#2 猫を飼う人、犬を散歩する!
夕介(ゆうすけ)は頭がパンクしそうだった。
今月が締め切りの小説とエッセイの連載を
毎月約10本ほど抱え、
取材の日程と文章の構成に
彼の頭と心はぐるぐるザワザワ。
「ここはこうで、ああでこうで」と
パズルのようにスケジュールを組んで
仕事を進めて行く。
今は9月半ば。
だが、やはり"近年の夏"が尾を引いてまだまだ暑い。
しかし日々の気温はなんとか下がり始めていた。
必要な取材は初旬~中旬前半に大部分は終わっているが、
中旬にやるべき文章の下書きはかなり遅れている。
手をつけていない物もあるし、
このままだと下旬の推敲の時間が厳しくなってくる。まずい。
しかも毎朝3時半に
ちょっとしたバイトを始めたので
それにも行かなければ。
夕介はフリーランスにありがちな
夜型の生活をおくっていたため、
朝早く起きるのではなく
夜中に仕事をして
そのまま起きていて行くことにした。
そのバイトは、
夕介の自宅マンション近くに住む
仮想通貨の先行投資で大きく儲け
実家でニート生活をしている友達の代わりの
ペットの犬の散歩であった。
夏の時期、犬の散歩は日中暑くて
犬にとっても飼い主にとってもNGなので
朝か夕方に散歩して欲しいとのこと。
別にその友達が夕方に犬の散歩に行けばいいのだが、
どうもおっくうらしく夕介に頼んで来た。
1回1000円だが、夕介にとってはありがたい。
彼は最初からかなり乗り気だったので
「いつまででも気が済むまで頼む」と
夕介の友達 涼太(りょうた)は依頼して来た。
実家だが、彼の両親は温和な性格らしく
夕介が早朝に訪ねて来ることには特に何も言わない。
夕介にも信頼を寄せており、
さすがに実家の合鍵までは渡さないが、
朝3時半に犬の散歩に出向けば、
涼太の母はいつも心良く出迎えてくれた。
涼太の父は夜勤の仕事ゆえそれから1時間もすれば帰宅するので
朝ごはんの準備にと涼太の母は起きて家事を始めているのだった。
明け方3時20分。
夕介は自宅のペット禁止マンションで内緒で飼っている、
すでに目覚めてアクティブに活動している
ペットの猫にチュールをやってマンションを出た。
約10分ほどで涼太の実家の
古い二階建ての黒っぽい木造の一軒家に着く。
涼太との出会いは友達になりたい者同士を引き合わせる
マッチングアプリだった。夕介と涼太は少し年の差があったが、
なぜこんなにも気が合うのかと
毎回何かしら驚くほどすぐに仲良くなり時を重ねた。
しかも涼太の実家は夕介の住む高層マンションのすぐ近く。
涼太の家に行く度に夕介は「なんでこんな近くに…」と
お互いの家の距離の近さと
高層マンションの近くに建つ下町にあるような
不釣り合いな家にちょっとした驚きが漏れるのだった。
座敷犬のペット「ポンタ」の首輪にリードを付けて連れて出る。
ちなみにポンタと言う名前は一人っ子の涼太の弟と言うテイで、
麻雀好きの涼太の母親が「ポン(同じ牌を三つ揃える)」から取って
幸せが集まるようにと名付けたものである。
だが、温和なわりに涼太の母はテキトーなので
どこまで本気なのかわからない。
*
ポンタを連れて両脇が林の小道。
夜の明けきっていない青暗い闇。朝の風は涼しい。
セミがさわいでいるが、
ジリジリとした暑苦しい嫌らしさは感じない。
逆にその泣き声に冷気を感じる。
3時半と朝早すぎる時間帯のため、
他に田舎着で歩いている人や犬を散歩させている人、
スポーツウェアでジョギングしている人などはいない。
新聞配達のバイクと何度かすれ違う。
闇がまだ少し残る時間、
夕介は全身黒っぽいカジュアルな恰好なこともあり、
一人だとかなり怪しいが
犬が一緒なので体裁が立つ。
涼太のペットの犬ポンタは静かにテクテク歩く。
無駄吠えはほぼしない。
「飼い主に似ず、いい子だ」と夕介は思った。
別に涼太を見下している訳ではない。
彼と非常に仲が良く、よく知っているから思った、
友人としての男のノリでのディスる言葉だった。
散歩の途中では、大きな赤いポピーの花、
心を無にしてくれるような川のせせらぎ、
道を横切る毒は無いであろう細い薄緑色の蛇などを見た。
夕介は一緒に散歩するポンタを眺め、
かつて実家で飼っていた犬のことを思い出していた。
その犬はメスで「ミサ」と名付けられ、
ミサとは高校を卒業をして
