第14話


 八日ぶりに自宅に帰ることができた。

 あの後、田中さんの幽霊が消えたのを一緒に見た社長は、どこかに報告の電話をかけた後、私に言った。


「──試験は終了だ」

「結果は今週までに通達する」

「もう帰れ」


 社長は私に背中を向けたまま、リビングに立っていた。

 私はプロジェクターや着替えをボストンバックに詰めると、社長に頭を下げてマンションを出た。


 ──社長はどう思ったのだろうか。


 私のやったことに社長は怒っているはずだ。

 てっきり私は怒鳴られて長時間のお説教をされることを覚悟したけど、お咎めはなしだった。

 正直拍子抜けしたというか。

 社長が何も言わないことに不安になる。


 だけど。

 私は自分がとった行動に後悔はない。


 田中さんが消える直前に見せてれたあの表情──。

 穏やかで満ち足りた顔だった。

 娘のミナミちゃんの四歳の誕生日をお祝いすることができて、本当に嬉しそうだった。

 プロジェクターて誕生日会の様子を見せたいと田中美紀子にお願いした時、美紀子自身はすぐには承諾してくれなかった。

 娘の誕生日の動画を見て、旦那さんがこの世に未練が残って成仏が遅れることを懸念していたようだが、しつこく私が交渉したことでどうにか動画データをもらうとができた。

 

 社長は私のことは許さないと思う。

 でも、私は1ミリも間違ったことをしたつもりはない。


 我ながら馬鹿なことをしたと思う。

 唯一内定がもらえる可能性があった会社をみすみす蹴ったのだから……。


 来年、大学を卒業してから晴れて就職浪人か。

 当分はフリーターでバイト生活だと考えると憂鬱な気持ちになる。


「ただいま」


 玄関を開けると、二階から弟の寛太が降りてきた。

 学校指定のジャージに肩に白いボストンバックを担いでいた。


「おかえり姉ちゃん」


 私は「あんた部活?」と訊くと、寛太は「ん」と返事した。


「あたししばらく部屋から出ないから」

「帰ってきても声かけないでね」


 一週間以上外泊した上に、色々慣れないことをして本当に疲れた。

 もう三日は誰とも話したくない気持ちだ。


「姉ちゃん」


 玄関の土間で靴を履く寛太が、背中越しに私に声をかけた。


「この前はごめん」


 突然、寛太が謝ってきた。

 え、なんの話だ?


「じいちゃんの一回忌の件……」

「フォローできなくて」


 ああ、あの件か。

 まだ気にしてたんだ。


「いいよ」

「気にしてくれてありがとう」

「それより」

「お母さんいる?」


 寛太が靴先をトントンと土間で蹴りながら「台所にいるよ」と教えてくれた。


「じゃ行ってきます」


「気をつけてね」


 玄関ドアが閉まる音が聞こえた。

 私は手洗い場で手を洗い、台所に向かった。


 台所では、今日の夕飯の準備を進めているお母さんがいた。


「ただいまお母さん」


「おかえり」


 お母さんは私に目も向けず、お米を洗っていた。

 素っ気のない態度は、多分私に対してまだ怒っているからだ。


「お母さん」

「ちょっといい?」


 私はお母さんに声をかけると、ため息混じりに「なに?」と、お母さんが聞き返してきた。

 私はお母さんの背中に抱きついた。

 

「ちょっと⁉︎」

「なに?」


 驚いたお母さんが慌てて蛇口の水を止めた。

 私は黙ってお母さんの背中を抱きしめる。


「お母さん……」

「ごめんなさい」

「私」

「お母さんの気持ち無視してた」


 入社試験中、ずっと私は考えていた。

 ──どうしてお母さんは。

 ──私の仕事を応援してくれないんだろう。

 

 世間体……。

 というのもあると思う。

 自称霊媒師や詐欺集団が、幽霊を利用した悪徳商売や事件を起こしていた印象が強い。

 いくら科学的に証明されたとしても。

 幽霊が視えると聞くと、知識のない人からすると、虚言癖か病気のどちらかだと疑うのが普通だ。


 その考えはお母さんにもあると思う。

 変なことじゃない。

 幽霊の存在は、まだまだ多くの人は受け入れる準備ができてない。

 お母さんも幽霊の存在を受け入れていない一人だと思う。

 それでも。

 お母さんはお母さんなりに、私を守りたかったんだと思う。


「私が周りの人から」

「嫌な目で見られないようにしたかったんだよね」

「私に辛い思いをさせたくないから」

「私のことを想って言ってくれたんだよね……」


 依頼人の田中美紀子と話をして、私は理解した。


 田中美紀子は家族のことを愛していた。

 心から愛していた。

 愛していたからこそ。

 田中さんに消えて欲しいと願った。


 ──幽霊という終わった存在ではなく。

 ──愛する夫という美しい思い出として胸にしまいたかった。


 そう美紀子は言いたかったんだと今なら思う。


 誰の考えが正しいとか間違ってるとか。

 そういう白黒はっきりつける話じゃない。

 価値観や考え方、立場はそれぞれ違う。


 美紀子も。

 田中さんも。

 娘のミナミちゃんのことは大好きだった。

 その想いは二人とも同じだった。


 親が子供に想う気持ちに変わりはない。

 私のお母さんも、きっと私のことを心配してくれている。

 だから私の考えが浅かったり生意気なことを言ったりして、怒ってくれたんだ。

 あたしのことが大好きだから。

 そのお母さんの気持ちを、田中さんと美紀子を見て、私はようやく気づいた。


「……一澄」

「お母さんこそごめんね」


 そっとお母さんが私の手を握った。


「──あなたの病気のことずっと気にしてた」

「ずっと私のせいだって」

「お母さんのせいだって責めてたの」


 お母さんは優しい声で話してくれた。

 私は黙ってお母さんの話を聞いた。


「あなたがいない間」

「ずっと考えてた」

「お父さんとも話し合ったわ」

「一澄の幸せが一番だって」

「あなたがやりたいことを応援するのが一番だって」


 自然と笑みが溢れた。

 何年ぶりだろう。

 こんなにお母さんに甘えたのは──。

 高校生ぐらいから恥ずかしくてできなくなったけど……今、すごく幸せな気持ちだ。


「お母さん」

「今日のご飯何?」


「えー?」

「きんぴらごぼとお刺身よ」


「やった!」

「楽しみ!」

「手伝うよ」


「じゃごぼう洗ってくれる?」


 私は返事をした後、冷蔵庫からごぼうを取り出した。

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