第7話 ジャーナリストの視線

(ニューズ・フロント紙・社会部 / 午前)


白洲乙葉(しらす おとは)は、乾いた空気(嗅覚)が澱む記者クラブの一角で、昨夜の『法なき家族、命の壁』という自社のスクープ記事を睨みつけていた。

社会部。政治部ではない。

天羽麗奈(あもう れいな)からのリークは、意図的に「社会部」に回された。

イデオロギー(政治)ではなく、人命(社会)の問題として報じさせるため。


(……鮮やかすぎる)


白洲は、ICレコーダーの冷たい金属(触覚)を指先で弄びながら、思考を巡らせていた。

昨日の法務委員会での、桐谷冴(きりたに さえ)の完璧な「論理の建築」。

そして今朝、その論理の“穴”で起きた人命の危機を、天羽麗奈が即座に「政治的燃料」としてメディアに投下した。


二人の動きは、まるで精緻なリレー走だ。

(……偶然、か)

白洲は、法務委員会の録音データを開いた。

桐谷冴の、氷のように冷静な声が再生される。


『法は、“当事者性”ではなく“論理性”で動くべきです』


(……本当に?)

白洲のジャーナリストとしての直感が、その「完璧すぎる論理性」に、微かなノイズを感じ取っていた。

完璧すぎるものは、時に、何かを隠すための「鎧(よろい)」であることがある。


「白洲さん」

後輩が声をかけてきた。「次のネタ、追わないんですか? 例の病院の件、天羽議員が法務省に『通達』を出すよう圧力をかけた、って話が……」

「……ソースは?」

「政治部の、ウワサです。天羽議員が法務省の真壁ひかりって若手官僚と密会してる、って」


白洲の目が、鋭くなった。

真壁ひかり。

あの通達草案の「設計図」を描いたとされる官僚。

「……ガセよ」

白洲は、即答した。「天羽麗奈が、そんな分かりやすい“密会”をするはずがない。彼女は、もっと周到な政治家(プロ)よ」

だが、白洲の指は、すでに内線電話のボタンを押していた。

相手は、国会(議員会館)の天羽麗奈事務所。

「ニューズ・フロントの白洲です。天羽先生に、例の“通達”の件で、至急コメントを頂きたいのですが」


***


(議員会館・天羽麗奈 事務所 / 同日午後)


「——白洲さん。ご足労いただき、恐縮です」


天羽麗奈は、完璧な微笑みを浮かべ、会談室に白洲を招き入れた。

背後には、国会を望む大きな窓。「逆光」の位置。彼女が最も好む、公的なポジションだ。

「お忙しいところ、恐れ入ります、天羽先生」

白洲は、深く頭を下げた。だが、その目は笑っていない。


ICレコーダーの録音ボタンを押す、カチリ、という小さな音(聴覚)が、二人の間の空気を引き締めた。

「本日は、法務省が水面下で準備しているという『医療現場における家族の定義』に関する通達の件で、お話を伺いに参りました」

白洲は、ジャブを打った。

「まあ」

麗奈は、驚いたように目を丸くしてみせた。

「法務省が、そのような前向きな検討を? それは、素晴らしいニュースです。昨夜の東都大病院のような悲劇を繰り返さないためにも、立法府として強く後押しせねばなりませんね」

完璧な「他人事」としてのコメント。

白洲は、その“鎧”を崩すため、次のカードを切った。

「法務省の、真壁ひかりさん。若手ながら、非常に優秀な官僚だと伺っております」

麗奈の表情は、変わらない。

「先生は、真壁さんとは、以前から懇意に?」

「いいえ。法務委員会でお見かけする程度ですわ」

「そうですか」


白洲は、間を置いた。

「では、奇妙ですね。私の取材では、先生が真壁さんに対し、“通達”を出すよう、水面下で“圧力”をかけている……という情報があるのですが」

麗奈は、ゆっくりと瞬きをした。

「……圧力、ですか。心外ですわ、白洲さん」

麗奈は、カップの紅茶に口をつけた。

「私は、政治家として、法務委員会という“公”の場で、一貫して『法の不備』を指摘してまいりました。法務省(行政)が、その指摘(立法)と、昨夜の“事案(社会)”を受け、自発的に所掌事務(バグ修正)を始めたのだとしたら、それは“圧力”ではなく“健全な三権分立の機能”と呼ぶべきでは?」