働いていなかった頃、家の周りを通ったことの無い道が無いほど
一緒にいろいろな所へ散歩した想い出がある。
(ちなみに夕介もその働いていなかった経験があるゆえに、
涼太の今の生活にも普通に理解があるのである)
ミサは色は違ったがポンタとよく似ていた。
メス犬なのに足を上げるおしっこの仕方、
ふだんは吠えない落ち着いた佇まい、
うんちの前に新聞紙を敷く点。
涼太の家からは広告チラシを渡されていたが。
猫もそうだが、犬というのは
別個体でもけっこう似通った動作をする。
顔はかなり個性があるため
そこまでは似ていなかったが、
動作は同じような動きをするため
夕介はポンタにミサの面影を見る。
ミサという名前は夕介の元カノの名前ではなく
彼が子供の頃、そこそこ好きだったアニメキャラから取った。
当時からの友達や昔の彼女には
さんざん元カノでしょ?と馬鹿にされたが違う。
夕介の母はミサは夕介の妹だと言っていたが、
実際のアニメキャラクターのミサは妹でも妹キャラでもないし、
萌えキャラでもなかった。
しかしミサと呼ぶのは夕介もその家族もなんだか恥ずかしいと
後から気づいたが、一度名付けてさんざん呼んだ後、
変える訳にもいかず、
「ミーちゃん」と猫に呼ぶかのように呼ぶ。
当の犬ミサも自分が呼ばれていることはわかっており、
ミーちゃんという呼びかけにも反応を示した。
本当に好きなアニメ作品は他にある。
ただ、すごく好きな作品と犬の固有の命を結びつけたくなかった。
犬の魂を穢すような気がして。
だからあえてそこまで関係のない所から名を取った。
その後、それで良かったと夕介は幾度となく思った。
犬を独立した生命として立てることができた気がして。
*
1時間ほどポンタを散歩をして
涼太の家近くに戻ってくると
夜勤明けで歩いて家に帰って来た涼太のお父さんと遭遇する。
少し汚れたすごく薄い水色作業着で
奥さんお手製の家庭的なデザインの手提げを持っている。
「涼太も夕介くんみたいにフリーランスでもいいから
立派に働いてくれるといいんだけどなぁ」
涼太のお父さんが夕介にいつもの小言を漏らす。
仮想通貨で稼いだのも立派なことだと思うが。
物腰はかなり穏やかだが、若干、古風な方のようだ。
玄関の引き戸を開けると涼太のお母さんが出迎えてくれる。
「夕介くん、だし巻き玉子作ったの持ってって」
涼太の母は夫のために作った朝ごはんのおすそ分けをいつもくれる。
そしていつも笑顔でお礼を言っては謝る。
「ありがとうね。本当は涼太の仕事なのに。ごめんねえ」
「いえいえ、バイト代+朝ごはんはありがたいです。ありがとうございます」
夕介は頬を緩ませる。
ポンタは優しい涼太の母が引き取り、
お風呂場に足を洗いに連れて行った。
夕介はついでに涼太にも会って行く。
お邪魔して彼の部屋に向かう。
涼太は起きており、部屋着の青いジャージで
ベッドに寝そべりながらパソコンを見つめていた。
「あ、今日もわりぃ。はい、千円」
部屋の引き戸を開けた夕介に気づき、
北里柴三郎の新千円札を
渡して来る。
「寝てる訳じゃねえんだから、
おまえが犬散歩言ったらどうだ?
てか、何やってんだ?」
「サブスクで映画観てる。
朝の映画、いいぜw」
「"億り人(おくりびと)"人生じゃねえかw」
「いいだろ?w
てか、それ死語!w
つーか、おめー、辞めんのか?」
「辞めねえよ!w
朝気持ちいい中、
犬と散歩に行けて
金もらえるの
ラッキーなイイ仕事だ」
「じゃ、これからも頼むわ」
涼太はベッド脇に置いてあった
キャラメルポップコーンのカップのフタをペリッと開け
つまみながら再びサブスク映画に戻る。
夕介は足を洗い終わった
大切に飼われている座敷犬ポンタの頭をなでて
涼太の家を後にした。
ポンタは笑顔で夕介に喜びのしっぽを振った。
夕介は朝の優しい日差しの中、
ペットの愛猫の待つ家へと帰路を行く。
途中で、ポケットに持っていた細い電子タバコに口をつける。
華やかな白い煙が朝の清さに溶けて行った。
おわり
■あとがき
主人公 夕介(ゆうすけ)が視覚的に暖色系の名前なので、
友達 涼太(りょうた)は体感的に寒色系の名前にしました。
そして君はアヤメになった ~消えゆく確かな日々の中で~ メタゲーム宇都宮 @METAGAMEutm
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