足音で目が覚めた。熊は音を立てないように体を起こし、狭い視界の中、森林公園の遊歩道に目を凝らした。


 薄明るい街灯の下を二名の警官が、懐中電灯を持ってこちらに歩いてくるのが見えた。


 熊は、息を潜めて暗闇の中から警官の様子を伺った。どうやら自分を捜索しているらしい。熊が隠れる灌木のすぐそばまで警官が近づいてきたので、彼は慎重に身を伏せた。彼の目には、警官の腰にぶら下げた警棒と拳銃が嫌に大きく見えた。


 見つかったら、僕は撃ち殺されるのだろうな。と彼は冷静に考えた。暗い茂みの中で熊らしきものが動いていたら、警官は自分の身を守るために発砲するのではないだろうか。或いはしないかもしれない。日本の警察は拳銃の使用条件が厳しいと聞いたことがあるし、拳銃では熊は駆除できないという見解だ。でも、実際はどうか分からない。拳銃で駆除できないというのは、熊の動きや向かってくる攻撃と拳銃弾の威力や装弾数、精度を総合して言っているだけかもしれない。命が危うくなれば、がむしゃらに撃ちまくる可能性だってある。


 僕が警官に撃たれて死んだら、撃った警官は僕の死体を確認して驚くだろうな。知らずとはいえ、人を撃ってしまったとトラウマになるかもしれない。僕が撃たれて死ねばきっとニュースになる。でも「熊の格好をしていた奴が悪い」なんてネットで批判されるんだろうな。あるいは、発砲前に正体を確かめなかった警官にも落ち度があると擁護されるかもしれない。


 どちらにしろ、おそらくほとんどの人は僕の死なんて気にしないだろう。地方の人間が一人、熊に食い殺されようが、警官に熊と間違われて撃ち殺されようが、誰も気にしないんだ。明日になればまた朝が来て、いつもと変わらない日常が続いていく。


 知らない人が死んだことで心を痛めていたら、心がいくつあっても足りない。


 そういう風に人間は出来ている。と熊は思った。


 人間が本当に気にかけるのは、自身に迫る可能性のある危険だけだ。そして、多くの人間は自身に迫る危険の可能性に気づけない。まさか自分が明日死ぬなんて、思わない。


 警官はいつの間にか既に遊歩道の遠く向こうへ行っていた。熊は、空を仰いで寝そべった。


 半月が、夜空が片目を開いたみたいに浮かんでいるのを見た。

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