落下は三日続いた——と思う。


 時間の感覚が歪んでいる。蝋燭ろうそくが燃え尽きては誰かが新しいものを置いていく。その「誰か」は見えない。気づくと古い蝋燭ろうそくの横に新しいものがあって、私はそれに火を移す。その作業だけが唯一の時間の目印だった。


 四本目の蝋燭ろうそくに火をつけたとき落下が止まった。

 正確には——体が何かに引っかかった。


 見下ろすと床があった。いつの間にか床が戻ってきていた。それとも私が床のある場所まで落ちてきたのだろうか。よく分からない。ただ、足の裏に固い感触があって、それが妙に新鮮で少し気持ち悪かった。


 扉が開いた。

 また灰色のローブの人物。でも、今度は違う。歩き方が違う。昨日の男よりも足音が軽い。


「よく戻ってきたわね」


 女の声だった。


「戻った?」私は繰り返した。「私は部屋から出ていない」


「ええ、そうね」女は笑った。フードの奥で笑い声だけが漂っている。


「あなたは一歩も動いていない。でも三日間ずっと落ち続けていた。矛盾してる?」


「矛盾してる」


「じゃあ正常よ。矛盾を矛盾だと認識できるうちは、まだ大丈夫」


 女は部屋の中に入ってきて壁に手をついた。その手が壁を撫でるように動く。まるで壁の中に何か大切なものが埋まっているかのように。


「ここを出たいと思う?」


「分からない」


 正直な答えだった。出たいのか、出たくないのか——その判断をするための材料が私には何もなかった。


「正直でいいわ」女は言った。「嘘をつく人間は、すぐに地面に落ちて死ぬから」


「地面?」


 私は尋ねた。初めて聞く単語だった。いや…知っている。知っているはずの単語なのに、まるで初めて聞いたかのように奇妙に響いた。


「そう。地面。この建物の外にある、固くて冷たくて、落ちたら砕ける場所」


 女の指が壁の表面をこつこつと叩いた。石の音がした。


「私たちは今、どこにいるの?」


「塔の中」


「塔?」


「そう。とても高い塔。昔、人々が空に近づこうとして建てたもの。でも途中で気づいたの——空に近づくほど地面が遠くなるって。それで人々は建設をやめた。代わりに落下を研究し始めた」


 女はフードの下でまた笑った。


「落下教の始まりよ」


 私の心臓が変な音を立てた。鼓動じゃない——何かが、胸の中で引っかかったような音。


「教団は何を目的にしていたの?」


「完璧な落下」


 女は即答した。まるで、その答えを何千回も口にしてきたかのように。


「完璧な落下って?」


「終わらない落下。地面に着かない落下。永遠に、風の中をただよい続けること」


 私は自分の手を見た。まだ羽根の感触が残っている気がした。


「でも、それは不可能じゃ——」


「不可能よ」女は遮った。「だから、教団は滅んだの」


 沈黙。

 蝋燭ろうそくの炎が、また揺れた。


「教団を滅ぼしたのは、誰?」


「誰も滅ぼしてない」女は言った。


「勝手に滅んだの。あるいは……最初から存在していなかったのかもしれない」


 私の頭が痛くなってきた。言葉の意味は理解できる。でも意味同士が繋がらない。まるでパズルのピースをでたらめに組み合わせているような。


「あなたは教団の一員だったの?」


「そうとも言えるし、違うとも言える」女は壁から手を離した。「あなたと同じ。私も実験体だった」


 実験体。

 その単語が何かを呼び起こした。記憶じゃない。体の奥底に刻まれた何か。


「実験?」


「ええ。羽根を食べて落下の感覚を体に覚えさせる実験。最初は小鳥の羽根。次に鷹の羽根。最後に——」


 女は言葉を切った。


「最後に?」


「人間の羽根」


 私の背中が急に疼いた。肩甲骨のあたりに古い傷跡があることを思い出した——いや、思い出したというより、今初めて気づいた。いつからそこにあったのか分からない。


「人間に羽根なんてない」


「ないわね」女は同意した。「でも、あったことにすることはできる。十分に深く信じれば体は嘘に従うから」


 女は扉の方へ歩き始めた。


「待って」私は呼び止めた。「落下教が滅んだならあなたはなぜまだここにいるの?」


 女の足が止まった。


 長い沈黙の後、フードの奥から声が漏れた。


「確かめているの」


「何を?」


「本当に滅んだのかどうか」


 扉が開いた。廊下の暗闇が、部屋に流れ込んでくる。


「それと」女は付け加えた。「あなたが最後の実験体なのかどうか」


 扉が閉まる。

 また一人になった。

 私は自分の背中を触ろうとした。でも、手が届かない。肩甲骨の間に、何かがあるような気がする。膨らみ……いや、凹み?


 蝋燭ろうそくの炎を見つめた。

 炎はいつも上に向かって伸びている。重力に逆らって、空に向かって。それが自然の法則だと、どこかで習ったような気がする。

 でも——もし私が炎だったらどっちに燃えるだろう?

 上か、下か。

 それとも、どちらでもない方向か。


 考えながら私はもう一度床に横になった。天井を見上げる。石の表面に無数の引っかき傷があることに気づいた。誰かが爪で引っかいたような——いや、違う。これは爪じゃない。

 もっと鋭いもの。

 羽根の先端のような。

 私は目を閉じた。

 そしてまた落ち始めた。

 今度は夢の中で。


 夢の中で私は空を飛んでいた。正確には落ちながら飛んでいた。矛盾している。でも、それが正常なのだと夢の中の私は知っていた。

 地面が見えた。

 灰色の大地に無数の人影が立っている。全員、空を見上げている。何かを待っている。

 私は彼らに向かって落ちていく。

 でも決して届かない。

 彼らとの距離は、永遠に縮まらない。

 そして……彼らの一人がゆっくりとフードを外した。

 顔が見えた。

 それは私だった。

 私が地面に立って空を見上げている。

 空から落ちてくる私を見上げている。

 どちらが本物?

 夢の中で私は笑った——いや、泣いた?区別がつかなかった。

 目が覚めたとき頬が濡れていた。

 蝋燭ろうそくは五本目に変わっていた。

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