「……では、先生は、この通達の動きに、一切関知していない、と?」

「“公”の場以外では」

麗奈は、断言した。


白洲は、ICレコーダーを見つめた。

(……なかなか崩せない。この女、鉄壁だ)

だが、白洲は、ここで引き下がるジャーナリストではなかった。

「……先生」

白洲は、あえて話題を大きく転換した。

「先日、法務委員会で証言された、桐谷冴弁護士。素晴らしい弁論でした」

麗奈の眉が、初めて、ほんのわずかに動いた。

が、それは一瞬だった。

「ええ。私も、深く感銘を受けました。日本の法曹界も、捨てたものではありませんね」

「先生は、桐谷弁護士とは、以前からお知り合いでしたか?」

「……いいえ。あのような優秀な方がいらっしゃるとは、存じ上げませんでした」


嘘だ。

白洲は、心の中で断定した。

昨日、過去のデータベースを検索し、一つの「事実」を発見していたのだ。

「それも、奇妙ですね」

白洲は、手元の資料を一枚、テーブルに滑らせた。

コピーされた、古いシンポジウムの告知記事。

『憲法改正と、これからの“家族”の形』

パネリストの名前——天羽麗奈(政治学者・当時)、そして、桐谷冴(新人弁護士)。

10年前の記事だった。

「……まあ」

麗奈は、その記事を一瞥し、懐かしそうに目を細めた。

「……こんな事もございましたわね。すっかり忘れておりました。白洲さんは、本当によく調べていらっしゃる」


動揺がない。

あまりにも、完璧に。

「このシンポジウムで、先生は『伝統的家族観の“更新”』を、桐谷弁護士は『憲法14条による“平等”』を主張されています」

白洲は、麗奈の目を真っ直ぐに見据えた。

「10年前から、お二人の“論理”は、奇跡のように“共鳴”していらっしゃった」

沈黙。

麗奈は、微笑みを崩さない。

だが、その目の奥の「光」が、温度を失っていくのが分かった。


「……白洲さん」

麗奈の声が、わずかに低くなった。

「あなたは何が仰りたいのでしょう? 私が10年前に、優秀な弁護士と議論を交わしたことが、今回の“通達”と、何か関係があるとでも?」

確認的な語尾。だが、それは「誘導」ではなく、明確な「牽制」だった。

「いいえ。滅相もございません」

白洲は、ここで引くことを選んだ。これ以上の追求は、証拠がない限り「憶測」の領域だ。

「ただ、一点だけ、確認させてください」

「何でしょう」

「今回の“通達”の動き。これは、天羽先生にとって、“個人的”な関心事なのでしょうか。それとも、あくまで“公的”な職務なのでしょうか」


麗奈は、ふ、と息を漏らした。

そして、窓の外の国会議事堂に視線を移した。

「……白洲さん。私は、政治家です」

彼女は、ゆっくりと答えた。

「私の“個人的”な関心事は、次の選挙で、一票でも多く票をいただくこと。それだけです」

「……」

「ですが、“公的”な職務として、昨夜のように“法がない”ために命の危機に瀕する国民がいるのなら、それを救うのは、党派を超えた政治家(わたし)の責務です。これは、“公的”な人権問題ですわ」


だった。

白洲は、ICレコーダーの停止ボタンを押した。

「……ありがとうございました。よく分かりました」


***


(ニューズ・フロント紙・記者クラブ / 同日夕刻)


白洲は、重い足取りで記者クラブに戻ってきた。

(……負けた)

