第12話
◯
善風寺の墓参りに行くのは、月二回以上と決めている。
会社の人間や周りからは、社長は常に忙しいんだから年一回でいいんじゃないかと言われることは多いが、自己都合で回数を減らしたくない。
どんなに忙しくても墓参りは二回やる。
それがあいつらと交わした約束だからだ。
今月は手が離せない案件が多かったせいで、二回目の墓参りが月末になってしまった。
年度末やトラブル案件が続けば、墓参りができない月も出たりする。
その時は、墓参りの数を翌月に繰り越したりするので、月によっては六回墓参りをするケースもある。なるだけ繰越はせずに月内で収めたいが、やむを得ない状況もあるので、なんとも言えない。
今月は二回。
墓参りすることができた。
ありがたいことだ。
「こんにちわ」
「鬼島さん」
「お久しぶりです」
線香に火をつけて合掌する俺に声をかけたのは、善風寺の住職だった。
「先週は来られたと家内から聞きました」
「今月は二回来れたのですね」
俺は立ち上がり、住職に一礼した。
「おかげさまで」
「時間を作ることができました」
「そうみたいですね」
住職は俺を見た後、鬼島家の墓に目を移した。
「最近だとお墓参りを代理で行うサービスが増えたと聞きました」
「墓参り代行というそうです」
「昔に比べて清掃されたお墓は増えたようですが」
「鬼島さんほど熱心にお墓参りをする方は少ないです」
俺は住職を見つめた。
住職は墓を見つめたままだった。
「聞きましたよ」
「新入社員の方をお連れしたそうですね」
「社員ではないです」
「採用テスト中の大学生です」
住職は俺に振り返った。
「おや」
「そうでしたか」
それ以上、住職は深く聞いてこなかった。
──芳野一澄。
小柄で華奢な体型、黒髪ショートカット、小顔で小鼻、薄い唇、二重まぶたの大きな垂れ目で、まつ毛が異様に長い。美人というより、一昔前の女子アナを彷彿させる可愛さがあった。
だが、どこか垢抜けてないというか、二十代前半なのに中高生に見間違える印象を感じられる。
今時の大学生や新社会人は男も女もみなそうだが、大人というよりも、体が大きいだけの『子供』のように見えてしまう。対等な立場で話すというよりも、指導教育しないといけない存在にしか見えない。
ガキの面倒を見るのはまっぴらごめんだ。
ゆえにうちは新卒採用を積極的に行わない方針だ。
先月、うちの馬鹿な事務のせいで新卒の面接をする羽目になったせいで、余計な仕事が増えてしまった。
まさか俺の知らないところで、スカウトメールを新卒生向けに送っていたなんて──、想像すらしていなかったから最初話を聞いた時、年甲斐もなく面食らった。
ここ数年は会社への応募数が激減していたのや、応募項目も経験者枠しか設けていなかったのもあり、人材紹介会社とのやり取りを事務に任せっぱなしにしてしまっていた。経営や業務にかまけていたせいで、採用人事業務を事務に丸投げ放置していた。完全に俺のミスだ。
──だって社長、いつも言っていたじゃないですか。
──もう一人俺がいればもう少しラクになるのにって。
世間話の冗談で言ったことを、まさか間に受けると思わなかった。前々から空気が読めない人だと感じていたが、ここまで馬鹿とは想像していなかった。
しかもよりにもよって。
霊視ができる人間の応募が一件あると報告されて、余計に頭を抱えた。
何年か前に霊視ができる人間を採用したことはある。
だが、採用して三ヶ月後ぐらいには、精神を病んで離職をした上に、うつ病に罹患したという理由で、うちの会社が訴訟されたことがあった。
賠償金をいくらか支払う形でどうにか和解で納めることができたが、あの事件以来、霊視能力者を積極的に採用しない方針にしている。
たしかに霊視ができる社員は、俺を除けばうちの会社だと二人だけだ。
都内近郊で稼働している特殊清掃会社は400社を超えているが、霊視能力者が所属している会社は、うちを含めても10社以下しかない。
三年前あたりから、特殊清掃のサービス項目に『霊視による完全除去確認』が含まれてしまっている。うちのようなホトケが見えいない清掃会社は外部委託で霊視能力者を雇うそうだが、金額が異様に高いため、ホトケの完全除去確認を諦める依頼人が増えているそうだ。
ちなみにホトケの完全除去確認ができていない部屋や土地は、完全に事故物件として扱われるため、都内の一等地であっても相場の1/4価格にまで下がってしまうらしい。都内の駅近高層分譲マンションであっても、自殺者が出た上にホトケの完全除去確認をしなかった場合、一部屋400万円で売りに出されても誰も買わないというのが現実だ。
──霊視能力者は不足している。
五年前に比べて霊視に覚醒する人間は数が倍近く増えていても、大金を払ってレーシック矯正をする人間も年々増えている状況だ。
