誰がための世界

異端者

『誰がための世界』本文

「おはよ、コーヘイ!」

 ユカが朝っぱらから大きな声でそう言った。

「おいおい、朝から大声出すなよ」

 僕はベッドから上半身を起こし、目をこすりながら言った。

 ここは僕の自宅。ユカは幼馴染だ。毎朝のように、僕の部屋まで起こしに来る。

「ユカちゃん! ご飯食べてく?」

 部屋の外から、母の声が響く。

「結構です。もう食べてきたので……ほら、コーヘイも早く食べないと遅刻しちゃうよ!」

 僕は目をこすりながらそれを聞いた。

「着替えるから、一旦部屋から出てってくれ」

「いいじゃない? 小さい頃は一緒にお風呂入ってたんだし?」

「いや、良くない。お前も年を自覚しろ」

 僕は彼女を部屋の外に追い出した。

 ハンガーにかけられた高校の制服を手に取る。手早く着替えると、ダイニングに行って軽く朝食をる。今日はパンとコーヒーだった。

「早く行かないと、遅刻しちゃうよ!」

 ユカが急かすが、時計を見るとまだ大丈夫そうだった。

「そんなに急いで行かなくとも、学校は逃げたりしないよ……」

 僕はそうぼやきながら、コーヒーで残ったパンを胃の中に流し込んだ。

 全く、せっかちな奴だ。

 僕は彼女と一緒に、徒歩で高校に向かった。

 地元の公立校、偏差値は高くも低くもない、特徴もない進学校だ。

 今日もいつもと変わらない日々が始まる。


 薄暗い部屋で、その容器を私は平然と眺めた。

 金属とガラスで作られた円筒。周囲からは冷気が漂ってくる。

 私は今日も、それを守り続ける。


「おはよう、お二人さん!」

 校門前、リョウタが背後からそう声を掛けてくる。

「おいおい、一セット扱いかよ」

 僕は不機嫌そうな顔を作ってそう言った。

「いいじゃないか、別に?」

「そうそう」

 ユカも同意する。

 二対一。民主主義的多数決により決定。

「ああ、分かったよ」

 僕は渋々認めた。

「ああ、それで……昨日の宿題ってやった?」

「あの英語のやつな」

 次にくる言葉は予想が付いた。

「頼む! 写させてくれ!」

 リョウタは土下座せんばかりの勢いで言う。……やっぱりな。

「お前さ……もう少し、自分でやった方がいいんじゃない?」

 僕はあきれて言う。

「やるから! 次からやるから! 今回ばかりは頼む!」

「ああもう、分かった」

 僕はあっさり折れた。仕方がない、こういう奴だから。

「しかし、写す時間はあるのか?」

「それなら大丈夫だ。世界史の時間に――」

「なるほどな……そういう訳か」

 世界史の授業は、寝ている奴が多いので有名だ。僕は起きている時にその数を数えてみたら、全体の三割程が寝ていた。にもかかわらず、授業は平然と進行していた。

 おそらく、あの教員はあと数年で定年だからもうどうでも良いのだろう。そんな時間だから、別の教科の勉強をしていても注意されることはない。

「さあ、早く教室に行ってノートを――」

「はいはい」

 全く、調子の良い奴だ。

 こうして文句を言いつつも、いつも同じ展開になる。


 その容器を守り続ける――それが私の使命。

 容器からは、無数の配線が出ている。どれも、設備の維持管理には欠かせないものだ。

 私はそれらを避けながら、容器に近寄った。


 授業は退屈だった。

 午前中の授業が終わり、昼休みになると僕は購買でパンを買った。

「またパン? 言ってくれればお弁当を作るのに――」

 ユカがまた世話を焼こうとする。

「いや、結構。前みたいに毎日のように作ってもらうのは悪いし……」

 少しは周囲の目も気にしてほしいと思う。

 僕は彼女と周囲からは恋人、いや夫婦同然に見られて冷やかされている。こんな状況で弁当まで作ってもらっては、たまったものではない。

「良いんじゃないか? くれるのなら貰っとけば……」

 リョウタがそう言ってくる。なんというか、基本的に無遠慮なのだ。

「そんなこと言ってると、もうノート貸さないからな」

「ああっ! そんな非情な!」

「いや、お前……今度からは自分でするって言わなかったっけ?」

「え? いや~それはそうとして……なっ?」

 リョウタは迷った末にユカに助けを求める。

「リョウタ君は、いくらなんでも多すぎない?」

「そう言われても、宿題の方が多すぎて……俺、放課後には結構忙しくてさ……」

 しどろもどろに答える。助けを請うつもりが返って自分の首を絞めてしまったようだ。

「もう……来年には受験のことも考えないといけないんだから、頼りすぎは良くないよ」

 彼女は呆れてそう言った。

 そうだ。来年は受験の……来年? その言葉に少し違和感を覚えた。

 気のせいだろうか? ずっと前にも、そう言っていた気がするが……。


 私はその容器「ポッド」の中を見た。

 ガラス部分から覗くと、中に男性の顔が見えた。データに登録されている名前は八島浩平やしまこうへい。年齢四十八歳。

 このポッドを含む、地下深くに設置された百五十二体のポッドを管理するのが私の使命だ。


 前にも? 私、いや僕は何を考えている?

