第9話 観客
「な……んで……」
詩織は、ソファの背に体を押し付けたまま、青白く光る画面から目が離せなかった。
停電している。コンセントは抜けている。
それなのに、ブラウン管テレビは耳障りなノイズを撒き散らしながら、激しく明滅していた。
カリ……カリ……カリ……
背後の和室から、襖を引っ掻く音が止まない。 "美咲"が、あるいは"美咲"だった何かが、そこにいる。
まるで、詩織が次の行動を起こすのを、じっと待っているかのように。
「……やめて……」
詩織の懇願は、砂嵐のノイズにかき消される。
その時、砂嵐のノイズの奥に、チカチカと何かが映り込んでいることに、詩織は気づいた。 最初はただの光のシミのように見えたそれは、次第に、ぼんやりとした「形」を結んでいく。
(……映像?)
砂嵐が、少しずつ晴れていく。 そこに映し出されたのは、古い、色褪せたホームビデオの映像だった。
『わー! パパ、見て見て!カナ、こんなに高く積めたよ!』 『おお、すごいなカナは』
映像の中。 幼い少女が、積み木を自慢げにげに掲げている。隣で、父親らしき男が優しく頭を撫でている。 その後ろでは、母親がキッチンで料理をしている。
詩織は、その光景に見覚えがあった。 いや、知っていた。
「……ここ……」
映像に映っているのは、知らない家族。 だが、その場所は。 壁紙のシミ、キッチンカウンターの配置、窓の形。
間違いなく、今、詩織がいる、この「404号室」のリビングだった。
「あ……あ……」
いつの光景なのか。 テープに録音されていた「しあわせな時間」が、これなのか。
映像の中の少女が、不意にカメラの方を振り向いた。 目が、合った。
詩織は、自分が「見ている」のではなく、「見られている」のだと直感した。
『あ!』 カナが、カメラ(=詩織)に向かって指をさす。 『ママ! ママ! 新しいお友達が、見てるよ!』
キッチンにいた母親が、ゆっくりと振り向いた。 優しい、慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。 テープの冒頭で聞いた、あの穏やかな声の持ち主だ。
彼女は、濡れた手をエプロンで拭きながら、カメラ(=詩織)に向かって、一歩、また一歩と近づいてくる。
『あらあら、ほんと』 『いらっしゃい、お客さん』 『お茶でも、どう?』
母親(明音)の顔が、画面いっぱいにアップになる。
『私たち、"家族"になるの』 『あなたも、一緒になりましょう?』
そして、その慈愛に満ちた表情が、まるで仮面が割れるかのように、ゆっくりと歪んでいった。 目が、黒く塗りつぶされ。 口が、耳まで裂けていく。
昨日、美咲が浮かべていた、あの笑顔。
テレビのスピーカーからは、サーーーッというノイズが響くだけだ。 だが、映像の中の母親は、無音で、はっきりと口を動かした。
『オ・ネ・エ・チャ・ン・モ』 『イ・レ・テ・ア・ゲ・ル』
その瞬間。 背後の襖の向こうから、"美咲"の甲高い笑い声が響き渡った。
「ケタケタケタケタケタケタケタ!!!!」
テレビの中の母親と、襖の向こうの美咲が、完璧に呼応している。 詩織は、この部屋で、過去と現在の怪異に、完全に「捕獲」された。
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