そして君はアヤメになった ~消えゆく確かな日々の中で~
メタゲーム宇都宮
#1 猫飼ったことない人が妄想で書く猫小説
アヤメの花の終わった季節。
夕介(ゆうすけ)はイライラしていた。
平日の昼時、自宅マンションの
デスクのパソコンに向かい、文字を打つ。
彼は売れている作家ではないが、
小説やエッセイの連載を月に10本抱えている。
一つ一つはそれほど長くはないが、
毎月10本はかなりのボリュームだ。
しかもそれぞれまったく別のテーマである。
実際に取材をして執筆に臨むため、
月の前半はそれに時間を取られる。
今は月末。書いて推敲する段階で
締め切り前で精神的に追い詰められている。
ペットの猫が
「ナー」と鳴くように
「ニャー」と鳴いて
足元にすり寄ってくる。
"ちいかわ"に出て来そうな感じで癒される。
頭をなでる。
上目遣いでちょこんとその場に座り、
また「ナー」と言うように鳴く。
ここのマンションはペット禁止だが、
夕介のもとには誰も訪ねては来ないし、
誰かを家に招いたりはしない。
それに仔猫もうるさく鳴かないので
まず誰かにバレることはないだろう。
寂しいと思われるかもしれないが、
夕介には友達がいない訳ではないし、
人と関わると気を遣ってしんどいので
人間関係は控えているのだった。
壁などを仔猫に爪で傷つけられる心配もあるが、
部屋の防御は万全の体制を整えている。
あらかじめよく考えて動くところは作家の性だ。
クーラーのキンキンに効いた部屋で
薄いデスクトップのパソコンに
とりあえずザーッと作品の下書きを進める。
今日は一本目の下書きを二時間かけて
書いた後の二本目だ。
今まで書き出して書けないということはなかった。
書き出しさえ書いてしまえば
あとは惰性で書けた。
仔猫がデスクの上に載ってくる。
優しい言葉をかけて下ろす。
するとそっぽを向いて
部屋の違う所へと歩き出す仔猫。
そしてやはり二時間くらいかけて書き上げる。
ここから大きく文章を変更することはない。
書き上がるとイライラもかなり収まった。
浄化される気分にもなる。
推敲のためにいったん頭を真っ白にしたいため、
アイスコーヒーを作って飲む。
節約のためにたっぷりの牛乳に
ペットボトルのコーヒーを2、3滴入れた。
執筆は頭を使う作業であるため
甘い物が欲しくなる。砂糖はたくさん入れた。
DoctorXで米倉涼子演じる主人公の女医大門未知子が
何時間もの手術の執刀の後、ガムシロップを
大量に飲んでいる気持ちも理解できた。
ほぼコーヒー牛乳だが、
コンビニでカフェラテを買うと
かなり割高になってしまうので
自分で作った方がかなりお得である。
でもコーヒー牛乳と言うとダサい感じがするので
アイスコーヒーという認識でいる。
*
仔猫は、値段が高かった静かに動く
黒いルンバの上に乗って移動している。
*
仔猫を見やりつつ、扇風機の前で立って涼んで
アイスコーヒー(コーヒー牛乳)を飲み干した後、
再度パソコンに向かう。
書いた文章を時間をかけて何回か全部一通り読んで
助詞が抜けていないか、重なっていないか、
副詞の位置がおかしくないか、
言葉通りに場面を想像した時に
矛盾が生じないかなど
そういったことを中心にチェックしていく。
数箇所修正して上書き保存する。
締め切りまでもう少し時間はあるので
これはとりあえずこれでいい。
次はもう少し時間を置いてから最終の推敲をする。
いったんパソコンの電源を落とした。
仔猫とたわむれながらチュールをあげる。
一生懸命ぺろぺろする仔猫は可愛い。
その後、夕介はベランダに出て電子タバコを吸う。
ここはかなりの高層階である。
初夏。今日は気温はそれほど高くなかったが、
(でも"近年の夏"なので暑いは暑い)
曇天のため、夜が近づき、
辺りは早めに暗くなり、
涼しく感じられるようになってきていた。
仕事を一段落させて一服する、
この時が一番幸せだと夕介は思っていた。
夕介の人生はカゴの中の鳥のような人生ではない。
取材でいろいろな経験をしているし、
人間関係の酸いも甘いも知っている。
その上で改めて幸せとは何かと問われると
このひと時と答えるだろう。
幸せの青い鳥をさんざん探しに探して
結局、最も近くにいたというのと同じかもしれない。
しかしタバコは体に良くないので
肺まで吸い込んで吸わない。
吸うまねに近かった。
でも思考が切り替わる感じがして
リラックスできてとても心地良かった。
口から白い煙をフーッと吐き出す。
遠くの街並みをぼんやりと眺める。
明日もこんな日々が続くだろう。
しかし自分で選んだ道だ。
決して文句は無い。
むしろこれで生活ができていることを
ありがたく思っている。
でも完全に独りはつらい。
仔猫を飼っていてよかった。
ふと振り返って室内の仔猫を見やると
仔猫はベッド用のカゴで
薄い布団に丸くなって小さく寝息を立てて眠っていた。
寝息は聞こえないが、すうすう呼吸しているのでわかる。
仔猫の愛らしさに夕介は心がホッとし、
目元をゆるめ、口角を上げた。
自分の生き方はまちがっていないとも思えた。
仔猫と共に作家という仕事に生きる今が
夕介は一番幸せだった。
タバコの煙を包む涼やかな風が一つ吹いた。
おわり
※あとがき
主人公を「夕介(ゆうすけ)」という名前にしたのは、
作家として大器晩成で成功する、
人生を朝昼晩で言うと
晩の「夕」に成功する→救われる→助かる(助→「介」)
という意味で「夕介」にしました。
仔猫は"ちいかわ"に出て来そうということ以外は
見た目にあえて言及してません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます