石工とカタツムリ

天使猫茶/もぐてぃあす

跡文字

 石が積み上げあられた暗い部屋の中で、男が一本のロウソクの明かりだけを頼りに酒を飲んでいた。

 石工の中でも特に墓標に文章を刻むことを専門にしている男だった。

 だが最近は仕事もせずにただ鬱々と酒を飲んでいるだけだった。


 彼はつい先日にたった一人の息子を亡くしたのだ。

 妻の忘れ形見である息子を喪った悲しみのあまり彼はなにも手に付かず、ただただ暗い部屋に籠もっているだけだった。



 いつの間にか寝てしまっていたのか、男が目を覚ます。ザアザアと雨が降る音が耳を叩いていた。

 ロウソクの明かりはとうに消え、辛うじて家具や石を掘るための道具の輪郭だけがぼんやりと浮かび上がるだけの暗い部屋の中、酒の残る頭でぼうっとしていた男は不意に手になにやら冷たく柔らかい感触にギョッとして飛び上がる。

 大慌てで火を灯した男は先ほどまで自分の手があった作業台を恐る恐る確認すると、安心したように大きなため息を吐いた。


 そこにいたのは一匹のカタツムリだった。幽霊や、その他の忌まわしいものではない。ただ雨に誘われて出てきただけだろう。

 男はカタツムリが作業台の上を這い回るのをぼんやりと眺めていた。

 やがて男はふと立ち上がり、カタツムリの歩いた跡を指でなぞり始めた。

 いつの間にか雨は止み、朝日が差し込むと、その跡はまだ幼い子どもが書いたヘタクソな字のようにも見えた。


「ただいま」




 男は今日もカタツムリと一緒に仕事をしている。

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石工とカタツムリ 天使猫茶/もぐてぃあす @ACT1055

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