捨てられ少女の右ストレート、左手にはロリポップ
ハルタカ
捨てられ少女の右ストレート、左手にはロリポップ
「あんのクソ師匠、マジで消えやがった!!」
朝起きたら、師匠はいなかった。
リビングのテーブルには置き手紙が一枚。
『飴は毎日のご褒美に一日一個まで』
『野菜もちゃんと食べること!』
『あ、この家はあげます』
『戸締りしっかりね』
「嘘でしょ……」
あまりに突然の別れに、頭に血が上ってクラクラする。
また私は捨てられたのか。
まさか夜の店のお姉ちゃんと駆け落ち!?
ここ数日、香水と酒の匂いをさせて帰ってくることが何度かあった。
私があからさまに嫌な顔をすると、師匠はケラケラ笑って、
「嫌なんだ?」
と顔を近づけてきた。
フワフワした黒髪が、私の鼻先をくすぐった。
悔しいが、この男は顔がいい。
愛玩動物みたいな甘えた目で揶揄われたら、私じゃなくてもドキッとするだろう。
「じゃあ、とびきりのいい女になって、俺のこと迎えにきてね」
周りの男が呆気に取られるくらいのいい女、なんて言って煙草をふかす。
不快なのでもちろん無視した。
だいたい、出会った時からチャラかった。
裸足で家から追い出され、夜風に震える幼い私の目の前に、師匠は突然現れた。
「あれぇ、お嬢ちゃん、ひとり?」
そう言って煙草をふかすと、私の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
この世で見た誰よりも綺麗で、胡散臭い男。
けれど差し出された手は温かく、この手が私の世界の全てだと錯覚するには十分だった。
それから。
師匠と名乗り、私に魔法のいろはを叩き込むこと十年。
……その結果が、これ?
主を失った部屋には、ただ煙草の匂いが残るばかりだ。
あまりに滑稽な私の人生に、失笑する。
ふと、棚にぎっしり並んだ、色とりどりのロリポップが目に入った。
私はそれを一本乱暴に抜き取って、乾いた口内に放り込む。
カラコロ舌で転がすと、甘さに乗せて日々の記憶が蘇った。
師匠が鼻歌混じりに鍋を混ぜている。
鍋を傾けてドロリと垂れるそれを型へと落としては、木の棒をぷすぷす挿す。
修行でぼろぼろになった私は、傷を手当しながらぼーっとそれを眺めていた。
『この飴は一日一個、君へのご褒美』
そうして大量に作り置かれたロリポップたち。
お前ら、取り残された私が可笑しいか?
舌先で転がしていた飴玉を、怒りに任せて奥歯でガリっと噛み潰す。
一日一個。
そんなルールに従う理由も、もうない。
「なによ、こんなもの」
がさっと一掴みし、取り出したロリポップを次々と噛み潰しては砂糖屑にしていく。
艶やかな飴の表面に容赦なく歯を立て、残った棒をポイっとやった。
心が破裂しそうな怒りに任せて、掴んでは貪る。
毎日のご褒美。
訓練でボロボロになった手で受け取ったロリポップは、脳が溶けるほど甘かった。
けどそれが何になる?
感傷に浸って毎日一つずつ食べるなんてこと、私はしてやらない。
『君が夕焼けをじっと見てたから、オレンジ』
『落ち込んだ顔してるから、ブルー』
師匠の声が頭の中にこだまする。
「置いてかないでよ」
どうせ捨てるなら、なぜあの時手を差し伸べたの?
初めて掴んだ手の温もり。
夜中に泣きだした私を、毛布に包んで抱えてくれた時の体温。
それらを振り払うように、嚙み潰す。
思い出みたいに残してやらない。
全部喰らって私の糧にしてやる。
ロリポップを掴む手の甲に、ぱた、ぽたりと温かい何かが滴った。
一粒は涙。
もう一粒は……
鮮やかな血。
顔を触ると、鼻の下がべったりと血で汚れていることに気がつく。
体の奥からズキズキ響く痛みに襲われて、たまらず床に突っ伏した。
何これ、飴に毒でも盛られてた?
「最悪だっ……!」
とめどなく流れる鼻血に溺れそうになりながら、怒りに任せて床を拳で強く殴った。
バリバリバリ!!!
硬い木材が裂ける音と、激しい衝撃音が耳をつんざく。
膨らんだ空気が一気に発散し、壁や家具が木の葉のように吹き飛んだ。
しっ、死ぬ……!?
床は抉られ、壁は衝撃でバキバキに突き破られている。
落雷か?と床に突っ伏しながら天井を眺めるが、穴も無ければ焼け焦げた様子もない。
吹き飛んだ木片は、私の拳を中心に円を描くように散らばっていた。
「……マジ?」
どうやら、犯人は私だ。
不思議と身体が楽になり、流れる血を拭いながら立ち上がる。
耐えがたい怒りが力になったのか。
つい昨日まで、両手のひらサイズの火球を浮かせるのでやっとだったのに。
「い……いける!!」
この力を磨けば、師匠をブン殴れるぞ!!
脳内にラッパ隊を召喚し、華々しいファンファーレを奏でさせながら、私は取り急ぎ、粉々になった材木の片付けを始めた。
◇
師匠が去って一年半。
飴と師匠の教えで私の魔法は大きく育った。
もちろん右ストレートの特訓は欠かしていない。
そしてロリポップはついに、最後の一本になった。
最近始めた薬の販売のために町へと降りる。
ちなみに師匠は駆け落ちではなかった。
高級酒場のお姉さんは誰一人欠けることなく元気に出勤している。
ふと、風に舞った新聞をキャッチして見出しに目を通す。
『ドラゴン討伐隊が半壊』
王国に次々と運び込まれる負傷者の多くが、うわごとのように
『黒髪の魔法使いを守れ』と繰り返している。
「……は……っ?」
黒髪の魔法使い?
