半健診までに間に合うかなぁ)
こいつ、私と同じことを企んでおるではないか。
どこだ?どこのどいつだ?
部屋を見回したいが、寝返りができぬ……っ!
くそ、いちかばちか、こちらも送ってみるか。
(あー、あー、そこの君。聞こえておるか?)
(うわ!びっくりした!もしかしてこの病室にいるの?)
(そうだ。そなた、一歳児健診の紋判定をごまかそうとしておるな?)
(えっ、君も?奇遇だねえ)
奇遇ではあるが、私にはこいつの正体がもう分かっていた。そして、こいつも恐らく気付いている。
(前職の管区と職位を聞いてもよいか?)
(その聞き方、もうバレてない?……君は、大聖女だよね?)
(そなたは法皇だな。私の死ぬ数ヶ月前に葬式をしたが……あれは面倒でならん。頼むから私より先に死ぬな)
(僕だって大聖女の葬式なんてしたくないよ。葬送の言葉、テンプレでいいなら楽なんだけど)
「ジェレン!」
おっと、母上だ。
ふわりと体が宙に浮き、温かい胸に抱き寄せらせる。
「心配したんだからね」
涙がぽたりと頬を伝い、私の薄い頭の上に落ちる。
私も泣きそうになったが、赤ん坊が泣いては心配をかけるだけだ。
だから、涙をこらえて「あぅー」と笑った。
「先生、ありがとうございました」
母上が私を抱いたまま、頭を下げる。
「いえ、ただの魔力酔いです。とはいえ、普通は赤ん坊がなるものではないのですが……」
先生が私の顔をじっと覗き込む。
……む?!
なんかこいつ見覚えが……。
四角いメガネがきらりと光り、その瞬間、記憶が鮮明に蘇る。
こやつ……メガネではないか!
ということは、ここは聖堂の病院か?!
てかこいつ、なんかムキムキになってないか?
「不思議なことに、同じ症状の赤ん坊がもう一人いるんですよ」
メガネは私の隣のベッドから、青い産着の赤ん坊を抱き上げた。
私と前法皇は抱っこされたまま顔をつき合わせ、へらりと愛想笑いを浮かべた。
「あら!二人でにこにこしてるわ。これはもう運命ね!ジェレン、この男の子はきっと未来の旦那様よ!」
……やめてくれ。
何が悲しくて法皇と添わねばならぬのだ。
私は心機一転、素敵な恋がしたいのだ。
見ると、前法皇も明らかに不満そうな顔を浮かべている。
わかる、わかるぞ。
だが、そなたは喜べ。ムカつくから。
「ジェレン、エミル、君たちは魔力を引き寄せすぎです。赤ん坊は、ただ大人が小さくなった存在ではありません。無理に引き込めば臓器に深刻なダメージを与えかねません。お分かりですか」
ちっ、えらそうに説教垂れおってからに。
あの鼻垂れ小僧が偉くなったもんだわい。
(これさぁ、もうバレてるよね、バルシュに)
……バルシュ?
おお、メガネの名か。初めて知ったぞ。
ん?バレてる?……のか?
……確かに、赤ん坊に直接説教する医者がどこにいる。
母上がきょとんとしておられるではないか。
「魔力を引き寄せる……?」
「はい。稀にそういう子どもがいるのです」
さらっと嘘つくな。
しかし、こいつ分かった上で黙ってくれているのか?それとも油断させておいて、退路を絶った上で一網打尽にする気か?
(敵か味方か、まだわからないね)
エミルの探るような目がバルシュに注がれる。
「あら、その視線、焼きもち?うふふ、先生もかっこいいものね。ジェレン、年上もいいわよ」
母上、あなたの頭の回路はどうなっておられるのか。
おい、メガネ。満更でもない顔をするな。
「ともかく、赤ん坊の体の許容量は小指程度です。小指」
メガネの小指が私の小指に絡む。
これは脅しか?
約束破ったら針千本飲ます気だな?
「二、三日様子を見て、大丈夫であれば退院の許可を出します」
「はい、よろしくお願いいたします。ジェレン、夜にまた泊まり込みで来るから安心してね」
母上が去り、メガネが急患対応に呼び出され、私とエミルは、これ幸いと小指に集中した。
魔力がじわりと集まり、体の中にぽたりと落ちる。
(果てしないな……)
(でも、どうにか一歳半健診を乗り越えないとね)
(そなた、法皇にならず、何かやりたいことがあるのか?……恋か?)