本来なら、霊視ができる人間が応募してくれること自体は喜ばしいことだ。
だが、新卒の女子大生となると話が違う。
どの業界もそうだが、うちは大企業のような新入社員を育てる制度や余裕はまったくない。昭和の土建屋と同じ体質で、「技術は見て盗め」がうちの社風文化だ。
コンプライアンスがうるさい今の時代に、他責思考が浸透した若い女ほど扱いが面倒な生き物はいない。
半人前以下の仕事しかできないくせに口だけは達者で、やれ拘束時間が長いだの給料が低いだの文句ばかり並べるのだけは上手いときやがる。
本当に生意気な若い女は本当に苦手だ。
あいつのことを思い出すだけで、ため息が出る。
どうしてこんなことになった。
「鬼島さん」
はっと我に返った。
顔を上げると、住職が微笑んで俺を見ていた。
「ご家族とお話は……」
「できましたか?」
カサカサと枯れ葉が風に流れる音がした。
俺は鬼島家の墓に振り返った。
墓石は何も言わず、俺をじっと見つめている。
そんな気がした。
「もうあれから10年ですか」
住職が空を仰いだ。
俺は水が張ったバケツに柄杓を突っ込んだ。
「9年です」
「9年と10ヶ月」
柄杓から水をすくって、墓石に水をかけた。
──あと2ヶ月後に、10年目になる。
妻と娘を同時に亡くした日。
あの日以来。
俺はホトケを『人』として見なくなった──。
人間は死ねばホトケになる。
生きていた頃の習慣を繰り返すだけの残留思念──。
人の心を持たないただの熱エネルギー。
ゴキブリ。
ハエ。
インフルエンザ。
コロナ。
健康な人間の生活圏内に存在してはいけない『有害物体』だ。
家族を失ったことで、皮肉にも俺は気づいた。
俺ができるのは。
依頼人が健康な生活を送るために。
ホトケを一秒でも早くこの世から消し去ること──。
「鬼島さん」
住職は俺に声をかけた。
「霊魂の証明について」
「仏様に支える身の私には語る資格はないと考えています」
「──ですが」
住職はまっすぐ俺を見つめた。
「ご家族はきっと」
「あなたのことを誇りに感じています」
「どうか胸を張って生きてください」
そう住職は俺につげると、一礼をしてその場を去った。
──気を遣わせてしまったな。
この年齢になると、心を開いて話すことができる友人は少なくなる。もともと社交的な性格ではない俺は、ほとんど友人と呼べる存在はいない。
あの住職は、数少ない俺の友人の一人だ。
酒を飲む仲ではないが、俺のことを唯一理解をしてくれる存在だ。
来月の墓参りの時には、奥さんの分と合わせて菓子折りを持っていこうと思う。
──誰かの役に立つなら。
──精一杯頑張るだけです。
墓石をタオルで拭きながら、ふと俺の脳裏にあの言葉が過った。
──芳野一澄。
気に入らない小娘だ。
新卒応募の件は、すまないと思っている。
霊視訓練のタイミングと被ってしまった影響で、大学四年の11月のこの時期に内定が一つも取れていない状況は、本人的にはかなり焦るのは想像できる。
運転免許証以外資格を持っていないFラン大学の文系を採用する企業は少ないだろう。
けど、うちも新卒を採用する余裕がない。
気の毒だと思うが、社員採用はハナからしないつもりだ。面接が終われば、後から不採用通知のメールを送ってこの面倒な件を片付けるつもりだった。
だが──あいつは。
面接の時、芳野は俺の目を見てはっきり言った。
「たとえ頑張った結果ボロボロになっても」
「私は後悔しません」
ほんの一瞬だけ、俺の中で時間が止まった。
体の奥深くから熱いなにかが込み上がってきた。
──芳野一澄。
俺はああいう世間知らずの女が大嫌いだ。
向こう水で鼻っ柱が強く、テメェの正義を主張する人間はもっと嫌いだ。
なにもわかっていないのに……。
勢いだけで物事を解決しようとする。
芳野を見ていると。
馬鹿で青臭かった昔の自分を思い出す。
あの世間知らずのお嬢様を見ているだけで、イラついて仕方がない。
──出来もしねぇことを簡単に口にするんじゃねぇ。
──なめてんじゃねぇぞ小娘が。
思わず机を叩いて立ち上がりそうになった。
クソが。
くそったれが。
どうしてここまで感情的になったのか。
自分でも理解ができてない。
世間知らずの二十代のガキが、内定が欲しい一心で都合のいい理想の夢物語を語っただけだ。真面目に相手にせずに受け流すだけで良いのに。
なぜだ。
ムカついて仕方がないのに。
──俺は芳野一澄と関わっている。
なぜハナから雇わない学生相手に。
時間をかけて懇切丁寧に面倒を見ているのか。
──わからない。
なぜ俺はあの小娘を気にかけてしまうのか。
一体俺は、あいつに何を期待しているのだろうか……。
「!」
突然、ポケットに入れていたスマホが鳴った。
会社からか?
