第8話


 入社試験が始まって三日経った。

 幽霊と過ごすという点を除けば、生活にはかなり慣れてきたと思う。


 朝。

 幽霊──もとい、田中さんを探すところから一日が始まる。

 大抵は寝室でスーツ姿のまま、田中さんは寝ていることが多い。一晩中、家の中で見つからない奥さんと娘さんを探し続ける田中さんは、深夜になると気力がもたなくなるのか疲れて眠ってしまうようだ。

 幽霊が寝るということは珍しいことじゃないみたいで、死ぬ直後に意識がはっきり残ってい若い幽霊であればあるほど、生前の習慣を繰り返す傾向が高いそうだ、

 高齢での病死、もしくは正気を失って亡くなった人ほど、ホラー映画でいうところの不気味な幽霊に近い状態に仕上がるらしい。


 昼。

 田中さんはフローリングの床に胡座をかいて座って、右手で何かを掴んで親指を忙しなく動かす奇行を繰り返すことが多い。

 本人的にはスマホをいじっているらしく、くすくす笑ったり「へぇー」と感嘆したりと、何もない右手を見つめる時間が長かったりする。


 夜。

 数時間にわたって、フローリングの床にうずくまり、嗚咽混じりの大号泣を続けている。


《俺が悪かった》

《帰ってきてくれよ美紀子》

《ミナミ……》


 ぶつぶつと泣きながら独り言を呟く田中さん。

 聞こえない小さな声でなにか他にもぶつぶつと呟き、一通り泣き続けた後、ずりずりと足を引きずらせながら寝室に入っていく。

 そして。

 ベッドにうつ伏せで倒れて、いびきをかき始める。


 ──3日間。

 これを繰り返している。

 外に出かけようともせず、家の中で決まった時間と決まった場所で繰り返し同じ行動をとっている。

 まるで牢屋に入れられた囚人のような。

 いや。

 カゴに入れられたネズミのような。

 自分が何をやっているのか理解しないで、本能のまま行動している。そんな印象を感じられた。


「順調だな」


 3日目の夜。

 社長に電話をかけた。

 熱い温度で湯船を張ってお風呂に浸かった私は、体を徹底的に温めてからドライヤーで髪の毛を乾かし、厚手のパジャマに着替え、とにかく体を冷やさないよう気をつけた。

 部屋のあちこちは幽霊の消滅を早めるために、19度以下に温度を設定している。

 家の中の光熱費は、経費で支払えるから気にせず遠慮しないでガンガン使えと指示をされた。

 幽霊の正体は熱だ。

 熱を覚ますために冷やす必要がある。

 それは理解できるのだが、冷蔵庫並みに冷やした部屋の中で、同じ行動を繰り返す田中さんの幽霊を3日間観察している私としては、本当にこのやり方が正しいのか疑問を感じて仕方がない。


