第2話
◯
面接を受けるその日は雨だった。
株式会社ホワイトクリーンは、新宿駅から徒歩20分先にあって、新宿駅よりも初台駅の方が最寄り駅だった。
今日の朝、ムカつくことが三つ起きた。
──一つ目。
降車駅を間違えたこと。
新宿駅から徒歩20分という説明文言を斜め読みしたせいで、最寄りが新宿駅と勝手に思い込んでしまっていた。
Googleマップで会社までの距離をナビして、歩いて20分あることに気づいたが、会社到着30分前に新宿駅に到着することを計算に入れたせいで、乗り降りの時間を入れると遅刻してしまうことに途中で気付いた私は、仕方なく目的地まで歩くことを選んだ。
雨のせいでタクシーも捕まらないし、バスも時間が読めない。
リクルートスーツにローヒールという格好で雨の中を傘をさして10分歩くと、踵に靴擦れを起こして歩くのが辛くなった。
昨日どうしてちゃんと調べなかったんだろう。もしくは、電車移動中にも見直す機会はいくらでもあったはずなのに、私のバカ。と、心の中で私は激しく自分を責めた。
──二つ目。
母親と大喧嘩をした。
私が今朝、朝ごはんを食べていると、唐突に母親から今日の面接を辞退できないものか訊かれた。
質問の意味がわからない私は、どうしてそんなことを聞くのと訊き返すと、母親は言った。
「特殊清掃って」
「死体を片付ける仕事でしょ?」
面接が決まったと私から報告された時、四年生になって内定が決まっていない私の気持ちを尊重して追求するつもりはなかったが、時間が経つにつれて不安が募ってきたらしく、当日の朝になって、私に特殊清掃の会社の面接を断れないかと相談してきた。
「おばあちゃんやみんなになんて言えばいいわからないし……」
「それにあんたの病気のこともあるじゃない?」
「辞めた方がいいんじゃないかしら」
母は私に優しく誘導するように言ったつもりだったようだけど、私はカチンと来た。
面接に行くことは一週間も前に母には話したのに、今更何を言ってるんだ。話し合う時間ならいくらでもあったはずなのに、当日ギリギリに言われても正直困る。
それよりもムカついたのが、母親が私の霊視能力を、未だに完治ができる病気の一種だと勘違いしてることに腹が立った。
私や心霊科の医者が、これまで何度も霊視について説明をした。それなのに、母も、父も弟も、私の幽霊が視えることは、精神的な病気だとふうにしか理解していない。
私に「いつその目の病気は治るの?」と聞いてばかりで、本当に幽霊が視えることを理解しようとしてくれない。
きっと母は私の身を案じて老婆心で相談をしたのだろうけど、切り出すタイミングが最悪なのと、透けて見えてしまう母の世間体を気にしているスタンスに、私の怒りが爆発した。
父と弟は、私と母との口論に口を挟まず、気配を消していた。
母は最終的には「家に帰ってくるな!」と怒鳴り、私は玄関ドアを強く閉めて家を出た。
お互い大人気ないことをしたと思う。
冷静になって話し合えば解決するのかもしれないけど、今は母とは口も利きたくない。
LINEを見たけど、まだ母から謝罪のメッセージが来てないから、まだ怒ってるのだろう。私も怒りが引っ込みつかないので、しばらくお互いに冷却期間が必要な気がする。
──三つ目。
財布を忘れた。
母親と喧嘩をして怒りすぎたせいで、財布を持って行き忘れたことを新宿駅で気づいた。
チャージしてる金額を計算すると新宿駅との往復の金額分しか入っていない。
帰りも新宿駅まで雨の中を歩かないといけないことを想像しただけで、げんなりしてしまう。
踏んだり蹴ったりの朝から始まった今日──。
ここまで不運が続けば、きっとこの後はいいことが続くはず。と信じたい。
私は雨で冷たくなった11月の向かい風に身を震わせながら、目的地に向かって歩を進めて行った。
初台駅近くにあった雑居ビルの3階と4階が、株式会社ホワイトクリーンのフロアだった。
受付は3階で、4階は執務室になっているらしい。
雑居ビルはボロボロの作りで、ビル玄関には錆びた郵便ポストが設置されていて、壁には色褪せて端が破れている飲食店のポスターが貼られたままだった。
ビルの奥には、茶褐色に染みた黄色い内装のエレベーターがあって、人が2人入ればいっぱいになりそう狭さだった。
ガタガタと揺れる狭いエレベーターに乗って3階に向かう私は、少しだけ不安になった。
3階に着いた私は、『株式会社ホワイトクリーン』と書かれた会社玄関の前にあるインターホンを一度押してみた。
ピンポーンという電子音が響いた後、3秒くらい経ってから低い女性の声が聞こえた。
「こんにちわ!」
「本日面接でお約束させていただきました」
「芳野です」
玄関のドアが開いた。
「あらー! お待ちしてました!」
ドアを開いたのは、五十代ぐらいのおばさんだった。
「よかったぁ! 新卒採用なんて久々で私も勝手わからなかったから不安だったけど来てくれて本当にありがとうね! 雨の中大丈夫だった?」
おばさん特有のマシンガントークで捲し立てられた私は、とりあえず愛想笑いして返事をした。
──あれ?
