第10話
◯
田中邦雄と美紀子が出会ったのは、5年前のマッチングアプリがきっかけだった。
田舎から上京して大手銀行に入社した田中さんは、一年も経たずして鬱を発症して退職し、職業訓練校でプログラミングを勉強してからITエンジニアとして中小企業に再就職したそうだ。
仕事とアパートの往復で終わる毎日に嫌気がさして、彼女が欲しいという一心でマッチングアプリに手を出したという。
そこで三回目ぐらいにマッチングして出会ったのが、美紀子さんだそうだ。
「感じのいい青年でしたね」
「礼儀正しくて親切で」
「真面目で実直な人」
「私は好きでしたよ」
客間でお茶を出してくれた美紀子の母親が、昔を懐かしむように田中さんとの出会いについて語ってくれた。
「美紀子もちょうど彼氏と別れてしばらく経った頃でしたから」
「タイミングが良かったと思います」
「二人とも趣味も価値観も合っていたみたいで」
美紀子の母親は、私が座るソファーの隣に座ると、スマホ画面を私に見せてくれた。
画面には、田中さんと美紀子、ミナミの三人が映っている家族写真のサムネイル画像がびっしりと並んでいる。
「これが二人が台湾旅行した時の写真」
「邦雄くんは飛行機が苦手だったそうなんだけど」
「美紀子の喜ぶ顔がどうしても見たいって言って」
「頑張って行ったそうなのよ」
指を刺して見せてくれた写真には、台湾の夜市で串焼きを食べている田中さんと美紀子が写っている。二人とも今とは比べ物にならないくらい若々しく、満面の笑顔でこちらを向いている。
「素敵ですね」
私が言うと「そうね」と美紀子の母親は相槌を打った。
「お葬式を行ったと言っても」
「直接、邦雄くんを見た訳じゃないからね」
「葬儀屋さんが用意してくれた写真や動画を見てお別れ会みたいな形をとったものだから」
「ミナミはまだパパがいないことをわかっていないみたい」
美紀子の母親は寂しそうに私に話してくれた。
入社試験を受ける前に社長から教えられたことだが、人身事故で亡くなったケースの場合、遺体の損害具合によって葬儀社側の提案で遺族の精神的負担を軽減させるために、故人の対面を省略することが多いそうだ。
場合によってはエンバーミングや死化粧で復元することもあるそうだが、田中さんの場合、電車に轢かれた影響で顔の半分以上が損壊した状態らしいので、復元不可能ということで、葬儀を終えた後には、そのまま遺族との対面なしで火葬したそうだ。
「あの」
「芳野さん」
「一つ伺ってもよいかしら?」
真剣な表情で美紀子の母親は私を見た。
「邦雄くんは」
「元気なのかしら?」
不安が混じった顔で、美紀子の母親は私に訊いてきた。
──どう答えようか。
一瞬、私が答えに詰まってしまうと、美紀子の母親が「ごめんなさい」と謝った。
「変よね」
「邦雄くんは死んでいるのに」
「元気なのかを聞くなんて……」
美紀子の母親は頭に手を当て、「もうダメね私と」独り言を呟く。
「邦雄くんはご両親を早くに亡くしたの」
「邦雄くんのお父さんは邦雄くんが一歳の時に事故で」
「お母さんは美紀子と結婚した一年後に病気で亡くなられてね……」
美紀子の母親は、窓に映る梅の木に目を向けた。
梅の木に風が当たり、さわさわと木の葉が揺れている。
「私は邦雄くんのことを」
「美紀子の旦那としてだけでなくて」
「実の息子のようにも大切に思ってるの」
「たとえ幽霊になっても」
「私は邦雄くんと最後に会ってみたいの」
「──ミナミもきっとそうだと思うわ」
美紀子の母親が私を見つめた。
私も美紀子の母親をまっすぐ見つめ返した。
──いい人だな。
そう思った。
美紀子や友達の沙織は、心の底から幽霊を視たくないとつげている。
お母さんもそうだ。
幽霊が視えるということは、病気の一種だと言うふうに捉えている。
美紀子の母親のように、死者と向き合おとしている人は、あまりいないものだと私は思っていた。
──みんながみんな。
──幽霊を気持ち悪いと感じていない。
それをあらためて知ることができて。
私は心の底から嬉しく感じた。
「田中さんは」
「ミナミちゃんに会いたがってました」
私が答えると、美紀子の母親は目を一度伏せた。
瞳が潤んでいた。
少し経ってから、鼻を啜る音が聞こえた。
美紀子の母親は人差し指で目頭を軽く擦る仕草をした。
「ごめんなさいね」
「話が聞けてなんだか嬉しくなっちゃって」
「お茶のおかわりはいる?」
私は軽く会釈をして、お茶のおかわりを所望した。
美紀子の母親が客間から出て行くタイミングで、私は客間から見える和室に目を向けた。
和室の畳の上では、寝そべりながらタブレットで動画を見るミナミちゃんがいた。
──3歳のミナミは。
──パパが死んだことを理解しないまま。
──パパのお葬式に参加をしていた。
年端も行かない小さな女の子が、父親の葬式に参列する様子を想像をしただけで、胸が張り裂けそうな辛い気持ちになってしまう。
私が初めて人の死を近くに感じたのは、おじいちゃんだった。
それも一年前。
つい最近の出来事だ。
まだ物心がついたばかりの女の子が──。
父親にいっぱい甘えたい年頃だというのに──。
この娘は、父親を失ったのだ。
大好きなパパが、自分の知らないところで死んでしまった。
子供が自分の父親の死について理解していないことが幸せなことなのか、私にはわからない。
ただ。
ミナミがいつか大きくなって成長した時。
──父親がどんな人間だったのか。
──田中さんがどれだけ子供を愛していたのか。
その『事実』を知ってもらいたい。
この父娘の絆が“本物”だったことを──。
「ミナミちゃん」
私は席を立ち、ミナミに声をかけた。
ミナミは顔上げて「なーに?」と聞き返した。
「パパのこと」
「好き?」
ミナミは私に満面の笑顔を向けた。
「うん!」
「大好き!」
私はミナミの笑顔を見て、暖かい気持ちになった。
──良かった。
心の中で、私は安心した。
──たとえ私の自己満足だと批判されても構わない。
私が信じる『できること』を。
全力で頑張ることだ。
「ミナミちゃん」
「お願いしたいことがあるの」
「聞いてくれるかな?」
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