第11話

 ◯


 ──人のための仕事をしたい。


 三十年前──、自分の力を過信していた昔の俺は、どうしようもなく青臭く、馬鹿で短絡的で、そして、くだらない人間だった。


 霊視ができる俺が警察官になった理由は。

 小学生のある事件がきっかけだった。


 俺の『鬼島』という苗字は、全国でも二〇世帯しかないほど珍しい苗字だそうだ。

 鬼島家の由来は、A県の霊山麓に暮らす霊媒師の家系が始まりだった。

 まだホトケが世の中で実在することが立証されるずっと前から、俺はホトケを視ることができていたし、おふくろやじいさんばあさんも、ホトケを視ることはできていた。

 所謂、霊能力家系という奴だ。


 ホトケは普通の人間には視えない存在。

 無闇に友達や家族以外の大人に話してはいけない。

 じいさんやばあさん、母から厳しく俺は教えられた。

 俺は母の言いつけを守って、ホトケが視えていても視えないフリをしてきた。


 ──ホトケは生き物ではない。

 物を考えることもできなければ、新しいことを認識する能力も持っていない。録画したビデオテープのように、記録したことしか再現ができない『過去』の存在だ。

 過去しか持たないホトケは、未来を生きていく俺たち生者を視認することすらできない。

 つまり──あいつらが俺や俺の家族や友達に干渉することは絶対にない。そう思うと、ホトケを恐怖の対象としてではなく、ただの自然現象の一つとしか感じなくなった。

 太陽に照らされたアスファルトの道路に立ち上る陽炎のように、ホトケが視えたところで俺の感情は一切動くことはない。

 ただ俺にしか視えない過去の幻影がそこにいる。

 そういう感想しか持たなくなった。


 俺が小学生の四年生の時。

 近所で事件が起きた。


 三〇歳そこそこの男性が、公園にある木の枝に紐を通して首を吊って死んだ事件だ。

 発見者は犬の散歩していたおばあさん。男性は数ヶ月前に引っ越ししてきた独身のサラリーマンだった。


 警察がやってきて捜査が始まった。

 が、数日もしないうちに自殺と断定されて、現場はきれいに片付けられた。


 残ったのは、首を吊って死んだ男のホトケだった。


《死にたくない》

《誰か助けてくれぇ》


 ホトケになった男は、毎日同じ言葉を呟いていた。

 男が死んだ公園は、通学路の途中にあった。

 ホトケが木に紐をくくりつけて首を吊って死ぬ光景を目にしてから、学校に登校することが日課になっていた。


 どうしてこんな場所で男は自殺をしたのか。

 自殺をしないといけない理由が男にはあったのだろう。

 その理由が何なのか。

 小学生の俺は気になった。


「深入りは絶対にダメ」

「死んだホトケ様の事情には踏み込んではいけない」


 母親は俺がホトケの死んだ理由を気にしているのを察していたようで、早い段階で俺に釘を刺してきた。


 ホトケの正体が熱だというのは俺たち鬼島の人間は知らなかったが、ホトケが長くとも二週間で消えるのは知っている。

 放っておけばホトケはこの世から消えてなくなる。

 ましてや家族でも友達でもない知らない人間だ。

 何もしないで無視するのが一番だ。

 そう母や祖母は俺に言い聞かしてきた。


 俺が人の死を初めて感じたのは、曾祖父だった。

 葬式の日に、死んだはずの曾祖父を視て仰天する俺を、鬼島の身内たちが俺に丁寧に説明をしてくれた。

 それ以来、俺には霊視の能力があることを知ったのと同時に、ホトケが現実世界にいることを知った。


 俺の周りでホトケになった人間のほとんどは、顔馴染みの近所の爺さん婆さんばかりだった。

 事故や殺人で死んだ人間のニュースを見かけたとしても、自分事として見たことはない。

 自分の住んでる場所の近くで、自分の父よりも若い男が自殺をしたという事件は、当時の俺からするとかなり衝撃的だった。


 病気で死ぬのならわかる。

 事故で死ぬのもわかる。

 殺されてしまうのもわかる。


 ──なぜ自殺をしたのか。


 どんなに考えても、俺には理解できなかった。


 それまでの俺は、『死』というのは、自分の意思ではない不可抗力の出来事として訪れるものだと考えていた。


 病死、事故死、殺人……。

 死は自分でコントロールできる事柄ではなく、生を全うした生き物が、最後に受け入れる摂理だも考えていた。

 その摂理に反して、自らの命を断つ行為が、当時の俺にはどんなに考えてます理解はできなかった。


 ──自殺をした理由は何なのか。


 母と祖母の忠告を無視して、俺は自殺したホトケの観察を行った。

 消滅する二日前まで、ホトケは首を括って自殺する行程を繰り返し行なっていた。壊れたテープデッキのように、何度も同じセリフを呟き、何度も木の枝にロープを吊るし、何度も自分で首を引っ掛けた。