インタビューは、完敗だった。天羽麗奈の“鎧”から、一片の「本音」も引き出せなかった。

だが、白洲の疑念は、確信に変わっていた。


「白洲さん、どうでした? やっぱ、天羽と真壁はクロでした?」

後輩が、興味本位で聞いてくる。

「……さあね。コメントは取れた。完璧な“シロ”のコメントが」

白洲は、自分のデスクにどかりと座った。

「……それより、あの人……」

「?」

「天羽議員、何か隠してる。……熱すぎる」

「熱い……ですか? むしろ、氷みたいに冷静な人じゃないですか」

「だからよ」

白洲は、ICレコーダーを机に叩きつけた。

「政治家は、あんなに“完璧”に冷静にはなれない。特に、あれだけ鮮やかに“燃料(リーク)”を投下した後ではね。あの完璧な“冷静さ”は、何か、もっと“熱い”ものを隠すための……演技だ」


白洲は、PCを開き、新しい調査フォルダを作成した。

彼女は、天羽麗奈の公用車の入退記録、議員会館の訪問者リスト、そして、桐谷冴のNPOの活動記録、過去の担当事件リスト……。

二人の「公的」な接点を、泥臭く洗い直し始めた。

(……二人の“論理”が共鳴している?)

(……いや、違う)

(……二人が、“同じ場所”にいるとしたら?)

白洲は、調査会社(興信所)を使っている同僚のデスクに向かった。

「……ちょっと、頼みがあるんだけど。調べたい物件がある」


彼女が調査依頼のメモに書いたのは、あの、天羽麗奈が住んでいるはずの、都内のタワーマンションの住所だった。

「……このマンションの、防犯カメラの映像記録。特に、深夜の出入り。……洗える?」


***


(某所・調査会社 / 数日後)

白洲のデスクに、一本のデータファイルが届いた。

暗い、駐車場の防犯カメラの映像だった。

日付は、地裁判決のあった、あの夜。

午前1時過ぎ。天羽麗奈の公用車が、地下駐車場に滑り込む。


(……ここまでは、既知(スミ)だ)


麗奈が降り、エントランスに向かう。

白洲は、映像を早送りした。

……午前2時半。

一台のタクシーが、同じエントランスに停まった。

降りてきたのは、黒いパンツスーツの女。

法務委員会で見た、あの怜悧な横顔。


(!……桐谷、冴……)


映像の中の桐谷冴は、疲れたように周囲を見回し、麗奈と同じエントランスのセキュリティドアを、慣れた手つきで(・・・・・)開けて、中へと消えていった。

白洲は、息を詰めた。


(……同じ、マンション……)

(……偶然、か? 高層マンションだ。住人が被ることは……)


彼女は、別の日の映像データを開いた。

参考人招致の、前日の夜。

麗奈が帰宅する。

その30分後、桐谷冴が帰宅する。

次の日。

参考人招致の、当日。

朝7時。桐谷冴が、出ていく。

朝8時。天羽麗奈が、出ていく。


(……別々の時間に、同じ場所から……)


そして、決定的だったのは、病院の騒ぎがあった、昨夜の映像だった。

午前3時過ぎ。麗奈の乗ったタクシーが到着する。

その数分後。冴の乗ったタクシーが、まるで追いかけるように到着する。

二人は、別々に、しかし、同じ「家」へと、吸い込まれていった。


白洲は、再生を止めた。

ICレコーダーが、手の中で汗ばんでいた(触覚)。

(……共鳴、じゃない)

(……まさか、同棲……?)

(……弁護士(司法)と、政治家(立法)が……?)


これは、単なる「スキャンダル」ではない。

もし、二人が、この「婚姻平等法案」という最大の利害関係において、私的な関係にあるとしたら。


それは、「利益相反(コンフリクト)」だ。

白洲は、自分が、とてつもない「天秤」の、その中心を掴んでしまったことを自覚した。

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