ポケットからスマホを取り出し、画面を見た。
画面には『葛区役所』と表示されていた。
「もしもし鬼島さん?」
「今大丈夫ですか?」
電話に出ると、年配の女の声が聞こえた。
田中美紀子の担当をしていた窓口職員だった。
「ちょっとトラブルが発生したみたいです」
窓口職員が俺にそう言った。
◯
田中家のマンションに着いたのは、夕方過ぎだった。
マンション近くのコインパーキングに車を停め、エンジンを切った俺は、鍵を閉めずにマンションに向かって走った。
「依頼人の田中さんから相談の電話がありました」
「御社の社員さんが直接依頼者の家に訪問したそうです」
「これって規約違反にならないですよね?」
窓口の女性職員がいうに、今日の昼間ぐらいに田中美紀子本人から電話があったそうだ。
芳野一澄がアポなしで実家に訪問し、娘のミナミや美紀子の母親にホトケの処理について協力を要請をしたらしい。
事前に知らされていないイレギュラー対応をされて、困惑した田中美紀子が、紹介先の葛区役所にクレームの電話をしたそうだ。
「困りますよ鬼島さん」
「勝手なことされたら……うちの信用が落ちますんで」
「次からお仕事紹介できませんよ?」
区役所の女性職員は、嫌味を言ってから電話を切った。
俺は急いで片付けを済ませ、車に飛び乗った。
──何考えてやがる。
──あのクソガキ。
運転中、俺を芳野のことを考えた。
怒り──ではない。
失望に近い感情だった。
勝手なことをした芳野に対してではなく、俺自身に対して、深く失望した。
こうなることはある程度は予想できたはずだ。
芳野は、組織で働くには従順性が足りない人間だ。
時間をかけて教育すれば、ある程度の分別を身につけさせることはできたかもしれない。
だが、本質は変わらない。
あいつは、自分の判断を正しいと信じて暴走する。
芳野はそういうタイプだ。
依頼人から辛辣な言葉を浴びせられてしおらしくなっていた様子を見て、つい油断して放置してしまった。
くそったれが。
完全に俺の判断ミスだ。
田中家の玄関に着いた俺は、ドアノブを捻った。
鍵は開いていた。
ドアを開くと、廊下の奥に芳野が何か作業をやっていた。
俺は靴を脱ぎ、大股で芳野に歩み寄った。
「あ」
「社長」
「お疲れ様です」
俺の存在に気づいた芳野が、作業の手を止めて俺に振り返った。
ちらっと俺は部屋の隅に目をやった。
ホトケが壁に持たれて座り込んでいた。
《ミナミ…ミナミ》
ぶつぶつと独り言を呟いている。足首や腕が完全に消えていて、体のあちこちが透過し始めていた。
──もって一時間だな。
消滅直前の傾向が出ている。
このまま放置すればホトケは消えていなくなる。
だが──。
「なぜエアコンを切った」
壁の天井付近に設置してあるエアコンを見た。
冷房ではなく、暖房のランプがついている。
部屋の隅奥には、筒状の加湿器が音を立てて白い気体をもうもうと吐き出している。
ホトケの正体は『熱』だ。
エアコンで室内を冷やせば、ホトケは早く消滅する。
ホトケを延命させるためには。
その逆をすればいい。
室内温度と湿度を上げれば、理論上はホトケを延命させることは可能だ。
温度を上げるのは想像できたとしても、湿度も上げることまで知識がなければ辿り着かない発想のはず。
──誰かが入れ知恵したな。
誰がこのバカに余計なことを吹き込んだのか知る必要があるが、それよりも先に確認しないといけないことがある。
「……田中美紀子の実家に行ったそうだな」
芳野は俺を見つめた。
真剣で真面目な顔だった。
「はい」
「行きました」
「なぜ俺に報告しなかった」
芳野は黙って俺を見つめた。
俺は舌打ちをした。
時代な時代だし女だから我慢しているが、刑事時代の俺ならこの場でぶちのめすところだ。
「俺は言ったはずだ」
「『何もするな』と……」
「なぜ指示に従わない」
「──できないからです」
はっきりと芳野はつげた。
「田中さんには娘さんがいます」
「ミナミちゃんという娘さんです」
「今月がミナミちゃんが四歳のお誕生日です」
