26.




「ノアール」


 名前を呼べばノアールは振り返り、自分のことをその目に入れると小さく「あ」と声を上げた。


「いつものマイちゃんだっ!」


 嬉しそうな声を上げてそんなことを言ったノアールに、マイは思わず苦笑する。本当に変に思われていたのだな、と改めて思うと申し訳ない気持ちにもなった。


「悪かったな……ずっと、態度が変で」

「あっ、いや、全然っ! むしろオレ、マイちゃんに何かしちゃったかな~って……」

「お前は何もしてないよ。問題があったのはわたしの方だから」

「マイちゃんの方……?」

「ああ。でも、もう大丈夫だから。暫く悪かったな」


 言えばノアールは目を丸くさせてから、「ん〜……」と唸り声を上げて首を傾げた。


「なんか……それって、オレ聞かない方がいい感じ?」


 ぽつりと言われたのはそんな言葉であり、マイは内心「本当にこいつはすぐに察してくれるんだな」と思いつつ、苦笑を漏らす。


「……悪いな」

「ううん、いーよ。気になるけど……マイちゃんが前みたいにちゃんとオレと目を合わせてくれるんなら、いいやっ」

「……お前は本当にお人好しだな」

「マイちゃんには負けるよ~」


 そうして笑うノアールを見て、全部を黙ったままでいることはさすがに気が引け、マイは「あのな、」と小さく息を吐いた。


「わたし……、悔しかったんだ」

「え? 悔しい……?」

「ああ。あの時……わたしは、怪我をしていることを隠し通す自信があった。それなのにお前はあっさり気付いたろう……それがわたしは、悔しかったんだ」

「……え、じゃあマイちゃんってあの時悔しくて泣いたの?」


 怪訝な表情で首を傾げながら言われたそれに、マイはぐっと息を飲み込んで口を尖らせる。


「ま、まあ、そう、だな」

「え~~っ!? なあ〜んだも~~オレ結構気にしてたよ〜! マイちゃんの嫌がること何かしちゃったのかなあ~って! それで泣いてたの〜? も~早く言ってよ~~~~」

「え」

「そんなんだったらオレこれからもちゃんと指摘するからねっ! 今日だってマイちゃん寝不足でしょ! ちゃんと寝なかったの!?」

「な、何で分かったんだ……!?」


 予想外だったノアールの反応に、思わずマイが以前と同じ問いかけをしてしまえば、ノアールは可笑しそうにマイに笑いかけた。


「分かるよ――マイちゃんのことだもんっ」


 屈託のない笑みで言われた言葉以上の他意はないのだろうそれに、マイは目を見開いてから馬鹿馬鹿しくなり、ふと笑って息を吐く。


「まあそうだな、お前だもんな……」

「えっ?」

「ノアール」

「うん」

「わたしは今日確かに寝不足だから、まあ……無理はしないよ」


 やれやれと呆れたように言われたマイの言葉に、ノアールはまた笑って「おっけ〜」という緩い返事が返ってきたのだった。



 談笑しながら前を歩くノアールとマイの様子を見て、少し離れた位置に着いて歩いていたアルガは「あらっ」と声を漏らした。


「マイちゃん、元に戻ったわねえ。ロクちゃん何かしたの?」


 そう問いかけたロクは、何故か不機嫌を顔の前面に出していて、つまらなさそうに口を尖らせているのに首を傾げる。


「どうしたのロクちゃん、思い通りにならなかったーっていう顔してるけど」


 問いかければ、ロクはギッと睨むようにアルガに目を向けて頬を膨らませた。


「だってマイちゃんがっ!」

「ええ、マイちゃん。自覚させたんじゃないの? ノアールのことが好きだって」

「させた! させたのに、ノアールに告白しないって!」


 そう言って、ぎゅっと眉を八の字にさせたロクを見て、アルガは考えるよう自分の頬に手を当てる。そして、前を歩く二人の様子を見つめた。


「あたし、マイちゃんのこと大好きなの。ノアールのことも大好き……だから、大好きな二人がくっついてくれたらいいなあって、」

「まあ……そう思うのはロクの自由だけれど、それを強要するのは別の話よ。外野が口を出すことではないでしょう、それは二人の気持ちの問題なんだから」

「それはそうだけどぉ……」

「いいじゃない、ほら。今は笑ってるんだから」


 言って、アルガが指さしたのは前を歩くノアールとマイであり、ロクが顔を上げてそちらに目を向ければ、アルガの言うように二人の笑っている姿が目に映る。ここ最近、ずっと表情が強張っていたマイだけれど、穏やかに笑う姿を見て「よかった」と思うその裏で、ロクの頭に過るのは昨夜マイが言っていたことだった。