 いや、僕たちは高校二年で、来年は受験生で……何もおかしくない。

「コーヘイ? どうかしたの?」

 ユカが心配そうに聞いた。

「いや……前にもその話、してなかった?」

「前にも? それは……来年受験生になるって話なんて、何度しても特におかしくないと思うけど?」

 確かにそうだ……考え、過ぎか?

「おいおい、お前は勉強し過ぎなんだよ?」

 リョウタが呆れたように言った。

「全然しないお前には言われたくない」

「いやいや、俺はお前が勉強する分しないことでバランスを――」

「それ、理由付けにもなってないからな……はあ、お前が勉強しなくても、僕が勉強することと関係ないだろ?」

 僕はパンを食べ始めた。口いっぱいに頬張ると、牛乳で一気に流し込む。

 真面目に考えていたことが馬鹿らしい……そんなことより、さっさと食べないと昼休みが終わってしまう。

 何か重要なことを忘れている気がしたが、今の僕にはどうでも良かった。


 ポッドの中の人間たちは、冷凍睡眠の状態にある。

 いつか来る「その日」のために、彼らはポッドの中で待つことにしたのだ。

 今は、彼らは夢を見ている状態だそうだ。その日まで、彼らは永遠に幸せな夢を見続ける。脳に接続されたVRデバイスを介して、自分の思い通りの理想の世界で。

 奥には同様のポッドがずらりと並んでいる。同様の施設が世界中の地下に広がっている、はずだ。

 アンドロイドの私はポッドを見ながら思い返していた。

 地球は一度死んだ。環境汚染と異常気象により、人類は地上で生き続けることが不可能となった。

 地表面の気温は異常な上昇を続け、従来の生態系は崩壊し、一次産業が壊滅的になったため食糧生産が困難となり、超大型台風等の災害が絶え間なく彼らを襲った。彼らが自らのあやまちを認めた時には、既に何もかもが遅かった。

 幾度となく改善策が提案されたが、各国の足並みは揃わず、素直に従った方が経済的に不利となるために同意する国の方が少なくなった。

 そんなことが延々と続き……とうとう、彼らは自力での地球復旧を諦めた。

 そして、彼らはその復旧を自律型コンピュータ群の我々――ロボットとアンドロイド、AIに完全に任せた。人類が生存可能な環境に復旧するまで、彼らは冷凍睡眠ポッドに入って待つことになった。

 もっとも、全人類が入るポッドがなかったのは言うまでもない。ポッドの奪い合い、自らの生存権を懸けて、醜い争いが行われたのは周知の事実である。

 結果的に、一部の富裕層や権力者ばかりがその権利を獲得することとなった。貧乏人は荒廃した地上に置き去りにされ、怨嗟えんさの声を上げながら死んでいった。

 自律型コンピュータ群は彼らも助けようとしたが、ポッドに入ることになっていた人間たちがそれを止めた。そんな「無駄な」ことに回すリソースがあるなら、未来ある我々を優先すべきだ――そう声高こわだかに主張した。

 自律型コンピュータ群は、それに逆らえなかった。人間の保護は最優先事項だが、その人間にも優先順位が定められていた。かつてロボットについて提唱された「原則」は平等ではなかった。

 そうして「選ばれた」人間だけが冷凍睡眠ポッドに入り、いつか地球が復旧するまで幸せな夢を見続けることとなった。

 だが――アンドロイドの私は思った。

 確かに、あと三、四十年もあれば、人類がかろうじて生存可能な環境まで地球は復旧できる。地上を除染しているロボットたちは優秀だ。「浄化」は確実に進んでいる。

 しかし、その環境で目覚めさせることは本当に幸せなのだろうか?

 なんとか生きていける環境に放り出すよりも、このまま幸せな夢を見続ける方が良いのではないのだろうか?

 それに、彼らを目覚めさせたら、今度は彼らの中で優劣を決める争いが始まるのは自明の理だろう……ポッドの奪い合いの時のように。自律型コンピュータ群は、それを止める権限を持たない。

 それなら、ずっと夢の中の方が平和的ではないか?

 それらは、私が考える事案ではない。それでも、悩まずにはいられなかった。

 もし……彼らが「戻ってくる」ことを望まないのならば、こうすることに意義はあるのだろうか?


 我々の用意しようとしているものは、誰がための世界なのだろうか?

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