第2話 転生聖女、まずは健診対策から

 私は知っている。

 新生児の健診では紋の判定はなされない、ということを。


 危ないのは一歳半健診と三歳健診だ。

 これは法定健診で、必ず受けなければならぬものだ。もちろん赤ん坊の健康状態や発育を確かめるのが主目的なのだが、ここに聖堂が一枚噛んでいる。


 赤ん坊の紋を解析して、

「この子は魔術師に向いてますねー」だとか

「この子は学者タイプですねー」だとか、

 子どもの将来を案じるご両親に、伸びる方向を伝えるのだから、ウケがいい。


 だがその裏で"聖紋"を探していることは、公然の秘密だ。

 聖女と神官になり得る人材を赤ん坊の頃から発掘して、蛇のように絡めとっていくのだから、タチが悪い。


 まあ、普通の聖女と神官ならそれでもいい。

 就職先に困らないのだから、歓迎されるだろう。だが、大聖女や法皇クラスともなると、親から引き離して聖堂で育てようとするからな、あのクズども。


 しかし何度も転生した私の知識を持ってすれば、聖紋を隠すことくらい、お茶の子さいさいだ。

 簡易紋計測機は魔力の干渉を受けやすい。

 つまり、計測される瞬間にこちらの魔力をぶつければ、測定結果を偽装できるのだ。

 本来なら赤ん坊は魔力などほぼないから問題ないのだが、私はこれからの一年で魔力の底上げを目指す。

 そして「この子は魔術師に向いてますねー」をゲットするのだ。

 なんと見事な計画であろうか。


 さて、ミルクを飲んでげっぷをしたら始めるか。


 ◇◇◇


 ……これはいかん。

 腹がふくれたら、そのまま寝てしまった。恐るべし、赤ん坊の体。


 さて、気を取り直して魔力を上げるとしよう。


 む?

 なんだかおむつが冷たいぞ。


 しまった、粗相してしまったか。

 母上! おむつの交換をお願いします!


「うえぇぇぇぁぁぁん」


「あらあら、おっきしたの? おむつがパンパンね。今、交換してあげますからねー」


 ……さて、すっきりしたところで、魔力だ。


 まずは空気中に漂う魔力、聖力、神力を選り分けねばならん。

 だが心配は無用。私レベルにもなれば、赤・青・黄を分けるも同然。児戯にも等しい行為よ。


 指先に魔力を集め、体に取り込む。


 だが――待て。

 ……くっ、指が開かぬ。


 どうして赤ん坊の手は、常にぐーなのだ? 解せぬ。


 ならば足の指でやるしかあるまい。

 ぬっ、布団が絡まって蹴れぬ……。


 おのれ、致し方あるまい。

 少し高度だが、額の中央に集めるか。


 むむむ。


「あらー、難しい顔してまちゅねー。うんちですかー?」


 は、母上!

 私は今、真剣に……!


「さあ、ミルクの時間ですよー。いらっしゃい」


 以下同文。


 ◇◇◇


 三ヶ月が経ち、私の指は開くことを覚えた。


 ふはは。

 これで魔力を集め、聖女堕ちルートを回避してやるわ。


 それにしても、なんと愛らしい紅葉の手か。

 このぷにぷにのおててが魔力を取り込んでいるとは、誰も思うまい。


「あらー、ぐっぱが上手でしゅねー」


 母上!

 そのように指を差し込まれては……!


 くっ……!

 反射的に握ってしまった……!


「可愛いー」


 ですよね?!

 知ってますよ?!


 ですから、この可愛らしい私が聖堂に拉致されぬよう、母上のお力添えを賜りたく……っ!


「あら? なんだかお顔が赤いわ? ……まあ! 熱があるじゃない! おおおおお医者様!」


 母上、焦りすぎです。


 だが……いささか頭がくらくらするな。

 いや、これはだいぶ……ヤバいかもしれぬ。


 私はまた死ぬのか?


 恋のできる年齢にも至らず、誰にも愛されず。


 ……いや、母上。

 あなたがおりましたな。


 あなたの無償の愛に包まれて、私は幸せでした。

 先立つ不幸を、お許しください。


 ◇◇◇


 ……これは、夢か?

 それとも記憶だろうか。


「聖下、そのように力を使われては、徒にお命を削るだけでございます」


 うーん。

 誰だっけ、このメガネ小僧。


「うるさいわ、このメガネ! 誰も代わってくれぬのだから、仕方あるまい。ならば、さくっと死んで、次こそは幸せに生きるのだ!」


「聖下は、幸せではないのですか?」


「当たり前だ。来る日も来る日も結界を張り続けて、何の楽しいことがあろうか?」


 皆が居酒屋へ行く時も、私だけ誘われんしな。

 いや、分かるぞ? 上司がいては仕事の愚痴も言えんからな。

 だが私も愚痴りたい!

 聖女なんてクソ食らえだと、叫びたいのだ。


「では、聖下が転生されましたら、何をなさりたいのですか?」


「ふむ。それは決まっておる。私は恋をしてみたいのだ。草の揺れる丘を下り、恋人に抱き止められるのが夢だ」


「…………」


「今、こいつ阿呆だと思っただろう」


「滅相もございません」


 ちっ。

 どいつもこいつも、乙女の夢を分かっておらぬ。


 草原ハグ、相合傘、ポッケの中の手繋ぎ。

 どれもこれも最重要事項であろう?


「……委細、承知いたしました」


 ……何がだ。


 おっと、体がふらついてきた。


「聖下!」


 私は、メガネ諸共、床に倒れ込んだ。


「そなた、もちっと筋力をつけねば、女子を抱き止めることができんぞ……」


「申し訳ございません」


 まあ、よいか。

 一人寂しく死ぬよりは、こいつでもいた方がマシだ。


 私は、メガネの手をきゅっと握った。


 ああ、もう意識が薄れてきた。

 目も見えぬ。


「聖下……!」


 最期に聞こえたのは、メガネの涙声だった。

 泣いてくれる奴も、いたとはな……。



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