第1話「日々」中編

 職場を住処とするのも案外悪くない、住めば都とはよく言ったもので。仕事とプライベートの境界は無くなるが、そもそも毎日働いてる訳では無いから問題ないし、何より通勤時間2秒。こんな幸せなことがあるか。


 ラフなパーカーとパンツに着替えるだけ着替え、完全に俺の私室と化した事務所の奥部屋をあとにする。今日は依頼人のお客様がお見えになる日ということで、さすがの俺もきっちり身なりを整えねばならない。紳士として。


 面倒なのは鏡のある洗面所に行くのにわざわざ、応対室としても使っている大部屋を通らなければいけないことだ。どうせいるのはアオタカくらいなものだし、他のメンバーも全員男だから気兼ねはないとは言えども。ワープホールでもあればいいのに。


 冷えたドアノブを捻ればたちまち空気が混ざる。乾いた風が入り込むのに合わせて、馴染んだ煙たさではなく芳ばしい香りが運ばれてきた。いつもは視界にも入らない棚の奥に常備している、来客用のインスタントコーヒー……


「あら、あちらの方も職員さんで……?」


 ――あ。


 繰り返すが、私室から鏡のある洗面所に行くのにわざわざ、としても使っている大部屋を通らなければいけない。


 バッ!と勢いよく視線をずらす。


 チク、タク、と小さく鳴き続けるそれの長針はとっくに頂点をまわっていた。

 パーティションの隙間から覗く40代くらいらしき女性は行儀良くソファに佇み、ただ少し不思議そうに俺を見つめている。


 ローテーブルに出されたホットコーヒーから、未だ薄ら白い湯気の立ち上っているのが辛うじて救いだった。


「…………すみません堀北様、彼は夜通し事務所におりましたので。ほら、耀佑君?早くその髪整えてきな」


 女性の対面に座り端末の調整をしていたアオタカは振り返って、苦笑いでそう促す。単純に身内外の人間がいるから言葉遣いを変えているのだろうが、態とらしい名前呼びに口角が引き攣る。


 ……社会人何年目だよ。


 反省やら羞恥やらで今すぐ部屋に戻りたい気分だったが、対して女性――今回の依頼者である堀北様は気にとめていない様子だった。


「まぁ、泊まり込みでお仕事だなんてご苦労さまです……若いからって無理しちゃダメよ」


 朗らかに笑い、伴って目尻のシワが目立つ。首元にある控えめなパールのアクセサリーが揺れている。余裕のある人だと思った、そう感じさせるのが年の功か金銭的なものか判断はつかないが。


 シンプルに驚いたのと動揺とで固まっていたが、あの伸びきった前髪から垣間見えるアオタカの眼光が殊の外恐ろしかったので、浅く会釈をしてそそくさと洗面所に向かった。




 ――数分経って。


「これはこれはお見苦しい姿を見せてしまい……申し訳ありません。はは……」


「いえいえお構いなく」


 かつて無いほど手早くヘアセットを済ませた気がする。


 改めて。アオタカの隣、客人の対角に座り、ようやく今回の話が進められる。思い切りスタートダッシュをしくじったのは一旦忘れることにしよう。


「それで【堀北 希空ノア】様、で間違いありませんね?今回は具体的にどういった件でお困りなのでしょうか」


「はい……2週間程前から連絡のつかない弟を、探していただきたくて」


 アオタカの主導で相談は進む。失踪した姉弟の捜索、という件は既にメッセージから把握出来ていたが、本題はここからだ。俺は議事録、そしてこの後自分で資料に使うためのメモをとる。言葉を交わすでもなくアオタカから受け取った端末を開いた。


「弟さんについて詳しく聞かせてもらえますか、現在のご年齢など」


「もう……38になります、名前は【堀北 来夢ライム】。来る夢、で来夢です。……こんなこと、あまり言いたくないのですが、あの」


 一呼吸置いて、平静を保とうとしているのが伺える。

 

 俺はあくまで、希空さんの話を遮らないように無心でキーボードを打つ。自分で言うのもなんだがかくも胡散臭い「便利屋」に駆け込むくらいだから当然何かしらあるのだろう。


「……いい歳になるのに、家に居着いて仕事もしない、そんな人です」


「あらまァ」


 うっかり茶化すような反応をしてしまった。完全に癖だ、良くない良くない。

 希空さんは少し驚いた様子で顔を上げたが、それもすぐに伏せられる。


「もうここ数年まともに会話もしていなくて、正直いつも何をしているのかも分かっていませんでした。でも家賃は私が払っていて、それ以外の生活費は私から工面していないので貯金を切り崩しているのだと思っていたのですが」


