27.





「え……? 別の村に、ですか?」


 唐突に持ち掛けられた話に、マイは大きく目を見開いた。

 この日、自分を呼び出したのはエルレ村の村長であり、呼び出された食事処に向かえば呼び出した張本人である村長と、その傍らにナビーも居たのである。勧められるままに席に着いて、村長から切り出されたのは「活動拠点を変えてみないか」ということだった。


「ええ。マイさんがこの村に来てからもう三年かしら……マイさんは本当にこの村付きハンターとして尽力してくれたわあ。お陰で随分と村の周りが平和になったもの」

「え、あ、わたしだけの力ではありませんが……」

「ええ、ええ。でも、マイさんは本当にたくさんおばあちゃんのお願いも聞いてくれたじゃない。だからね、おばあちゃん何かマイさんの力になれたらなあって思ってねえ」

「………………」

「マイさんは自分の記憶を取り戻すためにも、ハンターという職業を選んでくれたでしょう? でもマイさんの記憶は――……」

「戻って、いません……」

「ええ。だからね、別のところに行ってみたらどうかと思ってねえ。きっと、もうここではマイさんの記憶を取り戻すきっかけは無いでしょうから……」


 静かに言われたそれにマイは少しだけ俯いて、表情を変えないように考えた。

 村長の言う通り、自分の記憶を取り戻すためにハンターを始めた自分。そんな自分にいつの間にか仲間ができて、記憶がないままでいる自分が駄目に思えて、更に強く記憶を取り戻そうと思っていた。


 そう――、思っていた。


 考えたマイの中に浮かんだのは、あの双剣を初めて握った時に感じた恐怖。この恐怖は、ずっとマイの中から消えることはなかった。いつだってそこに居て、自分に語り掛けて来ているのを、マイはずうっと無視していただけなのだ。

 「忘れるな」と、そう聞こえてきているのを、マイはずっと気付きながらも無視をし続けていた。


「もちろんね、マイさんが記憶のことをもういいって言うなら、それはそれでおばあちゃんはいいのよ? マイさんのこと、送り出すのは寂しいからねえ」

「……はい」

「ただ、マイさんがずうっと自分自身何者なのか分からないのも、マイさんにとってよくないことなのかもって思うからねえ……」


 言葉を選びながら自分の顔色を窺ってそう言ってくれる村長に、マイは少しだけ笑みを浮かべる。


 この村に拾ってもらってから、「マイ」という名前の自分はとても恵まれていて、ずうっと穏やかだった。

 何一つ自分のことが分からないというのに、不審がることもなく、村の誰もが優しく接してくれて、出会う人も皆良い人だった。


 離れがたいと思う。

 けれど、自分が何者なのかを知りたいと、知らなければならないとも思っている。


(わたしは……もしかしたら、この人たちの優しさを裏切っているような人物なのかもしれないんだ)


 その真偽を確かめることが怖くて、本当にずうっと無視をしてきていた。

 でも、もうこんなに優しい人たちのことを、裏切っていたくはないと、そう思うから。


「わたし……行ってみようと思います、その村に」


 ちゃんと、「自分」のことを探してみよう。


「……本当に?」

「はい。その村に行ったところで記憶が戻るかはわかりませんが、行ってみるのも悪くないかと思うんです。せっかく村長が提案してくださったことですから……行ってみようと思います」


 マイのそんな答えに、村長は「そうっ」と嬉しそうに笑ったあと、すぐに寂しそうな表情に移り変わり、「そうね……」と笑みを浮かべた。


「おばあちゃんが提案したことだけど……寂しくなるわねえ」

「え、あ、」

「うん、でもきっとマイさんにとってその方がいいと思うわあ。今まで本当にありがとうねえ」

「……はい」

「いつでも好きな時に帰ってきてくれていいからねえ、マイさん」

「はいっ」


 話がまとまれば、それまでずっと沈黙を貫いていたナビーが「にゃふんっ」と咳払いをし、マイに目を向ける。


「では、話もまとまったところで先は私が話そう。元々この話を持ってきたのは私であるからにゃ」

「え? そうなんですか?」

「うむ。先日、私の元に知人から手紙が届いたにゃ。その知人とはここから西に行った先にある村――アマリ村の村長だにゃ」

「ええ、ええ。おばあちゃんのお友達でもあるわあ。その方は」

「はい……」

「届いた手紙の内容は――、現在そのアマリ村の周辺でいくつかのモンスターが原因不明に大量発生をしているという状況であり、それだけならまだしも、中には凶暴化しているものも見受けられる、という話だにゃ」

