第8話 暴かれた秘密


「動いた。動いた。動いた」


美咲は、壊れたレコードのようにその言葉を繰り返しながら、一歩、また一歩と詩織に近づいてくる。 関節が鳴る、ギ、ギ、という不快な音を立てながら。


「やめて……! こないで……!」


詩織は後ずさろうとするが、足が畳に縫い付けられたように動かない。 濡れた靴下が、畳にじっとりと張り付いている。


「どうして動いたの?」


美咲の顔が、詩織の目の前に迫る。 裂けたような笑顔は消え、今は、まるで能面のような無表情が張り付いている。 そして、その瞳の奥は、美咲ではない「何か」の、底知れない昏(くら)い知性で光っていた。


「動いちゃ、だめなのに。ルール、守らないと」 「私は、動いてない……!」


詩織は、ほとんど悲鳴に近い声で否定した。


「ううん。動いたよ」 "美咲"は、うっとりと目を細めた。 「お姉ちゃんの『心』が、動いた」


「……なにを、言って……」


「お姉ちゃん、覚えてる?」


その声は、もう美咲の声でも、テープの少女(カナ)の声でもなかった。 何十人もの声が不気味に重なり合ったような、低い、低い合唱。


「七年前。ママとパパが、いなくなった日」


詩織の心臓が、大きく跳ねた。 ダメだ。それを、聞きたくない。


「あの時、お姉ちゃん、警察署のベンチで泣いてる美咲の隣で、思ったよね」


"美咲"の冷たい指が、詩織の頬に触れる。 氷のような冷たさだった。


「(ああ、これで、美咲は私だけのものだ)」 「(これからは、私が、美咲の"ママ"になってあげるんだ)」


「————ッ!!!」


それは。 詩織がこの七年間、誰にも——自分自身にさえも——認めようとしなかった、心の最も暗い場所に封印してきた、罪悪感そのものだった。 両親を失った絶望の淵で、一瞬だけ芽生えてしまった、妹への歪んだ所有欲。


「ちがう!!!! やめて!!!!」


詩織は、全身の力を振り絞って絶叫し、目の前の"美咲"の肩を突き飛ばした。


ドンッ、という鈍い音。 "美咲"は、何の抵抗もなく後ろに倒れ込み、和室の畳に背中から叩きつけられた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


詩織は、自分の手を見つめる。 (突き飛ばした? 私が、美咲を?)


詩織はパニックのまま和室を飛び出し、リビングのソファに背中を打ち付けるまで後ずさった。 そして、和室の襖を乱暴に閉め、その場にへたり込む。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)


突き飛ばしたのに、何の反応もない。 和室の向こうは、シン、と静まり返っている。 物音ひとつしない。


(……もしかして、気絶してる? 正気に、戻った?)


詩織が、恐る恐る襖に耳を当てようとした、その時。


「……捕まえた」


襖の、すぐ向こう側から、楽しそうな囁き声が聞こえた。 さっきまで倒れていたはずなのに。いつの間に。


「ルール違反したから、捕まえたよ、お姉ちゃん」 「だからね」


カリ、カリ、と襖を内側から爪で引っ掻く音がする。


「今度は、お姉ちゃんが『歌う』番」


「あのテープみたいに、『家族の歌』を、私たちに聞かせて?」


ガチガチと歯の根が合わない。 恐怖で声も出せない詩織。


その瞬間。


バチンッ!!


大きな音を立てて、リビングの照明が消えた。 部屋が、夕闇に沈む。


そして、目の前。 電源など入っていないはずの、引っ越してきたばかりの古いテレビの画面が、


サーーーーーーーッ


という耳障りな砂嵐の音と共に、青白く、不気味に光り始めた。


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