場所、合ってるよね?
心霊関係の仕事もしていて霊視能力者を募集してるとホワイトクリーンの採用メールには書いていたけど、事務所内を見渡す限り、今のところそれっぽい置物もないし雰囲気もない。てっきり壁にお札が貼ってたり、お香を立てたりしてるのかとちらっと想像してみたけど、事務所の中には神棚がないどころか盛り塩すら置いていなかった。
事前に会社サイトを調べた感じだと「特殊清掃を専門とした事業を展開」とだけ書いていた。事業内容に心霊関係の事について説明がなかったから、もしかして表向きじゃない仕事なのかもしれない。
「ちょっと待っててね!社長にお伝えしますんで!」
おばさんは、事務所の中にあるパイプ椅子に座って待つよう私に促すと、そそくさと奥の部屋に引っ込んだ。
これから面接か。
有名企業とかだと、各会社ごとの面接対策をしっかり覚える必要はあるんだろうけど、ホワイトクリーンは年間売り上げや従業員が少ないベンチャー企業みたいな小さな会社だ。
筆記試験はなしでいきなり社長面接から始まるのだから、初企業面接を受ける私にとって、心臓が口から飛び出そうなほど緊張が止まらない。
ここ以外に面接の約束はできていない。
この会社で落ちたら、就職浪人確定だろう。
そう考えると、ますます緊張して手に汗が湧いて止まらない。
「──もうお通ししましたよ」
「ですから私は何度も言ったじゃないですか」
「せっかく来てもらったのだから面接してあげてくださいよ」
奥から何やらさっきのおばさんと中年男性の声が聞こえてきた。
聞き取りづらいが、何か口論してる様子だった。
「ヨシダさん!」
「すみません!お待たせしました!」
「奥の社長室へどうぞ!」
おばさんが遠くから私に声をかけてきた。
一体どこから声をかけたのか一瞬探したが、おばさんを見つけることはできなかった。
名前間違っているけど、面倒だったから訂正せずにスルーした。
奥って…ここかな?
なんとなく事務所の細長い廊下の奥を歩いていった私は、廊下の突き当たりにあるすりガラスが設置された薄い木製ドアの部屋を見つけた。
すぅっと鼻で息を吸い、口でゆっくり吐く。
ドアを三回ノックした。
「どうぞ」
奥から低い男性の声が聞こえた。
私はゆっくりドアを開けた。
立て付けが悪いせいか、ドアはスムーズに開かず、ぎぃと軋む音を鳴らした。
「失礼します」
「本日面接のお約束をさせていただきました」
「芳野一澄です」
私は深々と頭を下げた。
部屋にいたのは、黒檀の机に座る初老の男性だった。
禿げた頭に無精髭、年相応に肥った体型で、襟付きのワイシャツを腕まくりしている。
シワだらけの顔面に細長い眼は、一見どこにでもいるようなザ・おじさんという風貌だけど、両眼で私のことをじっと見つめるその眼光には妙な迫力があった。
──なんか怖い人だな。
所謂、昭和を代表する頑固親父というか、息を吐くようにモラハラパワハラをしてきそうな、そんな嫌な印象を感じてしまう。
なるだけなら人生で関わりたくない苦手なタイプだと思った。
「代表の鬼島です」
社長は私にそう名乗ると、右手を私に差し出して「どうぞお座りください」と言って、社長室の壁際にある来客用の革張りのソファーに座るように促してきた。
私は「失礼します」と言ってソファーに腰掛けると、社長は私の対面に設置されたもう一つのソファーに腰掛けた。
「雨の中、来訪ありがとうございます」
「早速ですが」
「あなたに謝らないといけないことがあります」
社長は丁寧でゆっくりとした口調で私に言った。
謝る?
いきなりなんだろう。
「実はこちらの手違いがありまして」
「スカウトメールに霊視能力を持った新卒募集と書いていたそうですが」
「現在、弊社では霊視能力者を募集停止しているんです」
思わず私は「え?」と聞き返した。
募集をしていない?
