邑上 咲希が魔女である三つの理由

ジガー

邑上 咲希が魔女である三つの理由

 境高校一年C組、邑上 咲希むらかみ さきは魔女である。


 少なくとも、同じクラスの男子である加藤 明雄かとう あきおはそう認識していた。


 理由その一。

 本人がそう名乗っているから。


「やあ君! この現代に蘇りし魔女たる私の使い魔として、ともに神秘を追求しようじゃないか!」


 初対面の挨拶がこれである。

 明雄は「……大丈夫か、あんた」と返したのだが、これでもオブラートを何十にも重ねた結果だ。


 ブレザーとスカートの制服姿に、どこで手に入れたのか真っ黒なウィッチハットとマントを身に着けたその恰好を、教師が注意しない理由はわからなかった。

 たぶん、成績はいいからだろう。彼女がテストで百点以外を取ったのを見たことが無い。


 理由その二。

 魔女部の部長だから。


 メンバーは明雄と咲希の二人(男がいても良いのか?)で、ギリギリ同好会レベルな集まりに学校が部室まで与えている理由はどこまでも謎だ。

 校長か、誰か偉い人の弱味を握っているか、毎日やっている呪文詠唱の効果かもしれない。


 活動内容もすごい。

 部長の一存により黴臭い本や変な水晶玉やドクロを並べた無駄に薄暗い部室内で、何か魔女っぽいことをするのだ。


「明雄くん! 新作のポーションを試してみてくれ!」


「地獄のような色してるけど材料はなんなんです?」


「エナジードリンクを片っ端から混ぜて煮詰めてみたぞ!」


「……糖尿病になりそうだから遠慮しときます」


 時々、課外活動を行うこともある。

 日常に潜む神秘を探求するという名目で、近所で流れているウワサに首を突っ込むのだ。

 この間も、『●●町には人面犬がいる』とのことで調査に出かけたのだが、


「見たまえ、明雄くん! 人面犬を見つけたぞ!」


「部長、それは眉毛みたいな模様が有名な林田さんちのペスです。……あ、すみませんね急におしかけて。これ、お菓子」


 というような活動に、二人は青春を捧げているのである。

 他のクラスメイトが露骨に避けるのも無理はない。最近は視線を合わせることさえ嫌がられている。


 ある日の放課後。

 他の生徒が早足で扉の前を通り過ぎる日常風景を眺めつつ、明雄は魔女部の部室に入った。備え付けのパイプテーブルの前に座って、咲希が虫メガネを片手にうんうんと唸っている。


「新しい占いか何かですか」


 明雄が声をかけると、咲希が素早く振り向いた。


「お、明雄くん。実は、他のクラスの子に頼まれてな! 見てくれこれを!」


 テーブルの上には、ペンダントが置かれていた。

 銀色のチェーンに繋がれた小さな六角形のプレートに、赤い宝石がはめ込まれている。


「なんでも、彼女のお母さんが骨董市で買ったものらしい! だが、その晩から妙な夢を見るようになったそうなのだ! その上起きたら貧血気味で、最近は寝込むことが多くなったと!」