「何も問題ない」

「繰り返し行動はホトケが『正気』を保とうしている証拠だ」

「自分が生きていることを錯覚させるために」

「何度も同じことを繰り返す習性がある」

「ホトケの『本能』みたいなもんだ」


 淡々と社長が電話越しに私に言った。


「数日もすれば足元から消えて」

「最後には跡形もなく消え去る」


 私はリビングにあるテーブルの椅子に座って、フローリングで泣き崩れる田中さんを見た。


「──社長」

「本当にこれでいいんでしょうか」


 19時25分。

 今日も同じ時間に田中さんは奥さんと娘の名前を呼んで慟哭している。

 首の骨が折れている以外、私の目には普通の人間の姿に見えている。

 私の感覚がズレているのかもしれないけど、私は幽霊を気持ち悪いと感じたことはない。

 当たり前だけど。

 この人は死ぬまでは、生きている人間だった。

 息を吸って、地面を歩いて、家族と一緒に幸せに過ごしていた普通の人間だった。

 死んで幽霊になっただけなのに。

 まるで害虫処理をするような扱いされるなんて……。

 あまりにも可哀想すぎる。


「芳野」

「間違っても坊主は呼ぶな」


 私の心を読んだかのように、社長が釘を刺してきた。


「そのマンションは清掃が終われば『売り』に出される予定だ」

「俺たちが入っているとはいえ」

「部屋そのものは『事故物件』ではない」

「だが一度ホトケが出たことが近所の人間にバレてしまえば」

「マンションの資産価値は半額以下になる危険がある……」

「下手に資産価値を下げて依頼人が不利になる状況を作るな」


「……わかっています」


 社長の言うこと自体、頭ではわかっているつもりだ。


 依頼人の田中美紀子は、夫の幽霊が完全に消えるまで、県外にある実家に隠れ暮らしているそうだ。

 霊視ができる私が、完全に幽霊がいなくなったことを確認できれば、依頼人の美紀子はこのマンションを売って、新しい生活を始めることができるのだ。


 依頼人の再出発を邪魔することは絶対にしてはいけない。

 それはわかっている。

 ──だけど。


「──言ったはずだ」

「お前の仕事は『清掃』だ」

「供養をするために呼ばれたわけじゃない」

「余計なことはするな」

「俺の言うことが聞けないなら」

「荷物をまとめてさっさと出て行け」

「給料はなしだ」

「いいな」


 冷たく社長は言い放つと、そのまま電話を切った。

 社長──、鬼島という人は、私が今まで出会った人の中で、指折り数えるレベルで理不尽で厳しい物言いをする人だと思う。

 だけど、不思議と嫌な気持ちはない。

 社長の仕事への姿勢は尊敬できる。

 特殊清掃のプロとして向き合っていて、未熟で学生の私に対しても、社会人としてあり方を指導をしようとしてくれている。

 不器用で厳しい態度だけど、仕事の先生のような存在だと感じる。


 ──だけども。


 いくら社長の考えが正しくとも。

 私の心の中にある『感情』が、それを認めようとしていない。

 お金をもらえるから、割り切るべきだと私は思う。


 ──でも。

 どうしても納得ができない自分がいる。


「ダメだな……私」


 号泣する田中さんを横に、私は独り言を呟いた。

 スマホが鳴った。

 びっくりした私は、思わず叫びそうになった。

 画面を見ると、通話をかけてきたのは弟の寛太からだった。


「姉ちゃん大丈夫?」


 寛太の声を聞いて、少し私の気持ちが落ち着いた。

 このところ実家に帰ってないから、久しぶりに寛太の声を聞いたかもしれない。


「メッセージを何回も送っても既読つかなかったから」

「いきなり電話しちゃった」

「ごめん」


 私は「こっちこそごめん」と謝った。

 メッセージアプリを確認すると、10件くらい寛太からメッセージが来ていた。

 このところ仕事のことで頭がいっぱいになりすぎて、メッセージアプリのチェックが疎かになっていたかもしれない。寛太には申し訳ないことをした。


「母さんが心配してたよ」

「私が余計なことを言ったせいでお姉ちゃんをムキにしちゃったかもって」


「……そうなんだ」


「月曜日には帰るって聞いたけど」

「仕事終わりそう?」


 私は田中さんを見た。

 田中さんは立ち上がって、のそのそと重い足取りで寝室に向かって行った。


「多分ね」

「あんたは大丈夫?」


「まぁボチボチかな」

「それよりも姉ちゃんに聞きたいことがあって電話したんだ」


「聞きたいこと?」


「メッセージ読んではいないよね」


 私は「ごめん」と謝ると、寛太は「いや、いいよ」とすぐに許してくれた。


「来週」

「おじいちゃんの命日じゃん」

「姉ちゃん来るかどうか聞いとけって言われたんだ」


 寛太に言われて、私ははっと思い出した。

 ──そうだ。

 来週の土曜日、おじいちゃんの一周忌だった。


「行くつもりだよ」

「それがどうしたの?」


「……」

「マジか」

「そうなるよな」


 寛太の声のトーンが、明らかに落ちた感じがした。

 なに?

 何か問題でもあるの?


