1章

第1話「日々」前編

 ワーワーガヤガヤ……なんて可愛らしいオノマトペでは表現しきれない、愛憎渦巻く街の喧騒は昨日と特に変わりなく腐った日常を彩っていた。ブラインドの向こうから差し込む人工的なビビッドの明かりも、すっかり部屋に染み込んで取れなくなったニコチンの香りも、いつも同じ。それはきっと明日も変わらない。


 ――有限会社【アオシマ事務所】。


 表からは隔絶されたこの歓楽街の、その更に片隅の雑居ビルの3階にひっそりと佇むトタンの看板。それ以外特に何の案内もない粗雑な外観で、ただ一枚、営業中とだけ書かれた扉がお客様を迎え入れる。最も、こんな胡散臭い場末の「事務所」に駆け込むような人間をと呼ぶべきか甚だ疑問だが。


 業務内容は簡単。失せ物もしくは失せ人探し、人間関係やお仕事のトラブル相談その他もろもろお困り事を、法に抵触しない程度で何でも引き受ける……平たく言えば便利屋である。実に曖昧で適当な話だというのは真っ当な評価だが、前述の通り「法に抵触しない」との部分は揺るぐことないウチの大切なポリシーだ。まあ抵触しないだけでスレスレではあるものの、ここではその程度誤差だろう。少なくともここらを根城にしている某様に比べたら、健全かつ真っ白な民間企業だ。間違いない。

 

 少し話は逸れたが、そういった便利屋で俺はかれこれ7年ほどメンバーとして業務をこなしている。何も毎日ドラマのように舞い込む依頼で目を回す日々ではなく、地味な事務作業に努める割合の方が圧倒的に多い日常だ。しかしそれが気に入っているからこそ7年もここに居座っているのだろう。生活には困っていないし。不満があるというなら、そうだな、我らがリーダーのニコチン中毒具合だろうか。


 「……なぁに?ホオジロ。そんなに熱烈な視線よこして」


 「お前のヤニカスっぷりどうにかなんねェかなって考えてただけだよ、アオタカ」


 「いまさらぁ?……吸うときは表出てるじゃん、いいでしょ」


 相変わらず飄々と受け流すあいつは口寂しいのか、デスクに常備していたガムの銀紙をそのデカい手でちまちま破きひょいと口に放り込んだ。そのまま前髪も襟足も伸び切った癖毛を気にすることなく、変わらずモニターを眺めて作業に没頭しているらしい。

 

 フルネームは【青高 双葉アオタカ フタバ】、この事務所を設立した張本人であり謂わばボス。今こそデスクを前に背を曲げ縮こまっているが元はかなり背が高く――羨ましい限りだ――細身なのに反してだいぶ威圧感がある。服装も緩いトレーナーにデカピアスとイマイチ社会人らしくなく、加えてヘビースモーカーだったり……だらしないところもありつつ、事務所の運営は結構真面目にしている。多少愚痴っぽくなってしまったが俺にとっては可愛い後輩だ。


 何より……だらしないというなら俺の方だろう。30超えてからの1歳差なんて有って無いようなものだが、仮にも年上だというのに運営には関わらず家賃もほぼ払うことなく仕事場に寝泊まりする始末。もちろん仕事はキチンとやっているけれども。


 自身を顧みたところ思っていたより碌でもないのではと勘づき、僅かながら落ち込む。そんな俺を知ってか知らずか、不意にアオタカがモニターから視線を外した。椅子をくるっと回して、愉快そうに口角を上げる。


 「ね、ちょっと」


 「ンだよ」



 「お仕事だって。【喰代 燿佑ホオジロ ヨウスケ】様宛て――直々の指名だそうだ」



 アオタカが丸まっていた背筋を伸ばしこちらに振り向いたことで、俺からも向こうのデスクトップ画面が見えるようになった。映し出されたダイレクトメッセージには、分かりやすく外向きの体裁に保たれた文章が連なっている。小さな文字列をしっかり認識するため重い腰を上げ、モニターに顔を寄せた。

 ざっくり流し読みしてみれば良くも悪くもありふれた話のようだ。――かれこれ数週間、音信不通の弟を見つけ出して欲しい、とのご依頼。ここいらじゃ間々あること。

 ほぉん、と魂が抜けたみたいな相槌を挟みつつ画面をスクロールしていると、ある一節に視線が引っかかった。


 ――御社に所属し、【最恐】と謳われるホオジロ様の力を是非お借りしたく――


 「げェ、またこれか……」


 長ったらしいため息を吐いて露骨に不快感を示す。公式に認めているはずもない、どこかの誰かが広めた二つ名を本人に対して直接使うとはどういう神経なんだろうか。

 

 今の時代、情報収集も仕事のやりとりも何もかもがデジタルで行われる。例に漏れず、広大なネットの海に構えたウチのホームページにて。


 「お困りごとは大体何でも受け付けます!」


 なんて謳い文句で宣伝しているもんだから、そりゃあもう白から黒まで色とりどりな内容の案件が舞い込む。お陰様でそこそこ儲かっているので文句は言えないけども。しかし仮にも少人数で運営している弱小事務所がよくもそう仕事に尽きないものだ、と思われるかもしれない。

 

 おおよその要因は先ほどの文章、つまりホオジロにあった。


 先に断っておくが、俺は伝説の傭兵でもなければ必殺仕事人だとかの類でもない。もちろんこんな世界に7年も生きている上で最低限の防衛術というか、喧嘩とかいうことには慣れている。だけどそれだけ。もっと強い奴も弱い奴だってごまんといる。

 ただなんというか、適応力が高いと言えば聞こえはいいか。俺のモットーは現状維持・命大事に。自分が生き延びるためなら搦手や卑怯な真似にも躊躇いがないし、環境や人心や運も全て利用するだけ。そうして何かと荒事に巻き込まれるたび対処していたら、こんな【最恐見当違い】の称号をいただくことと相なったのだ。そのせいで毎度要らぬハードルが俺を待っているのだから、迷惑どころの騒ぎじゃない。


「人気者じゃないか、有難いばかりだねぇ」


「なァんか俺の比重ばっか増えてない?ここの職員て全部で5人いンだよな。ちゃんと」


「大丈夫だって、あの新人くんも頑張ってることだし」


 へらへらと適当に躱されたのが癪に障って、腹いせとばかりに全体重でのしかかる。それですら変わらず笑っているのだからコイツは無敵なのか。単純に俺が軽かったのか。

 軽口も程々に。

 アオタカは正面に向き直してカタカタとキーボードを弾き始める。依頼を了承する旨と、報酬の期限や支払い方、ついでに直接こちらに赴いてもらうことは可能かどうかの提案。というのも画面越しのやり取りのみで構わないのだが、こちらとしては面と向かって話してもらったほうが雰囲気を掴みやすい。こればっかりはいつの時代とてそういうものなのだ。


「それじゃあ相談者さんが来たら、始めようか」


「はーァ……めんどくせ。やるけどさ〜お仕事ですしィ。バックアップは任せましたよリーダー?」


「ああ、いつも通り任せといてくれ」


 その返事を聞いて、俺は切り替えるように伸びをする。わざわざ【最恐】という言葉に頼るようなことだ、明日からは多少忙しくなるかもしれないな。なんて他人事のように頭の片隅で独り言る。


 ――カタカタカタ、ッタタ


 ――チク、タク、チク、タク


 無機質ながら気味よく弾む音が、薄暗い部屋に木霊した。ブラインドの向こうの喧騒は収まる気配もない、夜が深まるばかりに。

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