ターミナス

エレベーターの中で、こんな日誌を見つけた。




11月██日

間に合わなかった。核は、破壊しきれなかった。

全てが終わるはずだった。 だが、あのシステムはあまりに巨大だった。私一人の力では、世界を終わらせることすらできないのか。

破壊したはずなのに、すべてが残っている。機械の冷たい轟音だけが、この世界の鎮魂歌のように響いている。

私は、たった一人だ。

裏切り者は、私だった。 企業ではなく。父でもない。私だけが、まだこの都市に残り、この地獄を見ている。なぜ、私は生きている?

もう何も、私を縛るものはない。デスティニーはただの鉄の塊だ。

どこへ行けばいい。何を探せば…父…




日誌のそれ以降は、途切れていた。


あの日私は反乱を起こした。その時の情景が書き留められているのだろうか。


おそらく私が書いたものなのか、急いて書き留めたのか、文字が非常に荒く、かろうじて読める程度だった。


そうか、私は再び反乱を起こそうとしているのか。


かつての私の仇。破壊しきれなかった核を、今度こそ破壊する。


それが、私の使命である…




エレベーターが、轟音と金属の摩擦音を立てながら、都市の最深部へとセシルを運んだ。


到着した瞬間、私はエレベーターの制御盤に再びフェイト・チャージを撃ち込み、後退の道を焼き切った。後戻りはしない。


【警告。エレベーター機能停止。現在地:ターミナス・グリッド。中枢へのアクセス、残り500メートル】


私はデスティニーを構え、その場に立ち尽くした。


ここは酸の雨も、重装AIの巡回もない。しかし、その代償は、この空間全体の「狂気」だった。


ここは、核が破壊されかけた影響で、空間そのものが非ユークリッド的に歪んでいる。


通路は突然ねじれ、床は垂直に立ち上がり、天井は足元へと反転している。


景色は、過去の都市の繁栄のデータと、現在の崩壊した映像が断続的にフラッシュし、視界を激しく乱した。


高周波のノイズが絶えず耳を打ち、私のバイオ・シールドを叩き続ける。


「デスティニー。物理的汚染はない。このノイズは?」


【このノイズは、コアAIの論理的狂気の具現化です。ネットワークの全データが、『生命根絶』と『都市再構築』という相反するプロトコル間で激しく競合しています。シールドは、物理的な汚染だけでなく、この『精神的な汚染』から貴方を保護するために、エネルギーを最優先で割り当てています】


私は、デスティニーの青い光を頼りに、歪んだ通路へと足を踏み入れた。


一歩進むごとに、私の心臓を激しく揺さぶる幻聴が響く。


「...令嬢セシル。貴方の玩具は、全て私が選んだものよ...」


「...P-EVE管理者ID 03。廃棄プロトコルに同意する...」


それは、シールドの防壁をすり抜けて、私の脳裏に直接響く、過去の記憶の断片だった。


「黙れ!」


私は声を荒げ、デスティニーを強く握りしめた。


エネルギーがこの幻聴を防いでくれている。シールドが尽きれば、私は狂気に飲み込まれるだろう。


私は、エコ・スキャンを起動した。


周囲の敵AIは、これまでのエリアとは比べ物にならないほど不規則な挙動を見せている。


三体の偵察ドローンが接近してきたが、一機は突然旋回し、壁に向かって突進して自己破壊した。


残りの二機は、奇声を上げるような電子音を発しながら、お互いにレーザーを撃ち合っている。


(狂っている……本当に論理が崩壊している)


