二
落下は三日続いた——と思う。
時間の感覚が歪んでいる。
四本目の
正確には——体が何かに引っかかった。
見下ろすと床があった。いつの間にか床が戻ってきていた。それとも私が床のある場所まで落ちてきたのだろうか。よく分からない。ただ、足の裏に固い感触があって、それが妙に新鮮で少し気持ち悪かった。
扉が開いた。
また灰色のローブの人物。でも、今度は違う。歩き方が違う。昨日の男よりも足音が軽い。
「よく戻ってきたわね」
女の声だった。
「戻った?」私は繰り返した。「私は部屋から出ていない」
「ええ、そうね」女は笑った。フードの奥で笑い声だけが漂っている。
「あなたは一歩も動いていない。でも三日間ずっと落ち続けていた。矛盾してる?」
「矛盾してる」
「じゃあ正常よ。矛盾を矛盾だと認識できるうちは、まだ大丈夫」
女は部屋の中に入ってきて壁に手をついた。その手が壁を撫でるように動く。まるで壁の中に何か大切なものが埋まっているかのように。
「ここを出たいと思う?」
「分からない」
正直な答えだった。出たいのか、出たくないのか——その判断をするための材料が私には何もなかった。
「正直でいいわ」女は言った。「嘘をつく人間は、すぐに地面に落ちて死ぬから」
「地面?」
私は尋ねた。初めて聞く単語だった。いや…知っている。知っているはずの単語なのに、まるで初めて聞いたかのように奇妙に響いた。
「そう。地面。この建物の外にある、固くて冷たくて、落ちたら砕ける場所」
女の指が壁の表面をこつこつと叩いた。石の音がした。
「私たちは今、どこにいるの?」
「塔の中」
「塔?」
「そう。とても高い塔。昔、人々が空に近づこうとして建てたもの。でも途中で気づいたの——空に近づくほど地面が遠くなるって。それで人々は建設をやめた。代わりに落下を研究し始めた」
女はフードの下でまた笑った。
「落下教の始まりよ」
私の心臓が変な音を立てた。鼓動じゃない——何かが、胸の中で引っかかったような音。
「教団は何を目的にしていたの?」
「完璧な落下」
女は即答した。まるで、その答えを何千回も口にしてきたかのように。
「完璧な落下って?」
「終わらない落下。地面に着かない落下。永遠に、風の中を
私は自分の手を見た。まだ羽根の感触が残っている気がした。
「でも、それは不可能じゃ——」
「不可能よ」女は遮った。「だから、教団は滅んだの」
沈黙。
「教団を滅ぼしたのは、誰?」
「誰も滅ぼしてない」女は言った。
「勝手に滅んだの。あるいは……最初から存在していなかったのかもしれない」
私の頭が痛くなってきた。言葉の意味は理解できる。でも意味同士が繋がらない。まるでパズルのピースをでたらめに組み合わせているような。
「あなたは教団の一員だったの?」
「そうとも言えるし、違うとも言える」女は壁から手を離した。「あなたと同じ。私も実験体だった」
実験体。
その単語が何かを呼び起こした。記憶じゃない。体の奥底に刻まれた何か。
「実験?」
「ええ。羽根を食べて落下の感覚を体に覚えさせる実験。最初は小鳥の羽根。次に鷹の羽根。最後に——」
女は言葉を切った。
「最後に?」
「人間の羽根」
私の背中が急に疼いた。肩甲骨のあたりに古い傷跡があることを思い出した——いや、思い出したというより、今初めて気づいた。いつからそこにあったのか分からない。
「人間に羽根なんてない」
「ないわね」女は同意した。「でも、あったことにすることはできる。十分に深く信じれば体は嘘に従うから」
女は扉の方へ歩き始めた。
「待って」私は呼び止めた。「落下教が滅んだならあなたはなぜまだここにいるの?」
女の足が止まった。
長い沈黙の後、フードの奥から声が漏れた。
「確かめているの」
「何を?」
「本当に滅んだのかどうか」
扉が開いた。廊下の暗闇が、部屋に流れ込んでくる。
「それと」女は付け加えた。「あなたが最後の実験体なのかどうか」
扉が閉まる。
また一人になった。
私は自分の背中を触ろうとした。でも、手が届かない。肩甲骨の間に、何かがあるような気がする。膨らみ……いや、凹み?
炎はいつも上に向かって伸びている。重力に逆らって、空に向かって。それが自然の法則だと、どこかで習ったような気がする。
でも——もし私が炎だったらどっちに燃えるだろう?
上か、下か。
それとも、どちらでもない方向か。
考えながら私はもう一度床に横になった。天井を見上げる。石の表面に無数の引っかき傷があることに気づいた。誰かが爪で引っかいたような——いや、違う。これは爪じゃない。
もっと鋭いもの。
羽根の先端のような。
私は目を閉じた。
そしてまた落ち始めた。
今度は夢の中で。
夢の中で私は空を飛んでいた。正確には落ちながら飛んでいた。矛盾している。でも、それが正常なのだと夢の中の私は知っていた。
地面が見えた。
灰色の大地に無数の人影が立っている。全員、空を見上げている。何かを待っている。
私は彼らに向かって落ちていく。
でも決して届かない。
彼らとの距離は、永遠に縮まらない。
そして……彼らの一人がゆっくりとフードを外した。
顔が見えた。
それは私だった。
私が地面に立って空を見上げている。
空から落ちてくる私を見上げている。
どちらが本物?
夢の中で私は笑った——いや、泣いた?区別がつかなかった。
目が覚めたとき頬が濡れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます