読書好きの吸血鬼

藤泉都理

読書好きの吸血鬼




 金木犀の甘い薫香に誘われて、あまねは初めてその公園に足を踏み入れた。


「かしわばあじさい。どうだんつつじ。なつはぜ。なんてん。にしきぎ。ぶるーべりー。まるばのき。いろはもみじ。かつら。そめいよしの。なんきんはぜ。はなみずき。いちょう」


 紅葉する木々の名前をゆっくりと口にしながら、ゆっくりと歩き続ける。

 ほどよい日光にほどよい冷風に、いい季節だなあと目を細めて。

 頭上に広がっては地面に舞い落ちる様々な色の紅葉に心を躍らせて。

 ゆっくりゆっくり、ゆっくりゆっくりと歩くも、甘い薫香を舞わせ続ける金木犀を見つけられず。

 十二分に癒されたからいいかと。

 一休みしていたベンチから立ち上がろうとした時だった。

 本の頁をめくる音が確かに周の耳に届いたのである。

 周の身体は勝手に動き、本の頁をめくる人をその銀色の瞳に映していた。

 漆黒の星。

 周の頭に浮かんだ言葉だった。

 漆黒だというのに、眩い光を放ち続ける不思議な星のような人だった。

 否、自ら光を放つ恒星ではなく、惑星。

 周囲の木々からの木漏れ日を受けて、吸収して、眩い光を放っているのだ。

 手足が長く高身長で華奢な印象を与えながらも、容易には近づけさせない重たい空気を纏っていると感じさせているのは、その漆黒の髪と漆黒の大きな瞳がもたらしたものなのだろうか。


 いちまい、また、いちまいと。

 その人が本の頁をめくる音が確かに届く。

 けれどそれは今この刻に限って周の耳がよくなったからではないと、周は自信を持って言えた。

 あの人が全身全霊で本と向かい合っているからだ。

 あの人が心の底から本を味わっている、堪能しているからだ。

 吸血鬼ならぬ吸本鬼みたいだ。

 ふとそんな感想を抱いた時だった。

 あの人が周を見ている事に気付いた周は、しかし慌てふためく事もなく、冷静沈着に浅くお辞儀をしては本心を口にする事にした。


「読書の邪魔をしてしまい申し訳ありません。あなたの本をめくる音が聞こえてきてしまうくらいに、あなたの本を読んでいる姿があまりに素敵で魅力的でついつい見惚れてしまいました」

「それは嬉しい誉め言葉だ。ありがとう」

「私はもう立ち去るのでどうぞ読書を続けてください。お邪魔をしてしまい本当に申し訳ありませんでした」

「いや。ちょうど一休み入れようとした時に君と視線が合ったんだ。そんなに足早に立ち去ろうとしなくていい。これも何かの縁だ。もしよければ少し話さないか?」

「それは素敵なアイディアです。温かい飲み物があればもっと素敵になると思うのですが、どうでしょうか?」

「公園の出入り口近くにキッチンカーが止まっていたな」


 立ち上がった人は読んでいた本をショルダーバッグに入れると、行こうかと周に言うので、はいと言って、周はその人と歩調を合わせて歩き出したのであった。











 月影つきかげと周と。

 お互いに名前を教え合ったあの日から、どれほどの季節が巡ったのだろうか。

 あの日と同様に外出に、読書するのに心地よい季節になった。

 あの公園で月影はベンチに座って読書をしていた。

 周もまた月影の隣に座って読書をしていた。

 吸血鬼だと、月影が正体を明かしたのはいつだっただろうか。

 吸血鬼だけれども、血を欲した事は一度もなく、読書をしているだけで心も肉体も満たされていると教えてくれたのもいつだっただろうか。

 周が公立図書館の司書だという事も。

 月影は周を認知していたという事も。

 いつか話してみたいと思っていた事も。

 そう。あの日。一緒にキッチンカーで買った生姜入りのココアを飲みながら、話したのである。黄昏までは公園で話して、宵は個室の落ち着いた料理店で話して、そして、真夜中は、月影のマンションの一室で月影が買い集めた本を共に読み続けたのである。




 いつになったらあなたは私を眷属にしてくれるのでしょうね。

 周は本に夢中の月影の横顔を見つめては、苦笑を溢した。


「何だ?」

「いえ。あなたの本を読む姿に飽きる事はないなあと思いまして。無表情なのに本を読んでいる時はなんて感情がふくよかなのかなあと思いまして。いついつまでもあなたは素敵だなあと思いまして。幸福感に浸っていました」

「………君は本当に俺の事が大好きなのだな」

「ええ。知っているでしょう」

「知ってはいるが、常に上書きされる。上限がない」

「それはそうです。上限などありはしません」

「そうか」

「どうぞ。読書を続けてください」

「………ああ」


 困ったな。

 月影は読書に集中してしまう前に、周の事を考えた。

 周は人間である。

 寿命が訪れる前に眷属にしてしまわなければ、とても速い別れを迎える事になる。

 それは嫌だ。

 もう共に暮らしている。一生を共に歩んでいきたいと思っている。

 動作はいつもゆっくりと、丁寧に働いている姿を目にした時から本当は。

 銀色の瞳に銀色の長髪、長い手足に高身長の華奢な姿に似合わず力持ち、天上に煌めく星々のように人を強く惹きつけるも、急かす事はなく、ゆっくりゆっくりと、丁寧に人と向かい合う。本にも向かい合う。何事にも向かい合う。

 ゆっくりゆっくり、ゆっくりゆっくりと。


 甘えてしまう。

 まだ読書に集中していていいと言葉をくれる周に。

 甘えて、読書を続けて、ふと、手の触れられる距離に周が居てくれる事に多幸感を抱いて。

 甘えてしまう。


(………読書だけで充たされていたというのに、)


 月影は犬歯に甘い疼きを感じては苦笑を溢したのち、読書に集中する事にしたのであった。


(もう少し。もう少しだけ。このままで、)











(2025.10.30)



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読書好きの吸血鬼 藤泉都理 @fujitori

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