第9話


「──光ですか?」


 スマホに繋げたイヤホンから「そうよ」と、低い女性の声が返ってきた。

 東京駅から中央線に乗って一時間。

 高校の校外学習以来行ってないY県の終着駅に到着してからバスに揺られて30分経った郊外に降りた私は、霊視訓練でお世話になった金森奈緒子先生に電話をしている。


「三ヶ月前くらいに論文で発表されたんだけど」

「軍人の霊体に50ルーメンの光でモールス信号を当てる実験をしたところ」

「霊体がこちらの存在を認識してコミュニケーションが取れたそうよ」


 電話越しから、カチカチと奈緒子先生がマウスをクリックする音が聞こえた。


「ってことは」

「懐中電灯でモールス信号を当てれば」

「幽霊とお話しできるということですか?」


 私が聞くと、奈緒子先生は「いやいや」と言った。


「一澄ちゃん」

「普通の人はモールス信号を知らないものよ」

「光をカチカチ当てても幽霊を怒らせるだけだから」

「辞めた方がいいわ」


 奈緒子先生に指摘されて、私は「あ、そっか」と納得した。

 たしかにそうだ。

 いきなり顔に光なんて当ててもビックリするだけだし、モールス信号がわからなければコミュニケーションをとりようがないか。


「個体差にもよるし」

「その依頼人さんの幽霊が光に反応する保証もないわ」


 アスファルトが舗装された住宅街の道を歩きながら、私はしょんぼりした。


 奈緒子先生は、おじいちゃんの次に私の人生に影響を与えてくれた恩人だ。

 私と同じで、奈緒子先生も霊視能力を持っていて、私と違って四歳の頃に発現していたそうだ。先生の時代は、まだ幽霊が科学的に立証されていなかったのもあって能力を隠していたらしい。

 奈緒子先生が神経科のカウンセラーになってから五年が経った頃、アメリカの大学で幽霊の存在が科学的に立証され、国で霊視訓練を取り入れた医療制度が始まった。そのタイミングで、奈緒子先生は神経科から心霊医療科に転属したそうだ。


 ──幽霊の田中さんがこの世から消える前に、私に何かできることはないか。

 専門家の奈緒子先生に思い切って相談してみたけど、一筋縄ではいかないかもしれない。そう思った。


「他に方法がないか私の方でも調べてみるわ」


「ありがとうございます」

「奈緒子先生」


 私は奈緒子先生との通話を切ろうとした時、奈緒子先生が「ちょっと待って」と声をかけた。


「一澄ちゃんが今インターンで働いてる特殊清掃の会社って」

「どこだっけ?」


「あ」

「株式会社ホワイトクリーンです」


 奈緒子先生は「あー」と言った。


「鬼島さんのところか」


 私は驚いた。

 奈緒子先生の口から社長の名前が出るなんて……。

 もしかして知り合いなの?


「狭い業界だしね」

「何度か会ったことあるわ」

「気難しい人よね」


 はははと奈緒子先生は笑った。

 共通の知り合いがいるということで、私は少し嬉しくなった。


「でも鬼島さんはいい人よ」

「不器用だけど」

「幽霊ときちんと向き合っているわ」

「いいところでインターンさせてもらってるわね」


 奈緒子先生は私にそう言った。

 ──社長はいい人だ。

 それは知っている。

 口調は乱暴で皮肉屋、時代錯誤の昭和のオヤジ丸出しな人間性はあるけど、仕事と幽霊に対しては、真面目に真摯に向き合っている。その姿勢は尊敬しているし、私は好きだ。

 ──できるなら。

 大学を卒業後は、社長の会社で働きたいと思っている。


「鬼島さんのところで働くの?」


 奈緒子さんが私に訊いた。

 私は「わかりません」と答えた。


「今私ができることを頑張ります」

「結果はまた連絡します」

「期待しててください」


 私はそう言うと、電話を切った。


 ──目的地に着いた。


 古い民家だ。

 木造建の二階建。

 屋根瓦に苔の生えたブロック塀。

 表札には『佐藤』と書かれている。


 間違いない。

 ここだ。


 私は息を軽く吸って、インターンホンを押した。


「はーい」


 インターホンから、小さな女の子の声が聞こえた。


「どちら様ですか?」


「こんにちわー!」

「株式会社ホワイトクリーンの芳野といいます」

「お母さんいますか?」


 がちゃりとインターンホンの音が切れた。

 玄関の引き戸が開いた。

 奥から六〇代くらいの白髪混じりのおばあさんと、ツインテールに髪の毛を結った四歳くらいの女の子が現れた。


「保険の営業ですか?」


 訝しげな眼差しでおばあさんが私を見た。

 私は首を左右に振った。


「突然の訪問すみません!」

「美紀子さんからご依頼頂いた特殊清掃会社の者です」


「特殊清掃……あー!」

「邦雄さんの件でお世話になっている方ですね!」

「はいはい!」

「初めまして」

「美紀子の母です!」


 おばあさん──美紀子の母親は、手のひらをぽんと拳で叩いた。

 ──良かった。住所合ってた。

 本当は良くないけど、マンションの中を調べさせてもらった。

 郵便物の送り元に、ここの住所を見つけた。

 送り主の名前が佐藤となっているのと、手紙で美紀子さんのことを書いていたので、おそらく旧姓でご実家だと推測したが、どんぴしゃだった。

 依頼人の個人情報を詮索するのは良くないことはわかっている。わかった上での覚悟の行動だ。

 

「ごめんなさいねぇ」

「美紀子は今病院で……」

「帰ってくるのがあと一時間後くらいだと思うけど」


「そうなのですね」


 そりゃまぁそうか。

 急に来ても本人に会えるとは限らない。

 行き当たりばったりもいいところだ。

 仕方がない。どっか喫茶店探して時間を潰そう。


「もし良かったら」

「うちで待つ?」


 美紀子の母親が私に言った。

 私は「いいんですか?」と訊くと、「このあたりはお店も何もないし、お茶ぐらいしか出せないですけど」と言って、家の中に通してくれた。


「ミナミ」

「ご挨拶は?」


 美紀子の母親が女の子に声をかけると、ミナミと呼ばれた女の子は、美紀子の母親の足元に隠れた。


「こんにちわ」


 ミナミは恥ずかしそうに足をもじもじさせて、上目遣いで私に挨拶をした。

 初めて会った人だから、恥ずかしいのや照れてるみたいだ。めちゃ可愛い。


「こんにちわ」

「お姉ちゃんの名前は?」


 私はミナミの目線に合わせてその場で腰を落とした。


「田中ミナミ」

「4歳」


 もじもじとミナミは恥ずかしそうに私に言った。

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