 ――「わたしはもうそういうのはいいんだよ!!」――



 あの時、悲痛に叫ばれたそれは言った直後のマイの表情から、マイ自身どこから出てきた言葉なのか分かっていないのだろうとロクには分かった。


(――でもあたしは……どうしてマイちゃんがそんなことを言ったのか、知ってる)


 マイが失ってしまっている記憶、即ちマイの過去――ロクは、それを自身の護衛騎士であるベンから細かに知らされていた。そして、それはパーティメンバーの誰にも伝える必要はないと、マイ自身にも伝えてはならないと、そう決めた。

 パーティ内で唯一それを知ったロクは、ベンから調査結果として細かにそれらを聞き終えたとき、真っ先に思ったことがあったのだ。


 ――ああ、だからマイちゃんは記憶を失ったのか、と。


 調査結果は当然マイのそれまでの動向のみであり、それに伴った彼女の心の内までは分かるはずもないけれど、すぐにそう思った。それを聞くまでに、自分の目で見てきたマイのことからそう思わざる負えなかった。


 遠慮しがちで、前に出ようとしなくて、そのくせ仲間が危ないと分かれば自分のことなど顧みずに危険の前に飛び出してしまうような人。馬鹿みたいに優しくて、お人好しで、この間だって自分が怪我をしていたというのに、あたしが「行きたい」と言ったからそれを隠して、躊躇いなく頷いた。


 優しいのは、きっと彼女の本質で――だから彼女は、「マイ」になる前の記憶を全部失くしたのだろう。

 そうしないと、彼女の心が壊れてしまっていただろうから。あるいは、壊れてしまったから、それを全て忘れてしまった。


「……マイちゃんって、優しいよね」


 ぽつりと言われたロクのそれに、アルガは首を傾げながらもひとまず「ええ、そうね」と答えた。


「マイちゃんってさ、自分が損するタイプの優しい人だよね」

「……ええ、そうね」

「だからあたし、マイちゃんが大好きになったし……そんなマイちゃんだから、笑ってて欲しいって思うの」

「……ええ」

「マイちゃんは――……っ、」


 言葉を飲み込んで、ロクは俯いた。

 言おうとした言葉は、「もう幸せになってもいい」という言葉であり、それはマイの過去をみんなに言わないと決めた以上、口にできる言葉ではなく、ロクはぐっと拳を握る。それに、それこそこれは自分勝手な思いだ。


 そんな様子のロクを横目で見てから、前を歩く二人にまた目をやり、アルガはロクの頭をぽんっと軽く撫でた。そうされたことに、ロクが目を見開いてアルガを見上げれば、アルガから優しくにこりと笑いかけられる。


「ねえ、ロクのそれは――……いつか聞けることなのかしら?」

「……分かんない」

「そう。じゃあとりあえず私の意見を言っておくけれど……私も、笑ってて欲しいと思うわ」

「……うん」

「マイちゃんだけじゃなくて、ロクちゃんも」

「えっ……」

「仲間なんだから、好きな時に頼りなさい。私はきっと、味方になってあげるから」


 そうして不敵に笑ったアルガに、ロクは少しだけ泣きそうになってから、困ったような笑みを浮かべた。


「……アルガちゃん、かあっこいいねえ」

「あら、どんどん褒めなさい。褒められるのは大好きよ」

「頼りになるみんなのお母さんみたいっ」

「こんな大きな子産んだ覚えはないけど」

「アルガママっ!」

「はいはい」


 抱き着いてきたロクに、やれやれと呆れた息をアルガは吐いた。

 そんなアルガを見上げてロクは、抱き着いた手にぎゅっと力を込めてから、小さく「ありがとう」と言ったのだった。

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