第4話
◯
車で到着したのは、善風寺というお寺だった。
善風寺は国立市にあるお寺で、国道を降りてから1時間、錆びたガードレールが設置された古い山道を30分ぐらい登った場所にあった。
「鬼島さんが会社の人をお連れしたのは初めてね」
ガラステーブルにお茶を置いた住職の奥さんが、「しかもこんな若い方をねぇ」と独り言のような感想を呟いた。
善風寺の本堂の近くには住職の家族が生活する母屋があって、社長と私は本堂ではなく母屋に挨拶に向かった。母屋で出迎えてくれたのは住職の奥さんで、社長と奥さんは挨拶がてら少し雑談をした後、私に母屋で待ってるようにと指示をしてからどこかに行ってしまった。
社長は一体何の用事があってこんな場所に来たのだろう。
こんな山奥のお寺なんかに……。
「お勤めになって長いの?」
住職の奥さんが気を遣って私に声をかけてきた。
「あ、いえ」
「インターン生なんです私」
「インターン?」
「まだ学生でして……その……なんていうかアルバイト的な奴というか」
誤魔化すように私はお茶を啜った。
自分で説明して気づいたのだが、たしかに私の立場って何なんだろう。
こんなわけのわからないとこらに連れて来られたけど、ちゃんと拘束時間に見合ったギャラは出るのか?
何だか不安になってきた。
「そう」
「大変ね」
住職の奥さんはあまり理解した感じではなかったが、深くは追求もして来なかった。あまり広がらない会話だから切り上げてくれたのは正直助かった。
「もうあれから10年ね」
奥さんがぼそりとつぶやいた。
「家族が亡くなってから10年経っても」
「あの人は毎月必ずうちに来るの」
「忙しいだろうから一年に一回ペースでもいいのよっていったんだけど」
「『約束だから』っていってね……」
そう奥さんはつぶやくと、縁側に目を向けた。
家族が亡くなって10年……?
話の流れからおそらく社長の話をしているのだと察したが、社長の家族が10年前に亡くなったということなのだろうか。
──っということは。
社長が寺に寄った理由は、社長の墓参りに寄りたかったということ?
あー。
うーん。
いや。
別にいいけどさ……。
墓参りって最初に言えばいいのに、何で教えてくれなかったんだろう。うちのお父さんと弟もそうだけど、男の人って黙ってても察してもらうことを当たり前だって思ってる節ないかな。
てっきり仕事関係でお寺に行くと思ったから、ちょっと仕事モードにならなきゃと思って気持ちの準備してたのに、お寺の用事がお墓参りって……めちゃくちゃプライベートな用事じゃん。いや、別にいいけどさ。
そういうのって業務時間外というか、休みの日にやるもんじゃないの? 少なくともインターン生的な私がいる時に、わざわざ墓参りをしなくても……って思うんだけど、私間違ってる?
どうなの?
わかんない。
なんだかわからないけど、私の緊張を返せって気持ちになった。
「あの」
「鬼島家のお墓の場所を教えてもらえますか?」
奥さんから本堂のすぐ横にある墓地について教えてもらった私は、社長がいるであろう場所に向かった。
「社長!」
私が大声で呼ぶと、墓石をたわしで洗っている社長が振り返った。
「デケェ声を出すな」
「近所迷惑だろうが」
社長はシャツの袖を捲っていて、ズボンの裾も捲ってサンダルに履き替えていた。右手には洗剤をつけたタワシが握りしめられていて、両手両足とも水でびしゃびしゃに濡れている感じだった。
うわ、マジか。
がっつり掃除している。
あと何時間私を待たせるつもりだったんだろうこの人……。
「……一人っきりにしないでください」
「手伝いますよ私も」
私が袖を捲ると、社長が「いい」「俺がやる」と言って、手であっちに行けのジェスチャーをした。
「じゃせめて拭かせてください!」
「それならいいですよね?」
墓石近くに置いていたバケツから乾いた雑巾を見つけた私は、社長に奪われる前に雑巾を掴み上げだ。
根負けした社長は、ため息混じりに「好きにしろ」とぼやくように言った。
「家族のお墓ですか?」
墓石にはしっかりと鬼島家と刻まれている。
社長は「ああ」と短く答えた。
「そういえば昨日雨でしたよね」
「今日からしばらく天気がいいってニュースで言ってました」
「今日お墓がお掃除できて良かったですね」
「……そうだな」
社長はそういうと、柄杓で水を掬って墓石にゆっくりとかけた。
「毎月お墓参りしてるって奥さんから聞きました」
びしゃびしゃびしゃと音を立てて水が滴り落ちる。
社長は振り返らず、私を無視している。
「うちの実家はお墓参り全然しなくて」
「この前、墓守をしているおじさんにお父さんが怒られてました」
「社長って結構──」
「芳野」
社長が私の言葉を遮った。
「──墓参りは絶対に行け」
「絶対だ」
振り返らず、低い声色で社長は言った。
「仕事と関係あるからですか?」
私が社長に訊くと、社長は「違う」と返した。
「どうしてですか?」
仕事と関係のないならどうして墓参りをするのだろう。
私は素朴に疑問を感じて社長に訊いたつもりだった。
社長は小さくため息をついた。
「理由なんてあるかよ」
「墓参りに」
社長はそれっきり私に答えなかった。
◯
依頼人との待ち合わせている喫茶店に着いたのは、午後の陽が傾きはじめた13時過ぎだった。
昼どきの賑わいの真っ只中、チェーン店らしいガラス張りの窓越しには、客たちの姿がひしめき合っていた。
空いた席を探すだけでも一苦労しそうなほどの混雑に、店内のざわめきが外まで漏れ出しているような、そんな様子だった。
「ちっ」
「もう来ていやがる」
「約束の30分前だぞ」
車を駐車場に停めた社長は、窓際に座る女性客を見つけて舌打ちをした。
ロングの黒髪の面長の顔立ち。年齢は40代前半ぐらいだろうか。化粧気はなく、顔全体からどんよりとした暗い雰囲気を感じる。
あの人が依頼人なのだろうか。
「先週の土曜日に」
「大崎駅で人身事故があったのを知っているか」
私は首を横に振って「すみません」と謝った。
大崎で人身事故……。
JRってしょっちゅう人身事故が起こっている印象があるから、ニュースで流れてきても気にも止めたことがなかった。
「依頼人は田中美紀子」
「先週の土曜日に大崎駅で旦那が人身事故で亡くしたばかりの未亡人だ」
「旦那が亡くなった精神的ショックが原因で」
「数日前に『旦那』を見えるようになったようだ」
「え?」
私は社長に振り返った。
それってつまり。
「続きは依頼人から聞くがいい」
社長はシートベルトを外し、車のエンジンを切った。
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