(恋って……。いや、単に違う人生を歩んでみたくてね。法皇、法皇、法皇、法皇、たまに聖女だったからさ)
そういや、私が法皇をした時は、こいつが聖女だったな。私は信徒への説教が大嫌いで、こいつは地味な結界構築が嫌いだったせいか、次からはまた戻ったが。
その時、不穏な気配が迫る感覚に、私は身じろぎをした。
「急性期を超えたら、個室を用意してくれと伝えたはずだが」
低く、威厳をまとう声。
看護士のお姉さんが慌てて乳児室を出ていく足音が聞こえる。
小さく舌打ちをして、エミルのベットに近寄る、苛々とした足取り。
「まったく、指示は一回で覚えろ」
なんだ、このヤな感じの奴は。
ベッドの上からじーっと見るも、赤ん坊の視力ではよくわからん。
「だいたい、なぜ私がこんな瑣末な用事に関わらねばならんのだ」
瑣末だと?赤ん坊の危機は、国家の危機と心得よ!
それより、こんな言い方されるとは、エミルはどんな家に産まれたんだ?
(これ宰相だよ。覚えてない?)
……む?
ああっ!思い出した!
国家神事の時は必ず出席しておったな。
黒髪の男前だ、確か。
だが、宰相自らわざわざ来るとは、まさかこいつ。
(僕、王子なんだよね)
はぁぁぁぁぁぁあ?!
ふざけるな。元聖女が一般庶民に転生し、元法皇は王子さまだと?!
つまり法皇の方が格上ということか?!
くっそ、二度と聖女なんかしてやらんからな!
(うわぁ、ものすごい怒りのオーラ)
(今に見ておれ、私が話せるようになったあかつきには、貴様を聖堂に売ってやるからな!)
(その時はもれなく君も身バレするけどね)
(卑怯なり!)
(僕らは一蓮托生なんだよ)
くそが!
いや、しかしこいつが王子ならば、素敵男子を紹介してもらえるかもしれんな。
(今、打算が働いたよね?)
(エミル、私とそなたは戦友だよな)
(調子いいなぁ)
「お部屋、整いましてございます」
看護士のおどおどした声がかかる。
「ならばお連れしろ」
宰相の黒いマントが翻り、なぜか聖堂の重たい香りが鼻先をかすめた。
こやつ、聖堂に行っていたのか?
そんな熱心な信者だったかのぅ?
ふと、視線を感じた。
ぼんやりとした視界の中で、黒だけが際立つ。
なんで、こっちを見てるんだ?
可愛いからか?
よし、特別に笑ってやろう。
「だぁ」
「……へらへらしやがって」
香りを残して、宰相が立ち去る。
…………。
はぁぁぁぁぁぁぁあ?!
◯ね!!
◇◇◇◇◇
……ヒマだ。
小指に集めて、ぽとん。集めて、とぽん。
いつになったら溜まるのだ。
エミルは特別室に行ってしまったし、魔力集めは地味でつまらんし。
メガネでいいから、来ないかのぅ。
「まだ、やっておられるのですか?」
おお!念ずれば通ず!
「あーあー、うーあ、うわーぅ」
鬱憤を晴らすようにあうあう言うと、そっと首を支えられて、抱き起こされた。
「なんと仰せか分かりませんが……おむつは大丈夫そうですね」
おいこら!乙女の尻を叩くでないわ!
「暇なんですか?」
「あぅ」
「ふむ。ガラガラとおしゃぶり、どっちがいいです?」
そんなもん、いらぬわ!
「あぅあ!」
「相変わらず、わがままでいらっしゃる。……では、少し歩きましょうか」
メガネは私を抱っこしたまま、乳児室を出た。
廊下を抜け、階段をとんとん登る音がする。
扉の軋む音がして、春風が吹いた。
私の薄い髪がふわりとなびく。
なんと、見事な夕焼けか。
いや、ぼーんやりとしか見えないが、遮るもののない美しいグラテーションが目の前に広がっている。
メガネが、ふっ、と笑う気配がした。
「あれから聖堂騎士団に移籍いたしまして、体を鍛えてまいりました。今なら聖下を抱きとめられますよ」
こいつ、もちっと筋力をつけろと言うたこと、気にしておったのか。
まあ、期せずして遺言みたいになってしまったからな。
「あうーぁ、あー」
手を伸ばして胸筋に触れてみると、なるほど、分厚くなっておる。上出来だ。
「丘を駆け下りて、抱きとめられたいのですよね?」
いかにも。
「もう、大丈夫ですよ」
何がだ。
「走れるようになったら、丘へ参りましょう」
……いや、私は恋人に抱きとめられたいのであってな?
二歳で丘を駆け下りても、ただの"あんよが上手"案件だろうが。しかもどうして相手役が貴様なのだ。
「お話ができるようになったら、他のご希望も聞かせてくださいね。全力で対応いたします」
私、恋がしたいと言うたよな?
話聞いてたか?
「さぁ、部屋へ戻りましょう。夜風は体に障りますからね」
待て!
そなたは間違っておる。
私が欲しいのは忠誠心ではなく、恋なのだ!
話を聞けーーー!!
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