「これさ」

「俺が言ったってこと内緒にして欲しいんだけどさ」

「来週の法事……」

「姉ちゃんには来てほしくないって空気らしいんだよ」


 思わず私は「は?」と聞き返した。


「なんで?」

「なんか私……した?」


 動揺したせいなのか、関係のない寛太に詰めるような言い方をしてしまった。

 寛太は私の反応を予想していたようで、「姉ちゃん落ち着いて」と宥めた。


「姉ちゃん幽霊視えるじゃん」

「ガチで本物のおじいちゃんが来てるってわかったらさ」

「ちょっと洒落にならないっつーか……」


「洒落にならない?」

「なにが?」


 やや要領が得ない寛太の説明に私はイラッとしたせいか、いつもよりも強い口調で寛太に当たった。


「みんな『怖い』んだよ」

「じいちゃんが俺たちを恨んで誰かに取り憑くんじゃないかって……」


 私は思わず呆れて「はぁ?」と言った。


「馬鹿馬鹿しい」

「おじいちゃんがそんなことするわけないじゃん」


「でも姉ちゃんは『視える』じゃん」

「姉ちゃんが一言いるって言ったら」

「みんな100パー信じるんだよ」

「そしたら法事どころじゃなくなるかもって……」


 気まずそうに寛太は私につげた。

 私は頭を抱えた。

 沸騰したお湯のように、私の胸の中にある感情が爆発しそうだった。怒りで血管を切れそうになったが、寛太に怒鳴ったところで何も解決しないのはわかっている。

 深呼吸をして、どうにかして感情を落ち着かせようと努力した。


「……わかった」

「来週の法事には私行かない」

「お母さんとお父さんには伝えておいて」

「これでいい?」


「……ごめん」

「姉ちゃん」


 通話が切れた。


 ──寛太が悪いわけではない。

 多分、私がいないところで家族会議が勃発していて、私を呼ぶかどうかの議論をやっていたんだと思う。

 寛太は昔から、協調性とか空気感とかを大切にする子だった。

 私との関係値や私の性格を見越した上で、相談してきたというのも想像できる。寛太なりにも、私に気を遣ったのわかる。だから寛太には対して怒っていない。


 怒るとしたら──浅い知識と霊視に対して偏見を持った親戚たちだ。

 マジで意味不明だとキレそうになった。

 今までなんとなく腫れ物に触られる扱いをされ続けていたから我慢してきたけど、今回の話で堪忍袋の尾が切れた。

 本当あいつらマジで──ッッッ。


 ドン‼︎


 突然、壁にぶつかる音がした。

 びくついた私は、唾を飲み込んだ。


「なに?」


 心の声が勝手に口に漏れ出る。

 音が聞こえたのは寝室からだった。

 

 寝室には田中さんの幽霊が寝ているはず。

 何かが落ちたとか?

 私は恐る恐る寝室に覗きに行った。


《くそ!》

《くそ!》

《くそ!》


 寝室を覗くと、田中さんが暴れていた。


 部屋の本棚が倒れている。

 ベッドのシーツがひっくり返っていて、寝室の床には、本や家族の写真が散乱している。


 これ……幽霊がやったの?


 俄かに信じられない光景を目の当たりにして、私は唖然となった。


 幽霊は物理干渉ができないはず。

 私に突進した田中さんの幽霊は、私の体をすり抜けた。

 この部屋の散乱は、幽霊がやったということ?


 待って私。

 落ち着いて。


 思い込みはダメだ。

 頭の中がぐちゃぐちゃになって一瞬パニックになりかけたけど、はっと思い出したことがある。


 ──ポルターガイストだ。

 強い想いを抱いたまま死んだ幽霊の中には、物理現象にも影響を与えることがあるって……霊視訓練の授業で聞いたことがある。


 火をかけた鍋の蓋が、沸騰した水蒸気でガタガタと震えるのうに、現代の科学では、異常に温度上昇した幽霊の『熱』が起こす『熱風現象』というのが、ポルターガイストやラップ現象の正体だそうだ。


