第5話
◯
喫茶店に入った私と社長は、依頼人である田中美紀子に挨拶をした。
「初めまして」
「葛区役所よりご紹介いただきました」
「株式会社ホワイトクリーンの代表」
「鬼島です」
「……」
田中美紀子は口を半開きにしたまま、私たちを見上げていた。
目の焦点が合っていない。
青白い顔色に紫色の唇。生きている人間のはずなのに、まるで幽霊のように生気を感じられない。
心ここに在らずというか、精神的に参っているせいなのか、全身から疲労感が溢れ出ている印象があった。
社長は美紀子に気にかける言葉は一切かけず、「失礼します」といってテーブル席の椅子に座ると、向かい側に座る田中美紀子にテーブル越しに名刺を渡した。
「芳野一澄です」
「申し訳ございません」
「名刺を切らしてしまいまして」
「本日はご挨拶だけとなりすみません」
名刺を持たない私は、一礼で美紀子に応じた。
車を降りる直前、社長からは「社員として名乗れ」と短く指示を受けていた。
顧客との初対面で、正体の知れぬ部外者を同席させれば、警戒心を招くだけだ。たとえインターンであっても、“社員”という肩書きを借りるのが、顧客商談の常識だと教えられた。
──余計なことは口に出すな。
──お前はメモでも取るふりをして黙って話を聞いておけ。
喫茶店に入る前、社長からしつこく釘を刺された。
社会人経験がない大学生だからなのか、それとも私だからなのか……よほど信用してないんだろうな。
「役所の人間から話は伺っています」
「葬儀を終えて一週間」
「まだご主人は視えますか?」
社長は美紀子を見つめながら訊ねた。
美紀子のテーブルに置いてあるコーヒーを見つめるばかりで、こちらに目を向ける様子はなかった。
「──霊視に罹ったのは私だけです」
「3歳の娘は主人を視ることはないと医者から聞きました」
「それが不幸中の幸いでした……」
消え入りそうな小さな声で、美紀子はぼそりとつぶやいた。
「事故で亡くなったあの日」
「娘の誕生日でした」
「今日は絶対に定時で帰ると私たちに約束したんです」
「普段は帰らない時間に帰ろうとしたせいで……」
ぽたっとテーブルに滴がこぼれ落ちた。
美紀子は「すみません」と一言謝ると、ハンカチで目元を拭いた。
「私のせいなんです」
「私が早く帰ってきて欲しいとお願いしたばかりに……」
涙で声が濁っていた。
美紀子が泣いている様子に気づいた飲食客の何人かが、奇異な物を見る目で彼女に視線を向け始めた。
「田中さん」
「ご自分を責めないでください」
「田中さんのせいじゃないです」
泣き出す美紀子を宥めようと、咄嗟に私は声をかけた。
「おい」
「余計なことを口にするな」
「え?」
社長の冷たい視線が私に突き刺さった。
何のことかわからず、私が戸惑った。
怒られるようなことはしてないはずなのに、なんで?
「──デリカシーがないんですね」
美紀子ははっきりとした口調で私に言った。
「死んだ主人が私を見つめるんです」
「“お前のせいで俺は死んだんだ”って」
「幽霊になって主人は私を責め続けるんです」
「私の気持ち……」
「あなたに本当にわかりますか?」
美紀子は私を容赦なく責め立てた。
ポロポロと美紀子の両目から涙が溢れ出ている。
社長は黙って美紀子を見つめている。
「──お願いします」
「お金ならいくらでも払います」
「主人を……」
「──私と子供の前から消してください」
美紀子は顔を覆い、静かに泣き続けた。
私と社長は声をかけることができず、泣き続ける美紀子を見つめるしかできなかった。
◯
田中美紀子から家の鍵を受け取った私たちは、昼食をとるために現場近くの蕎麦屋に入った。
「食わないのか?」
ざる蕎麦をすする社長が私に声をかけた。
テーブルに置かれたざる蕎麦を見つめる私は、「すみません」と一言社長に謝った。
「勝手なことをしてしまい」
「すみませんでした」
ずずずと社長は麺つゆにつけた蕎麦をすすった。
「……神経科の医者から聞いた話だと」
「霊視の矯正手術を受けるのに」
「400万〜500万ぐらいが相場になっているらしい」
社長は箸をテーブルに置くと、ふーっと息を吐いた。
「それでも手術を受ける人間が毎年数が増えているそうだ」
「保険適応外の高額医療の上に」
「失明」
「もしくは半身不随になるリスクも高いというのに……」
「なぜだと思う?」
「……」
私は社長の問いかけに返事をしなかった。
──答えたくなかった。
どうしてなのか、その理由は察している。
「──普通の人間はな」
「ホトケを一瞬でも見ただけで精神的に参っちまうもんだ」
「数日も過ごせる奴なんて異常なことだ」
「お前は親身になったつもりだろうが」
「中途半端な寄り添いはただのプレッシャーになるだけだ」
「覚えておけ」
社長の説教を私は黙って聞いた。
──気持ち悪いな、お前。
──それにあんたの病気のこともあるじゃない?
脳裏に一瞬、元カレとお母さんに言われた言葉が過ぎる。
霊視スキルと言葉は変えても──。
世の中のほとんどは幽霊が視えるということを『病気』だと思い込んでいる。
幽霊の存在が科学的に立証されても。
死んでしまった愛する人と同じだと認めることができない。
病院の先生から聞いた話だと、霊視を発症した人の中には、幽霊を『幻覚』だと考えているそうだ。
幻覚症状を治すために、霊視をなくすことができないかと相談することが多いらしい。
──私は霊視を病気だと思ったことは、ただの一度もない。
だけど。
世の中の多くの人は、霊視を病気だと考えている。
私は世直しをしたいわけではない。
霊視を病気じゃないと、みんなの認識を改めたいと偉そうなことをしたいと思わない。
ただ──。
幽霊を。
死んでしまった人を。
まるで汚い物を扱うような酷いことをしないでほしい。
「芳野」
「仕事に感情を持ち出すな」
はっと私は我に返った。
厳しい目つきで、社長は私をまっすぐ見つめている。
「俺たちは『プロ』だ」
「金を受け取って仕事をする以上」
「感情は切り捨てろ」
「テメェのセンチに付き合ってる暇はねぇんだ」
「さっさと切り替えろ」
私は下唇を噛んだ。
社長の箴言を聞いて、悔しい気持ちが込み上がってきた。
「……いただきます」
私は割り箸を手に取った。
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