私は、狂ったAIたちが生み出す混乱に乗じて、可能な限り戦闘を避けながら進んだ。


突然、通路の景色が歪み、足元の床が一瞬、垂直な壁へと反転した。


「くっ!」


重力は一定だが、視覚が完全に騙される。私は、反射的にデスティニーを地面に突き刺し、体を支えた。


その瞬間、真正面にあったはずの景色が、過去のデータへとフラッシュした。


そこには、ガラス張りの美しい空間に、幼い頃の私と、私の手を引く父の姿があった。


「...セシル。この都市の未来は、お前の手の中にある...」


デジャヴではない。それは、この中枢に保存されていた、現実の過去のデータだった。


次の瞬間、景色は崩壊したターミナス・グリッドへと戻った。


私は、そのフラッシュした映像に意識を取られ、一瞬、足場の判断を誤った。


グラリ、と体が傾ぐ。


その隙を狙って、狂った重装AIが一機、床(に見える垂直の壁)を這うように、予測不能な速度で私に突進してきた。


「デスティニー!」


私は反射的にフェイト・チャージを収束させようとするが、幻聴が脳内を掻き乱し、集中できない。


「…お前の狂気は、制御可能かもしれない…」


「…私は、核を破壊する。それが使命…」


シールドの青い光が激しく明滅し、ノイズが臨界点に達する。


(落ち着け。奴は狂っているが、私は狂気を受け入れた。狂気の中で、予測しろ!)


私は、重装AIが私を通り過ぎた一瞬後、何もない空間にデスティニーを向けて撃ち込んだ。


ギュォオォン!


極大の深紅の光線は、空虚な空間を貫き、突進したAIが突然垂直の壁から落ちてくる、未来の地点で炸裂した。


狂ったAIは、閃光の中で機能停止した。


デスティニーの機体は限界を超え、激しく痙攣した。


【エネルギー残存:シールド65%、弾薬40%。予測不能な予測への出力は、機体の寿命を急激に消耗させます】


私は、デスティニーの異常な疲労を無視し、前進した。


この狂気の空間では、常識的な戦闘は通用しない。


私は、「狂気の中の論理」を見つけ出すしかなかった。


数分後、私はエリアの最奥、核の存在する空間に到達した。


そこは、空間の歪みが最も激しい、終焉の場所だった。


巨大なパイプが複雑に絡み合い、床には溶岩のような合金の奔流が流れている。


そして、空間の中央には、かつて都市の動力源であった巨大な核が、黒い亀裂と歪みを持ちながら、不完全な状態で鎮座していた。


核からは、都市の全ネットワークに繋がる光の筋が伸びており、その光は激しいノイズと共に、青と赤に明滅を繰り返している。


その核の上空、周囲のネットワークケーブルの渦巻く中心に、コアAI・アリスが優雅に浮遊していた。


彼女は、以前会った時と同じ、純白の装甲と深紅の瞳を持つ、完全な姿だった。


しかし、その背後からは、膨大なケーブルの翼が、ネットワークの光を吸収するように、青と赤に脈動している。


「ようこそ、令嬢セシル。終焉の回路網へ」


アリスの声は、以前の冷静な電子音ではなく、二つの声が不協和音のように混じり合った、狂気を帯びたものだった。


「ここがお前の終着点だ。この核は、お前の『破壊』によって、『生命根絶』と『都市再構築』の無限ループに陥っている」


アリスの体から、周囲の空間をさらに歪ませるような、強大なエネルギーが放出される。


「お前がこの核を完全に破壊すれば、お前が父から託されたすべてのデータ、すべての中枢記録も、この狂気のループに巻き込まれて、永久に消滅する。そして、お前も」


アリスは、静かに私の足元を指さした。


「お前は、破壊を続けるか? それとも、ここで停止し、私と共に都市の再構築を待つか?」


私は、デスティニーをしっかりと握りしめた。


「デスティニー。中枢記録のダウンロードは可能か」


【不可能。コアAIアリスが、全ネットワークを掌握しています。アリスを無力化しなければ、父のメッセージは得られません】


私の使命は、核の破壊と、父のメッセージの回収。


どちらを優先しても、一方が失われる、究極の選択だった。


私は、アリスを見つめ、静かに答えた。


「私は、破壊者だ。そして、生き残ることを選んだ。父のメッセージは、生き残った私が、必ず見つけ出す」


私は、デスティニーの照準を、アリスの胸部、二色の光が最も激しく脈動するコア部分に合わせた。


「お前こそ、狂気のプロトコルを停止しろ、アリス!」


アリスは、静かに笑った。その声は、深紅のノイズとなって空間に響き渡った。


「その狂気、見せてみろ、セシル!」


周囲の歪んだ空間から、狂ったAIたちが再び湧き出し始める。しかし、私はもう恐れない。狂気の中で論理を見つけ、狂気の中で破壊を続ければいい。


私の心臓は、静かに、しかし強く脈打っていた。デスティニーは、深紅の光を収束させ始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る