 映画や漫画だとフィクションで取り上げられるポルターガイストだけど、近年になって本当に幽霊が起こしている科学現象として研究されているって聞いた。


 まさか田中さんの幽霊がポルターガイストを起こすなんて……。


 社長は繰り返し行動が幽霊の本能だと言っていた。

 私一人だけで見張りの仕事を任せたのも、危険がないからという判断だからという理由だと思う。おそらくこの状況は社長も想定していない気がする。


 ──報告しなくちゃ。

 ポルターガイストを起こす危険な幽霊なら、次に何をしでかすか予想もできない。すぐに社長に連絡しないといけない。

 私はスマホから社長の携帯電話にかけようとした。


《ふざけるな‼︎》

《死んでたまるかよ‼︎》

《くそ‼︎》

 

 スマホの指が止まった。


《先週の土日も仕事をした‼︎》

《先々週も会社に行った‼︎》

《できもしねぇ案件を取ってきて‼︎》

《火消しのために連日瑕疵対応だ‼︎》

《ボーナスも出ないのに‼︎》

《くそ‼︎》

《会社は俺を殺すつもりか⁉︎》

《くそ‼︎》


 どんどんと床を拳で田中さんは叩く。

 うううと呻きながら、床に散らばった家族の写真に手を伸ばした。


《──今日はミナミの誕生日だ》

《一ヶ月仕事漬けで》

《美紀子ともスマホでのやり取りしかしてない……》

《朝から晩まで仕事を頑張ったのに……》

《家に帰ったら誰もいない……》

《なんでだよ……》


 田中さんが手に触れた写真には、遊園地の観覧車をバックに、田中さんと美紀子さん、娘のミナミちゃんが写っていた。

 ぽたぽたと写真の上に何かが落ちた。

 透明の液体だ。

 私は見覚えのある透明の液体が、写真の上に落ちては、すっと消えていく。


《──約束したじゃないか》

《四歳のお誕生日に》

《家族みんなでケーキを食べようって……》

《約束したじゃないか……》


 顔がくしゃくしゃになっていた。

 田中さんの顔の目や鼻から、透明な液体が垂れ流れていた。

 辛そうな表情だった。

 歯を食いしばって、液体が漏れ出ないように堪えているのに。

 後から後から液体が溢れ出ている。


《ミナミの誕生日を祝うまで》

《死んでたまるかよ》

《絶対に俺は──》

《死なないからな‼︎》

《くそ‼︎》


 田中さんは慟哭した。

 大きな独り言だ。

 誰に向かって言ってるのではない。

 自分自身に向かって言っている大きな独り言だ。


 田中さんの大きな独り言を聞いた私の両眼から、暖かいものが一筋流れた。


 ────一澄。


 私の脳裏に、おじいちゃんの声が過った。


 ──自分が今日まで生きてこれたのは。

 ──世の中が自分を支えてくれたからだ。

 ──みんながお前を育ててくれたおかげで。

 ──今の自分がいるんだ。

 ──自分を育ててくれた世の中に。

 ──恩返しすることができるなら。

 ──なんだってやりたい。

 ──そう思える人間になれ。


「……」


 私は下唇を噛んでいた。

 気がつくと、目が熱くなっている。


 おじいちゃんの言葉が頭の中いっぱいになって、ぽろぽろと私の両目から涙がこぼれ落ちた。


 ──ごめん。

 ──おじいちゃん。


 私……、自分を見失っていた。

 理不尽な状況にさらされ続けたせいで、感情が暴走していた。

 誰かを恨んだりムカついている場合ではない。


 ──霊視の力は病気なんかじゃない。


 困った人を助けるために。

 神様から授かった特別な力だと信じている。


 自分を育ててくれた世の中のために。

 世の中に恩返しするためなら。

 なんだってする。


 おじいちゃんが私に教えてくれた言葉が、今の私にすごく刺さっている。


 ──やるべきことは決まった。

 もう迷わない。


 目元に溜まった涙を手で拭った。

 リビングに戻った私は、すぐにエアコンのスイッチを切った。

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