 ふむ、なんとなく察せられる語り口だ。


「どうやら色々なところからお金を借りていたみたいで、先週うちに直接請求書が大量に届き……」


「先週、ですか。音信不通になったのは2週間前と仰っていましたよね」


「はい。家族として、どうなのかとも思ったのですが、今更子供でもあるまいに探さなくていいかと放置していたんです。そうしたら今週になって突然、実家が売りに出されると……担保にされたんです。共有資産で、彼にも所有権があったから。お金を出しているのは私なのに!」


 やっぱり。そんなとこだろうとは思った。一文無しの人間が金を借りて、返す金がないから別のところから借りて……首は回らず余計に締め続けるという悪循環は、こう言っては何だがあるあるだもの。


 しかし、そうか、兄弟がいるとこんなことが起こり得るのか。そらどの家も大変なトラブルばかりなはずはないが、いかんせん独り身なもので想像したことがなかった。妙に感心したようないやむしろ落胆したような気分になって、フイと睨んでいたメモ画面から目を背けた。先ほどまで落ち着いていた希空さんは、気が付けばぎゅうと拳を握りしめている。


 沈黙。


 微かに聞こえているのは換気扇から来る風の声と、それに運ばれた外界の息吹。気持ちのいい晴天だというのにまるで生気を感じない無機質なモーター音に、誰かが垂れ流しているニュースらしき雑音。

 横目にリーダー様を伺えば、相変わらず読めない常温の瞳。だいぶ付き合いが長い自負はあれど、真にコイツを理解できたと思えた日はない。ただどんな時もブレない奴であるとは知っている。


 ……ある意味では、頼もしいばかりだ。


「ありがとうございます、堀北様。きっと今日まで気が気でなかったでしょう、安寧の地が突如奪われようとしたのですから」


「……はい。あの家を、父と母が遺してくれたものを、こんな形で失いたくなくて……だからお願いします。弟を見つけてください」


「分かっています。とはいえ弟様を見つけても、その後の問題を解決するまでは貴方にお任せする他ないのですが……ご依頼は必ず完遂いたしましょう」


「本当に、ありがとうございます……」


 希空さんは座ったまま、しかしそれで可能な限り深々と頭を下げる。

 先ほどアオタカが言った通り俺たちにできるのは対象の捜索・発見報告まで。借金の話にまでは首を突っ込めないのだ。だというのに救世主が現れたと言わんばかりに首を垂れるものだからむず痒いというか、少し申し訳なくすらなる。まあ多分ここに来る前、すでに公的機関に助けを求め却下されているのだろう。それを考えれば妥当、か、知らんが。


「ところで堀北様。最後に1つだけ宜しいでしょうか」


「はい?」


 不意に問うたアオタカの言葉に、彼女は一瞬目を丸くする。


「この度の依頼のメッセージに『【最恐】と謳われるホオジロ様の力を是非お借りしたく』――と、書かれていましたよね。一体どうして【最恐】が必要なのですか?」


 今度は俺が目を丸くする番だった。よりにもよって俺の目の前で聞くのか?彼女も答えにくいだろうし、普通に俺がやめて欲しいのだが。


 ――ん?待て、そういえば俺は寝起きでバタバタしていたからここに来て自己紹介をしていないし、希空さんは俺が【ホオジロ】だとは知らないのでは。


 俺が今更気づいて思案するのをよそに、希空さんは口を開く。


「……噂には聞いていたんです。警察や司法がサジを投げる案件でも、報酬を払えば必ず望みを叶えてくれる死神。他には当てがなかったし、おそらくですが弟はすでに借金とりに追われています。手を出すべきではないところのお金に手を出したんですから、捜索してもらう中でも危険が伴うかもしれない。それで……」


 なんか知らない二つ名が出てきた。死神?殺し屋だと思われてる?


 それは一旦傍に置いておくとして。どこに手を出したのか知らないが、確かに物騒な連中と鉢合わせる可能性があるなら一般人には難しいのか。いや俺だって一般人ですけど。我らが【アオシマ事務所】は堅気です。


「なるほど、そういうことですか。了解しました。それではすぐにでも調査に取り掛からせていただきます。ある程度進捗がまとまりましたら、その際また連絡いたします。本日はご足労いただきありがとうございました」


 す、と立ち上がり希空さんを出口まで案内するアオタカ。ようやく停滞していた空気が解放された心地だ。俺もあらかたメモ書きを終えて端末をシャットダウンする。


「それじゃあ俺はお客様を送ってくるから。先に仕事進めておいてくれる?頼んだよ【ホオジロ】!」



「…………おう」


「えっ」

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路地裏のアトランティス @sauther

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