どういうこと?
「弊社のスタッフが私の承諾なしで人材採用会社とコミュニーケーションをとったようでして……」
「採用欄に霊視スキルを持った人材募集と追加で記載したそうです」
「加えて申し訳ないのですが」
「弊社は今新卒採用枠は設けておらず」
「中途採用のみを実施してる状況です」
私は頭を抱えそうになった。
──待って。
待って、待って、待って。
ってことは、私は今日面接を受けられないということ?
そんなことある?
「本来ならお帰りいただきたいところなのですが」
「今回は弊社の落ち度でご迷惑をおかけしておりますし」
「弊社に応募して頂いたのも何かの縁かと思いますので」
「芳野さんがよろしければ」
「面接させてもらいたいのですがいかがでしょう?」
「いいんですか?」
思わず上擦った声になって、私は聞き返した。
終わったと思ったらチャンス到来!
やった! 面接ができる!
私はガッツポーズを心の中でとった。
「あらためまして」
「履歴書を頂けますか?」
私は社長に履歴書を手渡した。
──面接はぎこちない空気で進んだ。
大学で何をしてきたことや、自分の今後やりたいことなど、しどろもどろになりながらも社長に説明した。
緊張したせいで声が上擦っていたし、舌も噛みまくっていたと思う。
社長は私が説明している時、頷きも相槌もしないで、ただ真っ直ぐ私を見つめていた。人に見つめられながら喋るのは、正直プレッシャーがすごかった。変なことを口走るんじゃないかと心配になって、喋っている時は頭の中は常に真っ白の状態だった。
「──以上です」
私が軽く会釈した後、社長は唇に指を当て、思案顔になった。
一〇秒くらい沈黙が流れた。
社長は短く「うん」と呟いた。
「ありがとうございます」
「質問はありますか?」
淡々と社長は私に言った。
質問……そういえば聞きたいことがあったのを思い出した。
「あの」
「この会社で霊視が必要な仕事ってどんなことですか?」
社長の眉間がピクッと動いた。
「……申し訳ないのですが」
「企業秘密です」
社長はそう返したっきり、無言になった。
企業秘密って……。
どういうこと?
「あの」
「なにか隠さないといけない理由があるのですか?」
私が質問すると、社長は私の顔を見た。
「他に質問はありますか?」
いや、答えてよ。
なんではぐらかそうとするの?
「質問はさっきしました」
「霊視が必要になる仕事はどんな仕事なのか」
「答えてもらうことはできますか?」
畳み掛けるように私が聞き返すと、ふーっと社長は息を少し吐いた。
「先ほどもお伝えしましたが」
「今現在は霊視スキルの方を募集してないんです」
「うちは特殊清掃業務がメイン事業です」
「霊視があると返って精神を疲弊するリスクがあるので」
「逆に今は霊視能力を持たないスタッフを募集してるんです」
社長は丁寧でかつゆっくりとした口調で私に説明した。
その丁寧な口調に私はすごくイラッとした。
「……じゃ」
「どうしてスカウトメールを私に送ったんですか?」
私は真剣な眼差しで社長を見つめた。
──いや。
睨んでいたかもしれない。
「──私は今日雨の中歩いてきました」
「内定が一つも取れてない状況で」
「御社からのスカウトメールがきて正直嬉しかったんです」
「私を必要としてる会社があるんだって」
「……」
社長は口を挟まず、じっと私を真剣に見返していた。
──八つ当たりをしてる気がする。
社長も言ってたように、手違いで採用メールを私に送ったのだ。本来なら面接なしで帰らされるところなのに、社長のご厚意に甘える形で面接をさせてもらっている状況だ。
私を採用するのはこの会社の社長だ。
社長が気に入らないなら、採用はなしなのは当たり前のことだ。
──それなのに。
つい感情が動いてしまって、余計なことまで口走ってしまった。
「私、大学病院の訓練カリキュラムも受けたので、幽霊に対して耐性の自信はあります!」
「御社のお役に立てるように頑張ります!」
感情が暴走した勢いで口が止まらなくなっている。
なんで自分からこんな黒歴史を紡いでいるのかさっぱり理解ができない。馬鹿すぎるでしょ私。ってつっこみたくなる。
ただ。
私の心の中でこの面接でやりたい事はできた。
──後悔はしたくない。
自分でできることなら何だってやろうと思った。
「……」
社長は私から視線を外すと、しばらく黙った。
黙った後、小さなため息をついた。
「──だから嫌なんだよ」
「新卒の面接を受けるなんて」
低い声色で、社長はつぶやくように言った。
