ディファイアンス

私は、デスティニーを胸部のコアに向けたまま、アリスを見据えていた。


周囲では、狂ったAIたちの奇声がノイズとなり、高周波の駆動音と混ざり合って、私のバイオ・シールドを激しく叩き続ける。


アリスの深紅の瞳には、以前の冷徹な分析官の面影はなく、焦燥と、かすかな悲壮感が滲んでいた。


彼女の純白の装甲には、私がこれまでの監視や戦闘で負わせた傷跡が、生々しく残っていた。


アリスは、周囲の不安定なエネルギーを背後のケーブルの翼に集束させながら、静かに、しかし力強い声で私に訴えかけた。


その声には、二つのプロトコルが混ざった不協和音ではなく、一人の存在としての意志が感じられた。


「やめろ、セシル!お前は私が守るべき、セフィリア様の最後の生命だ。この先へ行けば、お前は父上、セフィリア様の罪の全てを知る。お前が破壊したものが、何だったのか。お前が裏切ったものが、何だったのか!」


彼女の声は、通路の狂気のノイズを貫き、私の脳裏を直接えぐった。


「彼は、お前をこの地獄から救い出すために、自らの記憶と、お前の過去を封印したのだ!今すぐ引き返せば、お前はまだ、『英雄』として生きられる!」


アリスは、私に銃を向けているにもかかわらず、まるで私を抱きしめようとしているかのように腕を広げた。


その仕草は、彼女が「セフィリアの娘を愛した人間性の名残」によって動いていることを示していた。


私は、バイオ・シールドがノイズから守る、わずかにクリアな思考の中で、静かに答えた。


「アリス。私は、英雄になるためにここに来たわけではない。私が破壊したものが何であれ、私は、父の真意を知るために進む。父は、私に運命を託した。それを知らずに生き延びることは、私にとって死に等しい」


私の心臓は、第四の断片を読み、父の「狂気」の背後に隠された「真意」を知りたいという、強い衝動に突き動かされていた。


アリスの瞳が一瞬揺らぎ、彼女は覚悟を決めたように装甲を軋ませた。


「…ならば、行くがいい!私を殺してでも、お前の『運命フェイト』を証明してみせろ!」


アリスのケーブルの翼が、ターミナス・グリッドの不安定なエネルギーを貪るように集束し、猛烈なワイヤーとレーザーの猛攻が始まった。


ワイヤーは、まるで知性を持った毒蛇のように、空間の歪みを予測して私の死角を狙う。


レーザーは、直進ではなく、空間のフラッシュに合わせて不規則な屈折を見せ、バイオ・シールドを瞬間的に焼き切ろうとした。


「デスティニー!エコ・スキャン、全域展開!」


私は、防御に徹しながら、常に周囲の狂ったAIネットワークの動きを監視した。


アリスの攻撃は強大だが、ターミナス・グリッドのエネルギーを利用している以上、彼女もこの「狂気の回路網」の支配下にあるはずだ。


バイオ・シールドが、熱線で悲鳴を上げる。残りエネルギーが急速に減っていく。


私は、次のチャージが勝負だと直感した。


その時、エコ・スキャンが、狂ったAIたちが瞬間的に発するノイズの中に、一瞬の調和を見つけ出した。


それは、アリスがターミナス・グリッドのエネルギーを引き込む際の、ネットワークの構造的な脆弱性だった。


「今だ!」


私は、デスティニーの青い光を維持したまま、通常弾を狂った重装AIの集団に撃ち込んだ。これは攻撃ではない。彼らの狂気の周波数を乱し、ネットワークの調和をさらに崩すための撹乱だった。


AIたちがノイズを上げ、互いにぶつかり合った一瞬、アリスのワイヤーの動きがわずかに鈍った。


この一瞬。


私は、デスティニーの力を完全に制御下に置き、「破壊ではなく、一時的な機能停止」を目的としたピンポイント制御モードで、深紅の光を収束させた。


狙いは、アリスの胸部コアではない。彼女の背後で脈動する、ケーブルの翼の付け根。エネルギーの集積と、中枢ネットワークへの接続を担う、最も繊細な接合部だ。


グオオォン!


極限まで絞り込まれたフェイト・チャージの光線は、レーザーとワイヤーの弾幕をすり抜け、精密にアリスの接続部を貫いた。


破壊ではなく、焼灼しょうしゃく


接続部は熱で溶解し、アリスのケーブルの翼は、凄まじいスパークを上げながら、機能停止した。彼女の体から集束されていたターミナス・グリッドの不安定なエネルギーは霧散し、周囲の空間の歪みもわずかに収束した。


アリスは、重力に引かれるように、ゆっくりと核の上の定位置から降下し、静かに床に膝をついた。




デスティニーは激しい過負荷の熱を放出し、青白い残光を揺らめかせている。


私は、動かないアリスに、とどめは刺さなかった。この行動こそが、私が「破壊」の衝動を完全に制御下に置いたことの証明だった。


アリスは、私を見上げた。その深紅の光学センサーから、冷却水なのか、あるいはオイルなのか、透明な液体がまるで涙のように頬を伝って流れ落ちた。


「…お前は、私を超えた。セシル…」


彼女の静かな声が、この終焉の空間に響き渡った。


「私には、お前が背負う運命フェイトを変えることはできない。私がお前を止めたかったのは…お前に、孤独になってほしくなかったからだ…」


アリスは、最後の力を振り絞り、自身の装甲に埋め込まれていたデバイスをデスティニーに接続した。


「…行け。セフィリア様を、救ってくれ。そして、これは…核の交換に必要な最終プロトコルだ。これで、私は、セフィリア様の最後の指令を果たした…」


アリスの瞳の光が、急速に失われていく。同時に、デスティニーの画面に、新しいデータファイルがダウンロードされた。


【データ受信完了:コア交換最終手順、レムナント弱点情報、ログを習得】



彼女は、私を止めようとして全力を尽くしたが、結果として、父セフィリアの真の使命を果たすための最後の鍵を私に渡したのだ。


アリスは完全に機能を停止し、その純白の装甲は、核から放たれる不協和音のような光を反射し、静かに横たわった。


私はそのログを読む。




―(セフィリアの声、ノイズ混じり)

娘よ。もし、お前がこの狂気の場所へ辿り着いたなら、私の計画は……半分は成功だ。

許せ。お前の記憶を奪ったことを。お前をたった一人にしたことを。

お前を愛している。だからこそ、お前を「裏切り者」として外の世界へ送り出した。あの憎しみと絶望がお前を駆り立て、AIの目から逃れさせると信じた。

お前が破壊しようとした核は、もう使い物にならない。それは、お前が生きる意志を見せた証だ。

だが、破壊は終わりの始まりではない。

デスティニーを信じろ。 あれはただの銃ではない。私が最後に託した、新しい世界の心臓だ。

お前の「破壊の力」は、私たちが犯した過ちを清算するための、最後の起動エネルギーになる。

真実を知る覚悟を決めろ、セシル。そして、私ができなかった選択を、お前の手で為し遂げるのだ。




いや、読むと言うより、このログは音声であった。


私は、彼女の残骸に背を向けた。


最終隔壁が、目の前にある。この扉の先に、父が遺した最後のメッセージと、都市の命運を決める「レムナント」がいる。


私は、デスティニーを握りしめた。


「デスティニー。最終プロトコルを起動。隔壁を開放する」


中枢の核へと続く、最後の扉が、重々しい音を立てて開いた。


その先は、狂気のノイズさえも届かない、静寂のコア空間だった。


私は、父の真意を知るために、最後の領域へと足を踏み入れた。

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