 いわゆる、呪いのアイテムなのではないか。

 そんな疑いがかけられたネックレスの対処に、魔女を自称する咲希に白羽の矢が立ったわけだ。


「へえ」と明雄は呟いた。


「それで、何かわかりましたか」


「うーん……まだだ! だが、必ず解決してみせるぞ! 現代の魔女の名に懸けて!!」


 ふふん、とドヤ顔する咲希。

 明雄は肩を竦めた。


「ま、あんまり根詰めないように。なんかジュース買ってきます」


 それから、時間が経ち。

 窓から茜色の空が見えるようになった頃。


 咲希はテーブルに突っ伏し、小さな寝息を立てていた。

 被っていたウィッチハットが床の上に落ちている。


 ネックレスは変わらず、そこに置かれている。

 当然だ。誰かが動かさなければ、何の変化もあるはずがない。


 が。


 銀色のフレームに合わせて、六角形にカットされたルビーから。


 とろり、と。赤い液が滴った。

 血の如きそれは、静かにテーブルの上に垂れてゆく。

 特に傾斜もない平坦な板の上を、つう、と滑り。端に達して、今度は床へ。


 そこから進むことは無く、床の上に広がる赤。

 少しずつ、少しずつ。血の池のようなものが出来上がってゆく。


 咲希が起きていれば、あり得ない光景に胸を弾ませていただろう。


 やがて。

『それ』は、血だまりの中から静かに姿を現した。


 赤いドレスを着た女だった。

 いや、赤よりもさらに濃く、いくらかの黒が混じっている。


 顔は、長い髪に隠されていた。

 金色の髪。くすんでいて光沢はなく、ひどく乱れている。


 青白い肌をした女は、ゆっくりと手を挙げた。

 細く、罅割れた五本の指から伸びる長い爪。それが、眠る咲希に触れようとして。


「―――まだ寝かせておいてくれ。起きるとうるさいだろうから」


 女の手が止まる。その首が捻じられ、部室の、窓の方に向けられる。


 加藤 明雄が立っていた。


 ポケットに手を突っ込み、気だるそうな目で女を見ている。


「……お前、いつからそこにいたの?」


 女が問う。

 それを無視して、明雄はテーブルの上のネックレスを顎で指した。


「そいつを媒介にして、魂を呪いとしてこっちに残したんだな。ありがちな手だし、すぐにわかったよ。死にぞこないの臭いがしたから」


 汚れた髪の奥、罅割れた唇を曲げて、女が笑う。


「だって、ひどいのよ。ちょっと贅沢したり、使用人をいたぶったくらいで、私のことを魔女だなんて。お父様みたいに、農民どもに殺されたくなかったのよ」


「……で、死に際に何かと取引して、ペンティメント穢れた者になったわけだ。素直に死んでた方がまだマシだったろうに」


 明雄が呆れたように言う。

 女はくすくすと声を漏らした。


「お母様が褒めてくれた髪も、お気に入りのドレスもこんなになってしまったけれど……今の暮らしも、案外悪くないわ」


「………」


「そのネックレスを持っている奴の魂をね、悪夢を見せて弱らせて、少しずつ吸うの。そうしたら、お人形の完成。なんでもさせられるのよ」


「………」


「最初は、私の首を撥ねた男の妻。娘と息子を熱湯に放り込ませて、男はノコギリで首を切ってやったわ。その次は成金野郎。猟が趣味だったから、自慢の猟銃で家族や友人を撃ち殺させてみたの。あいつ、最期は泣きながら自分の頭を吹き飛ばしたんだけど、あれは最高だったわね!」


 それから、あいつは、そいつは。

 まるで今まで食べた料理を語るような気安さで、女は自身の罪を並べた。

 そして、咲希を指差して言う。


「そこの横入りしてきた娘はどうしようかしら? せっかく自分から魔女を名乗ってるんだし、火炙りなんて面白いと思わない?」


 くすくす。

 愉快げに言う女の背中が膨れる。

 ばり、ばり、と皮膚を突き破って、細く、鋭い脚が伸びた。


 八本。それは蜘蛛の脚だった。


「婀L痾9ナ」


 明雄は、眉間に皺を寄せて、何かの名前を読んだ。

 人の舌では紡ぎがたい、この世ならざる名を。


「あれの糸で、魂を現世に縫い付けたのか。自分こそが操り人形になったと気付きもせずに」


 心胆からの侮蔑を、女は受け流す。

 背から生えた脚を広げ、その先端を明雄に突き付けた。


「お前、そこそこ知識はあるようね。小娘に殺させるつもりだったけれど……邪魔されたら面倒だわ。特別に、私がやってあげる」


 八本の脚、その先端は鉤爪である。

 磨かれた黒曜石のナイフのごときそれらが、少年を貫き、引き裂こうと迫り。


 次の瞬間。

 ボッ、と。八本全てが燃え爆ぜた。


「ギャアーーーッ」


 女が身をよじる。

 蜘蛛の脚は、先端から根本近くまでが失われ、断面は黒く炭化していた。


「か、神様からもらった、私の脚が! お、お前ぇ! 何者だ!?」


「大蜘蛛の玩具なんぞに教える名など無いが……魔女の使い魔とでも名乗っておこう」


 部室内に漂う生臭さに、明雄は顔をしかめる。

 狼狽した女は、未だ眠り続ける咲希を睨んだ。


「馬鹿な、ありえない! こんな何の力もないガキがお前のような者、を!?」


 女は金切り声を上げた。

 明雄の足元から伸びる影。その頭に、雄牛がごとき角を見たから。

 少年の目が、熾火の色に輝いていたから。


「彼女を火炙りにする、だったか。いいアイデアだ。お前で試してみるとしよう」


 女は「ひぃーっ」という悲鳴とともに、明雄に背中を向けた。


 ずど。


 その顔面と腹から、炎の槍が突き出す。

 燃えている槍ではない。炎を材料として鍛造された、そういう槍だった。


「ギェエエエエエエエエ!!」


 女はたちどころに真っ黒な炭と化し、ぼろぼろと崩れて消えてしまった。

 女がこの世にいたという証は、テーブルの上の、もはや何の魔性も帯びぬネックレスだけとなった。


「塵は塵に、灰は灰に。お前は地獄に堕ちるがいい」


 明雄はつまらなさそうに呟いてから、咲希の肩を叩いた。

 マントを羽織った背中が、もぞもぞと動く。


「部長、起きてください。帰りますよ」


「んぅ……明雄くん? ふわ、寝てしまったのか……」


 ううん、と咲希が伸びをする。その頭に、明雄はウィッチハットを被せた。


「手間をかけさせたな! もうこんな時間か、今日は終わりにしよう! ネックレスはまた明日だ!」


 ネックレスを手に取る咲希。明雄はそれを指差して言った。


「それなんですが……たぶん、もう返して大丈夫だと思いますよ。何も起きないはずです」


「ん、そうなのか! なら、明日すぐに渡せるな! きっと喜ぶぞ!」


 咲希が即答する。


「……ノータイムで信じるんですね」


「もちろん! 君は私の使い魔だからな!!」


 にっこり笑う咲希に、明雄は苦笑を返す。

 その言葉が意味するところを、この現代の魔女は知らないのだ。

 それがどれだけ、恐ろしいことなのか――――


「ちょっとお腹が空いたな! 牛肉など食べて行かないか!」


「お供しましょう」


 境高校一年C組、邑上 咲希は魔女である。


 理由、その三。

 加藤 明雄が仕えているから。

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