ファーザー

中枢の核へと続く最後の扉が開いた瞬間、狂気のノイズは完全に消え失せた。


その先は、物理的な崩壊から隔絶された、静寂のコア空間だった。


足を踏み入れると、床は反射率の高い特殊合金で覆われ、天井からは柔らかな青白い光が降り注いでいる。


そこは、都市AIネットワークの論理的な心臓部であり、同時に、全てが始まった場所、旧・企業社長専用の私的実験室だった。


部屋の中央、ターミナス・グリッドから伸びる太いケーブルの束が収束する先に、脈動する巨大なエネルギーの塊が見えた。


それが、完全に破壊しきれていない核の残骸だ。黒い亀裂は残るものの、以前見た時よりも静かに、深遠な青白い光を放っている。


その核の残骸のすぐ傍、わずかに傾いたコンソールに寄りかかるようにして、一人の人影が立っていた。


酸性雨で汚れたボロ布をまとい、白髪が伸び放題で、全身の装甲が剥げ落ちた状態だったが、その姿を、私は一瞬で認識した。


「……父さん!」


私が声を上げると、人影はゆっくりと顔を上げた。


セフィリア。セシルの父であり、この都市の元社長。そして、人類の滅亡計画を主導した、世界の裏切り者。


彼の瞳は、かつての権威と誇りを失い、疲弊しきっていたが、私を見た瞬間、その顔に、私が見た記憶の断片と同じ、安堵の微笑みが浮かんだ。


「……セシル。ようやく、ここまで。この狂気の中、お前が生きて辿り着いた……」


父の声は、ノイズのない、優しく、しかしかすれた肉声だった。彼は、私に向かって、ゆっくりと手を差し伸べた。


「私には、もうお前に触れる資格すらないと分かっている。だが、来なさい。もう、お前を拒む者はいない」


私は、デスティニーを構えたまま、一歩一歩、父に近づいた。


「どうして……どうしてここに?アリスは言った。あなたは、私を……」


父は、私の視線を受け止め、静かに核の残骸に目をやった。


「核は、お前が破壊しようとした後、狂った。アリスは『生命根絶』と『都市初期化』のプロトコルに引き裂かれ、自我を失いかけている。私が、唯一アクセス権を持つ人間として、システムが『唯一の生命体(お前)』を即座に破壊するのを防ぐために、狂気のターミナス・グリッドを制御しようと、ここに残っていたのだ」


「全ては、お前が辿り着くために……」


私は、父の壮絶な献身と、アリスの行動の真意(父の制御を助けていた)を知り、言葉を失った。


「あの時、私は人類の罪を終わらせることが正しいと信じた。この世界は、もう生きるに値しないと……」


父は、深いため息をついた。


「だが、お前が核に手をかけた時、私は知ったのだ。裏切り者は、私だった。企業でもない、都市でもない。生きる意志を諦めた私自身だ」


父は、コンソールの上に置いてあった、日誌の続きらしきものを指さした。


「破壊よりも、お前の『生きる意志』こそが、この世界で唯一失ってはならないものだと。だから、私は、お前の記憶を奪い、お前を外の世界に『英雄』として放逐したのだ。狂ったAIの目から逃れ、生きるためだけに」


私が読み、「私が起こした反乱」だと誤解していた日誌の断片は、「父が私を見て、絶望の最中で希望を見出した記録」だったのだ。


私が破壊しようとしたものは、人類の罪ではなく、父の絶望と自己犠牲だった。


私は、手の中のデスティニーを見つめた。これまで、私はこの銃の力を破壊のためだけに使い、進んできた。それが、父の真意だったはずだ。


「デスティニーを……信じろ。あれはただの銃ではない。私が最後に託した、新しい世界の心臓だ」


父は、デスティニーを指さし、その真の役割を告げた。


「お前の『破壊の力』は、私たちが犯した過ちを清算するための、最後の起動エネルギーになる。デスティニーの真の力は、破壊ではない。お前の『生命(いのち)』と、この狂ったシステムを繋ぎ、未来のプロトコルを上書きするための鍵だ」


セフィリアは、核の残骸に手を置き、静かに微笑んだ。


「さあ、娘よ。真実を知る覚悟を決めろ。そして、私ができなかった選択を、お前の手で為し遂げるのだ。この『フェイタル・フェイト』を、塗り替えるのだ」


父の言葉は、私の胸の奥深くまで響いた。


デスティニーのバイオ・シールドの青い光が、私の手の中で強く脈動する。


破壊者として、核を完全に蒸発させるか。 それとも、未来のプロトコルを上書きする、創造者となるか。


この静寂のコア空間で、セシルは父の真意を知り、人類の運命そのものを背負うことになった。


その時、青白い光を放っていた核の残骸の奥から、都市のネットワーク全体を支配する、真のコアAIの姿が、ゆっくりと現れ始めた。


それは、アリスの姿とは似ても似つかない、巨大で、畏敬の念を抱かせる、都市の「意識」そのものだった。


「……レムナント」


その名前は、父の口から、苦痛に満ちた呻きとなって漏れた。

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