 七日間ほど、時間が許す限り俺は観察したが、ホトケの取る行動に変化はなかった。諦めてホトケの観察を止めようとしたその日、ホトケに変化はあった。


《ヨシエ》

《俺が死んでも幸せになってくれ》


 ホトケがいつもと違う言葉を吐いた。

 俺は驚き、ホトケが吐いた言葉をノートにメモした。

 ヨシエというのは誰なのか。まるで見当がつかない。

 だが、もしかするもこのホトケは自分の意思ではなく、誰かの命令で自殺に追い込 それが『死』だと俺は考えている。


 ──だが。

 この世の中には自分以外の誰かによって。

 理不尽な『死』を与えられる人間がいる。


 ──殺されたホトケたちの言葉を伝える。


 死んだ人間を甦らせることができなくとも。

 死んだ人間の声を。

 生きている人間たちに届けることはできる。


 もし俺が警察官だったなら。

 あの男がなぜ公園で自殺をしたのか。

 その理由を調べることはできたかもしれない。

 調べた結果、もしかして単純な自殺ではなく、何かの理由があって首を吊らされた真実を知ることができたかもしれない。

 ヨシエとホトケがつぶやいた人物が、恋人だったのか、妻だったのか、あるいは娘だったのか、それはわからない。

 だけど、少なくとも。

 あの男の愛していた人間に。

 ホトケの言葉を伝えることができたかもしれない。


 ──ホトケの声を知ることによって。

 ──もしかすると。

 ──救われた人間がいたのかもしれない。


 もしあの公園で首を吊った男が、俺の知り合いだったなら──。

 俺の友達や父親だったら──。

 俺自身だったら──。


 この世に未練があるから。

 人はホトケになっても、この世にとどまろうとする。


 死んでホトケになっても。

 何もできず。

 何も伝えることができずに。

 この世から存在が消えてしまう。

 そんな理不尽なことがあってはいけない。


 俺がホトケになったのなら。

 せめてこの世から消える前に。

 小学生の仲の良い親友たち。

 母と父、祖父母に伝えたい。


 ──ありがとう。

 ──大好きだったよ。


 返事は聞くことは叶わないかもしれない。

 それでもいい。

 俺が死んで悲しむ人間たちの心の傷を少しでも癒したい。

 辛い気持ちにさせたくない。

 前を向いて生き続けて欲しい。


 俺がホトケになったのなら。

 きっとそう望むと思う。


 十人十色。

 誰しもが同意する感情ではないとは思う。

 ホトケになって静かにこの世を去りたい奴もいるはずだ。

 俺のこの考えは、主観的で傲慢な考え方かもしれない。

 

 だけど。

 友達や家族に。

 最後の言葉──ホトケの『気持ち』を伝えたい──。

 

 俺がこの世を去るホトケたちにできることは。

 ホトケが愛していた人間たちに言葉を伝えること。


 それがいつしか。

 俺の『夢』になっていた。


 世直しをしたいなど大仰なことをしたいワケじゃない。

 

 愛する人を失った人たちに向けて。

 ホトケが視える俺が、できることをしてあげたい。

 人のために、俺ができる仕事がしたい。


 そう思った俺は、両親の反対を押し切って、高校卒業後に警察学校に入学した。

 馬鹿で体力自慢だった俺は、医者になるよりも警察になる方が性に合っている。そう思った。


 警察官になって一〇年。

 馬鹿な俺はようやく理解した。


 ──警察の仕事は、傷ついた人間に寄り添う仕事じゃない。と……。


 被害者のために犯人を見つけ出し、逮捕する。

 喜ぶのは被害者ではなく、検察官だけ。

 加害者が刑務所に入ろうと死刑になろうと、被害者の遺族にとって、愛する者を失った現実から何も変わらない。


 時代は関係ない。

 ホトケが存在することが立証されていない時代だったから、俺の存在価値がなかったワケではない。


 死んだ人間は生き返らない。

 たとえ愛する家族の最後の言葉を聞いても、現実は変わらない。何も変わらない。

 死んだ事実から、何一つ変わらないのだ。


 ──それでも俺は。

 人のために仕事がしたいと思った。


 警察官でい続ければ。

 きっと、どこかで、俺の能力で救われる人がいるはず。


 理想が折れて辛い現実を知っても。

 俺は諦めなかった。

 形は変わったかもしれないが。

 俺は自分の能力で、『人のため』の仕事をしたいと思うようになった。


 ──妻と娘を事故で亡くすその日までは……。

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