「娘さんのお誕生日を田中さんはお祝いしたいんです」
声が震えている。
指先も震えていて、顔が強張っていた。
「──だからどうした」
俺は冷たく突き放した。
「依頼人家族のプライベート事情は俺たちに関係ない」
「ましてや依頼人から相談されたわけではない」
「お前が勝手にやっただけだ」
「くだらねぇことしてんじゃねぇ」
ぴくっと芳野の眉が動いた。
「──くだらないことじゃありません」
低い声で芳野は言った。
「──面接の時に私は言いました」
「誰かの役に立つなら」
「精一杯頑張るって……」
俺は眉を寄せて芳野を見た。
「田中さんは害虫じゃありません」
「毎日家族のために働いて」
「一生懸命生きていた『人間』です」
「田中さんの『人間』としての尊厳を踏み躙ることは私にはできません」
カラスの鳴き声が聞こえた。
時計の針の音がやたら大きく響いている。
「田中さんの心残りがないように」
「私ができることを精一杯やって」
「『人間』として送ってあげたいんです」
静寂が、俺と芳野の間に広がった。
芳野はそれっきり、俺を睨みつけるように見つめたまま、黙りこくった。
「──出ていけ」
「さっさと荷物をまとめろ」
俺は玄関を指差した。
──終わりだ。
指示に従わないどころか、支離滅裂な言い訳を垂れた。
元々期待していなかったが、ここまでメチャクチャな奴を採用するなんて────。
《ミナミ……》
《やっと会えた……》
鳥肌が立った。
俺はホトケに振り返った。
──笑っている。
今にも消滅寸前のくたばりぞこないのホトケが、何かを見て笑っている。
ホトケは熱で、ただの残留思念……。
怒りや悲しみを発散して、時間が経てば跡形もなくこの世から消えてなくなる存在のはず。
“喜びの感情”なんて持っていない──はず。
一体何が起こっている。
「ハッピーバースデートゥーユー♪」
「ハッピーバースデートゥーユー♪」
芳野に気が向すぎてて、今まで気づかなかった。
部屋の壁に、何かが投影されている。
投影されているのは、四歳くらいの女の子とその母親。
母親は、田中美紀子だった。
「はーいミナミ!」
「一息で消すんだよー」
田中美紀子はホールケーキに刺した蝋燭に火をつけ、娘がケーキの前でぴょんぴょんとジャンプしている。
──プロジェクター。
テーブルの上に置かれているプロジェクターが、田中美紀子と娘の映像を壁に投影していた。
投影されていた映像を見て、ホトケは微笑んでいた。
まさか──。
ホトケがプロジェクターの映像を観ることができている?
過去の残留思念に過ぎない単なる『熱』が……。
生きている人間のように。
映像を理解している。
──ということなのか?
「ミナミちゃんのおばあちゃんが協力してくれて」
「誕生日の動画データを頂きました」
「あとは私が頑張って映像を編集して」
「ミナミちゃんの動画を作ってみました」
誕生日の映像から、赤ん坊の映像にシーンが飛んだ。
続いてミルクを飲むシーン。
ハイハイをするシーン。
父親と初めてお風呂に入るシーン。
人見知りて大泣きするシーン。
つかまり立ちから初めて歩いたシーン。
滑り台を滑るシーン。
公園の砂場で遊ぶシーン。
スプーンを振り回してご飯を食べるシーン。
ママと初めて言葉を喋ったシーン。
水族館で魚を見てるシーン。
幼稚園の入園式のシーン。
目まぐるしくシーンが切り替わるが、どれも共通して、幼い娘が成長する姿が映されていた。
《……大きくなったなぁ》
ホトケの大粒の涙が浮かび上がり、頬を伝った。
「パパー!」
四歳の娘が、カメラ目線で声をかけてきた。
「ミナミ!四歳になったよ!」
「もうお姉ちゃんだよー!」
苦悩で歪んでいたホトケの顔が──。
とても穏やかで。
救われた表情だった。
《お誕生日……》
《おめでとう……》
《ミナミ……》
満面の笑顔で。
ぽつりとホトケはつぶやいた。
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