さっきの丁寧で優しい口調とはまるで正反対の雰囲気になった。
「……何度も言うようだが」
「うちは特殊清掃を専門とした会社だ」
「特殊清掃って何かわかるか?」
容赦のない口調で社長が、私を問い詰めた。
頭の中でテンパりまくっている私は、とにかく何か答えよう「ええっと」とつぶやきながら口を開いた。
「──死体があった部屋を掃除する仕事だ」
「病院で亡くなった清潔な死体なんかじゃない」
「ハエやウジがたかった腐乱死体のあった部屋を掃除するんだ」
「言ってる意味わかるか?」
吐き捨てるように社長は私に言い放った。
社長の目は厳しい眼差しに見えた。だけど、どこか寂しげな目をしていると私は感じた。
「腐乱死体にまとわりつくホトケなんざ拝むもんじゃねぇ」
「悪夢にうなされて最終的には病院送りだ」
「二度と元の生活に戻れなくなる」
雨の音が静かになった。
ざぁざぁと降っていた雨が、いつの間にか晴れたようだった。
「この仕事に関わることで」
「後悔するかもしれない」
「わかって言ってるのか」
社長は脅すように私に言った。
私は生唾を飲み込んだ。
「……わかりません」
声が震えていた。
心臓がドキドキと早く鼓動している。
緊張しているのではない。
「私はでも」
「誰かの役に立つなら」
「精一杯頑張るだけです」
「たとえ頑張った結果ボロボロになっても」
「私は後悔しません」
私は真っ直ぐ社長を見つめた。
視界がぼやけている。
──負けたくない。
目の前に座っているこの人に対して、私は絶対に引きたくない。
そんな感情が私の中で動いた。
「──気に入らねぇ」
「こう言う生意気な奴は本当に嫌いだ」
「引き下がれねぇだろうが」
「こっちが」
社長は肩を落とし、深いため息をついた。
なんだかわからないけど、呆れてるような雰囲気だった。
「度胸は気に入った」
「──あんたがそこまでいうなら」
「テストだ」
じろっと社長が私を見据えた。
「この部屋に『ホトケ』が一人紛れ込んでいる」
「もしお前が本当に霊視ができるなら」
「それがどんな姿形なのか」
「俺に教えろ」
社長は机の上を人差し指でトントンと叩いた。
「どんな仕事も」
「信用が第一だ」
「虚偽報告されて客からクレームが入ったら終わりだ」
「お前が本当にホトケが視えるのか」
「俺の目で確認させろ」
なんとなく堅物な印象は感じ取っていたけど、思った以上に猜疑心が強い人なんだとあらためて思った。まぁ心霊系のお仕事って、どうしても詐欺のイメージを持たれがちだから、警戒心が強くなりがちなのかもしれない。
「どうした」
「視えるんだろ?」
まぁ視えるのは視える。
たしかに社長がいうように、この部屋には一人幽霊がいる。あえて無視してたけど……本当に言っていいものか。
「ええっと」
「ピンクの全身タイツ姿で頭にお花の被り物かぶっていて」
「机の上で踊りながら誰かの名前を連呼してる」
「40代くらいのおじさんが視えます」
私が言うと、社長は目を伏せた。
ちっと舌打ちをして、小さなため息をつく。
「テメェ……」
椅子の背もたれに体重をかけて、社長は「あーあ」と小さくぼやく。
「当ててんじゃねぇよ」
「バカ野郎が」
社長の机の上で、ピンクの全身タイツおじさんが踊っている。
踊りながらおじさんが「あやこぉ!」と連呼している。
こんな変な幽霊を視たのは初めてだ。
なんなんだこの変な幽霊は。
「こいつは先日清掃したビルで頭身自殺した変態だ」
「帰る場所がわからなくなってうちに迷い込んできた」
「浮遊霊ってやつだ」
社長は「こんなの序の口だ」と言いたげな口振りで言った。
清掃したビルにいた変態……。
どんな精神状態でピンクの全身タイツを着て自殺しようとしたのだろうか、まったく理解も想像もできない。
でも、社長がいうように、こんなヤバげな幽霊と関わらないといけないと考えると、たしかに人によってはメンタル病むのかもしれないと思った。
「……よし」
「とりあえず能力テストは合格だ」
「ここまではっきり視えているなら問題ないな」
社長は椅子から立ち上がった。
「明日10:00に会社前だ」
「スーツじゃなくて私服で来い」
「間違っても派手な柄シャツやヒールは履くな」
立ち上がった社長に反応して、私も立ち上がった。
突然の社長からの指示に私は戸惑った。
え? いきなり何の話?
「採用試験だ」
「明日依頼人に会わせてやる」
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