第6話
◯
田中家のマンションに着いたのは夕方過ぎだった。
マンションは駅から歩いて5分の場所にあり、マンションのすぐ下には滑り台やブランコが設置された児童公園があった。
私と社長は田中美紀子から借りた鍵を使ってオートロックの玄関を開けてマンションの中に入った。
吹き抜けになっている高層マンションの6階の角部屋が田中家の部屋だった。
「──入る前にお前に言っておくことがある」
社長は玄関の鍵を開けると、ドアノブに手をかけた状態で私に振り向いた。
「俺の指示があるまで『何もするな』」
「この仕事はお前の入社テストで実施するが」
「責任を持つのは俺だ」
「余計なことをして依頼人の信用を落としたくない」
「わかったな」
じぃっと社長が私を見た。
私は小さな声で「わかりました」とつぶやいた。
「声が小さい」
「もう一度言え」
社長の物言いにイラっとした。
「わかりました」
「社長の指示があるまで何もしません」
「これでどうですか?」
トゲのある口調で社長に言い返した。
社長は無表情で「結構だ」と言った。
「あともう一つ」
「デケェ声は出すな」
「お前の声はキーキーうるせぇ」
「近所迷惑になるから」
「なるだけ声を落とせ」
社長は最後に私に釘を刺すと、玄関ドアを開けた。
《おかえり‼︎ミナミ‼︎美紀子‼︎》
《やっと帰ってきてくれた‼︎》
ドアを開けた瞬間、部屋の奥から男の人が走って向かってきた。
私は思わず叫びそうになった。
「⁉︎」
男の人が私の体にハグをしてきた。
反射的に私は屈んで避けると、すっと男の人の体が私の体をすり抜けた。
──幽霊だ。
肌の色が青白く、首の骨が折れて目や口から血が垂れ流れている。
ここまで酷い状態の幽霊を見るのは初めてだ。
《美紀子?》
《ミナミ⁉︎》
《どこだミナミ⁉︎》
男の幽霊は、まるで私たちの存在など目に入っていないかのように、部屋の中を右往左往しはじめた。
無視しているのではない。
こちらに気づいていないのだ。
何かを。
いや。
誰かを必死に探している。
そんな様子だった。
あれが、今回の依頼人が見えている幽霊──、
事故で死んでしまった旦那さんか。
「一週間ってところだな」
社長は玄関で靴を脱ぐと、ずかずかと部屋の奥に歩を進めた。
「ホトケは俺たちを認識できない」
玄関で靴を脱いだ私に、おもむろに社長が口を開いた。
「こいつらは自分が『記憶したもの』以上のことを知ることはできない」
「過去に会ったことがある人物──」
「行ったことがある場所──」
「生前のホトケが経験したことなら認識ができるが」
「それ以外の新しい存在を」
「認識することは決してない」
社長は旦那さんの幽霊に歩み寄ると、旦那さんの頭の後ろを触った。
投影されたホログラムのように、社長の手が幽霊の頭の中に入っては出てを繰り返した。
「ホトケは『過去の存在』だ」
「新しく出会った人間を認識することはできない」
「初対面の俺たちがいくら声をかけても」
「気づくことはないだろう」
社長は私を一度見て、あたりを見回して何かを探し始めた。
何を探してるのだろう。
私が疑問に感じた時、社長がテーブルの上に置いてある何かを見つけると、見つけた何かを拾い上げた。
拾い上げたのは、エアコンのリモコンだった。
「芳野」
「お前は一週間」
「この部屋に泊まり込め」
「それがお前の仕事だ」
ぴっと電子音が鳴った。
社長がエアコンのスイッチをつけた。
「すでに常識になっているが」
「ホトケの正体は『熱』だ」
「室内温度を摂氏20℃以下にキープしておけば」
「一週間」
「長くともニ週間かそこらで奴らは『消滅』する」
ぴっぴっぴっと社長はリモコンの温度設定を容赦なく下げて、設定温度を19℃に変更した。
──ちょっとマジで言ってるの?
真夏ならまだしも、まだ春先になったこの季節で冷房エアコン19℃の部屋で一週間も過ごせっていうの?
正気? この人。
「衣服は後で持参しろ」
「厚手の服を着込めば問題ないだろ」
「風呂場や食器類の使用も許可してもらっている」
「風邪ひかないように体調管理だけ気をつけろ」
「大学もここから通う分にはそう遠くないはずだ」
まぁ……たしかにここから大学に通う分には不便ではないし、着込んでよくて温かい物が食べられるなら、まだどうにか耐えられなくはないけど……。
でも一週間も泊まり込みって、流石に長すぎないかな。入社テストとはいえ、バイト代がもらえないと割に合わないかも。
「日当二万払う」
「トラブルなくホトケが消滅したのを確認できたなら」
「追加報酬として五万払う」
前言撤回。
割りが良すぎるかも、このバイト。
「あの」
「質問いいですか?」
私は小さく手を上げた。
「私一人だけですか?」
社長が目を細めて私を見た。
「当たり前だ」
「俺は忙しいんだ」
「お前が逃げ出さないかも含めての入社試験だ」
ふんっと社長は鼻息を吐いた。
ちょっも聞いただけなのにそんなに強く返さなくていいじゃん。
私は少しだけ不満を感じた。
「もう一ついいですか?」
「『消滅』って……」
「つまり成仏のことですよね?」
「私の仕事って」
「幽霊が成仏するのを見届けるこですか?」
社長は「違う」と強い口調で否定した。
「俺たちは宗教家ではない」
「『掃除』のプロだ」
「ゴミを掃除するのが俺たちの仕事だ」
「お前はホトケを消えたかどうかだけ確認しろ」
「それ以外余計なことはするな」
「いいな」
私は社長に反論しようと口を開けたが、すぐに口を閉じて下唇を噛んだ。
「はい」
返事をした私の目の前で、田中の幽霊が床に座っている姿を見た。
《どこにいるんだよ……》
《ミナミ……》
落胆してため息をつく田中の幽霊を見て、私は切ない気持ちになった。
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