私の胸の奥で、何かが弾けた。
◇
箒が火を噴かんばかりに唸りをあげて、風を切る。
見えた、王都だ。
そのまま猛スピードで、騎士団の兵舎へと突っ込んだ。
「田舎の薬屋でぇす。偉い人出して」
怖い顔で何か叫ぶ男を押しのけ、身なりの良い魔女が歩み出た。
どこかで嗅いだ香水の香りが鼻をかすめる。
師匠の飲み相手はこいつか。
「うちの師匠知ってます?」
「ええ、キリキリ働いてもらってる」
綺麗に微笑む姿に憎悪が湧く。
「勤め人には向かないタイプなもんで、返してください」
「まだ、契約が残ってるの」
ぴらりと見せられたその紙を一瞥する。
騎士団との契約書。
対価は、騎士団による『私』への不干渉と、安全の保障……?
「知らないって、罪よねえ?」
魔女はニコリと笑った。
◇
私の腰元で、小瓶がカランと音を立てた。
ずっと食べられずにいた最後のロリポップだ。
箒を飛ばし続け、やっとドラゴンの住む火山にたどり着いた。
火口付近にはおびただしい数の兵士と、魔物達の亡骸。
拠点として設置されたテントはボロボロで、中には生死の判別がつかない数名が横たわっていた。
次第に濃くなる血の匂いに吐き気がこみ上げる。
爆炎と、腹の底を激しく叩くように空気を揺らすドラゴンの咆哮。
そのただ中に、師匠がいた。
顔の半分は血と煤で汚れ、表情は見えない。
師匠は、バカでかい雷の槍をいくつも空中に錬成し、ドラゴンの脳天へ何度も打ち込む。
血だらけのドラゴンは、刺し違えんばかりに鋭い牙をむいて人間達に襲い掛かった。
前衛の騎士達にシールドを張り、それと同時にドラゴンの周囲を囲む雷の槍を練り、強度を高めていく。
その後方では、傷ついた魔法使いたちが身を寄せ合っていた。
彼らは押し寄せる魔物たちを懸命に食い止め、その討ち損じを時折り師匠が焼き払う。
私は猛烈に苛立っていた。
何も教えなかった師匠に。
何も知らなかった自分に。
怒りに任せて、魔力を高める。
師匠を模して、何十もの雷の槍を空中に生み出した。
バリ、バリバリ、という大気を裂くような音が響く。
それから、私は腹にありったけの力を込めて叫んだ。
「馬鹿師匠!!!」
きーーーーーん、とあたりに反響する。
私の声に、黒髪の人影が振り返る。
やっぱり。
見間違えるわけがない。
ぽかんと、呆けた顔をしているのは、私の師匠だ。
私の周りに無数に錬成された雷の槍にようやく気が付いたのだろう。
血に濡れた口元を歪めて、笑いをこらえているのが見える。
笑うな命がけなんだぞコラ!!
師匠が腕を大きく振りぬいてドラゴンの頭部めがけて槍を放つ。
それに合わせて、私も全身を使ってありったけの槍を打ち込んだ。
爆風の向こうに、大きな体が倒れるのが見えた。
◇
「なんでここに?」
額から流れる血をぬぐいながら、ぼろ雑巾みたいな師匠が私に尋ねた。
……私がやらなきゃいけないことは、ただ一つ。
渾身の、右ストレート!!!
ぼこっ。
「いった!!」
頬を押さえる師匠の姿を見て、私はチッと舌打ちする。
練習は毎日欠かしていないが、魔力を帯びなきゃこんなもんか。
「迎えに来たの!“周りの男が呆気に取られるくらいのいい女”になってね!」
私は周囲をぐるっと指さした。
後方支援をしている騎士たちが、ぽかんとした様子でこちらを見ている。
「……っはは、あはははは!!」
師匠が腹を抱えて笑い出す。
大笑いしながら時々血なんか吐くものだから、騎士たちがざわめいた。
「いやっ、……でもこれはちょっと、違わない?」
目尻を拭いながら、師匠が私に近寄ってくる。
傷だらけの手をそっと伸ばして、私の顔に触れた。
「……ぷっ……鼻血垂らして……」
そう言われて初めて気づいたが、私の鼻下は血で濡れていた。
グッと手の甲で鼻血を乱暴に拭い、師匠の目を見る。
「師匠、ごめん」
「ん?」
「私は、人質だったんだね」
あの契約は、私を人質にして師匠の力を利用するためのものだった。
私の顔に添えられた師匠の手が、少しだけ震えた。
突然、私の口に何かが放り込まれる。
「俺を待ってたご褒美」
ひびの入ったロリポップだ。
熱で焦げたのか、ちょっと苦い。
「……ずっと持ってたの?」
「渡せるか、賭けだったけど」
血まみれでボロボロの師匠が、へらっと笑った。
見ていられなくて、私はごまかすように恨み言を言う。
「毒、盛ってた?」
「は?」
「ムカついてバリバリ食べたら、もう身体中痛くて鼻血止まんなくて最悪だった」
あの時の苛立ちを思い出す。
「俺の魔力が練り込まれてるからね……え?バリバリ食べた?」
「ひと抱え分」
「死ななくておめでとう!!」
涙目で笑い転げる師匠に、改めて殺意が湧く。
「勘違いしないで。待ってたんじゃない」
私は師匠の口に、持ってきた最後のロリポップを押し込んだ。
「私があなたを迎えに来たの!」
カラコロ。
焦げ臭いロリポップを、私は噛まずに転がした。
捨てられ少女の右ストレート、左手にはロリポップ ハルタカ @harutaka0525
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