「それでねえ、アマリの村長ちゃんから相談を受けたのよお。半年間は村に駐在できる上位級以上のハンターを誰か紹介できないかってねえ」

「それがわたし、ですか……」

「うむ。アマリ村はここ、辺境地であるエルレ村に比べて四方多くの道に繋がっており、随分と大きな村だにゃ。観光地でもあるしにゃ。その分ここよりもかなり大きなギルドを構え、ハンターもたくさん居るが……常駐で確実に信頼のできるハンターというのは少ないらしい。そのため、そんなハンターが一人でも欲しい、ということだったにゃ」

「わたしもナビーちゃんもねえ、この話を聞いてマイさんしか思い浮かばなくてねえ」

「うむ。君ならば求められている実力は申し分ないであろうしにゃ」

「あ、ありがとうございます」


 お礼を言えば、ナビーは懐から筒になっている紙を取り出し、それをマイに向かって差し出してきた。


「これは紹介状だにゃ。アマリ村の村長に渡せばすぐに話が通るだろう」

「……分かりました」

「彼女はすぐにでも来てほしいと、それくらい切迫している状況らしいにゃ。できれば、準備でき次第すぐに向かって欲しいにゃ」

「お願いねえ、マイさん。ああ、でも向かう前に一度おばあちゃんにお顔を見せてねえ」


 ナビーから差し出されていたそれを受け取り、マイは「はい」と頷いた。



「――というわけで、わたしはここを離れようと思う」


 その日の夜、パーティメンバーであるアルガ、ロク、ノアールの全員を家に呼び集め、料理が得意となったラピスの作る夕食を食べながら、マイは事の経緯を伝えた。ちなみにラピスには事前に話してあり、ラピスは自分が何か言うよりも先に「新しい土地、楽しみですにゃあ!」と言ってくれて、少なくとも一人で向かうことにはならなさそうだと、ほっとした。

 ここエルレ村から、アマリ村へと拠点を変えるというマイの話を聞き、最初に口を開いたのはアルガだった。


「アマリ村っていうと……温泉地ね」

「あたしも知ってるー! ハンターなら一日一回無料で温泉たまご作れるとこあるよねっ!」

「ハンターなら無料で入れる男女共用の温泉もあるわよ」

「あれっ? そこって西の観光地? めっちゃでかい派手なギルドの建物あるとこ?」

「そうよ」

「あ~! やっぱり!? オレあそこ観測で気球の上からしか見たことなくて、ずっと行ってみたかったんだよね~」

「ふうん、じゃあ丁度よかったじゃない」

「うん! けっこー場所変わって新しい土地だし、やっぱ生息してるモンスターも違うよね! どんなのがいるんだろ~楽しみだな~っ」

「あそこ料理も美味しいっていうしね~ここより温暖で過ごしやすい気候だし! あたしも楽しみ~」

「えっ、みんな、ちょっとっ」


 どんどんと勝手に進んで行く話の中で、マイが戸惑った声を上げれば三人から「えっ?」と怪訝な目を向けられたが、マイはそのまま思っていたことを口にした。


「みんな……わたしについてくるつもりなのか?」


 そんな言葉を口にすれば、アルガ、ロク、ノアールは三人で目を合わせてマイに向かって盛大にため息を吐いて見せる。


「出たよ、マイちゃんの悪い癖……」

「ねえ~……マイちゃんオレらのこと要らないみたい」

「ほんっと仲間甲斐がないわよねえ、マイちゃんって」

「分かるにゃあ。だんにゃさま、多分ラピスのことも置いてこうとしてたにゃ」

「あら、それは酷いわね」


 料理を運んできたラピスまでもが話にそう参加してきたことに、マイは分かりやすくオロオロとし、「え、いや、違うっ」と首を横に振ればアルガから「何が違うの?」と言われ、ぐっと息を飲みこんだ。


「わたしはただ……自分勝手に行くことを決めたんだから、拠点を変えるなんて大ごとだし、わたしの勝手にみんなを付き合わせるわけにはいかないと――……」


 俯いて言われたそれに「えーっと……」とノアールは苦笑をして、眉を下げてマイに笑いかける。


「拠点変えるって言われても~……オレそもそも拠点固定したことないよ?」

「えっ?」

「今たまたまここで長く過ごしてるだけで、別にここに骨を埋めようとか思ったことないし……アルガちゃんたちとパーティ組む前はオレもっと南の村に居たし」

「あたしもそうだよ〜。場所のこだわりは別にないもん」

「私も。場所なんてどこでもいいのよ、楽しかったらね」

「え……」

「で、私が楽しいって思うのにマイちゃんは必要だから――ま、マイちゃんについて行くんじゃなくて、私は私が行きたいから行くんだけど?」

「あたしもー! 楽しそうだから行きたーいっ!」

「オレも〜。そろそろどっか別の土地行きたいな~って思ってたとこだし! 初めての土地ってわくわくするよね~」


 そうしてまた、新しく向かうことになるアマリ村について話に花を咲かせる面々に、マイは目を丸くして、力なくふっと笑った。

 マイはラピスの言う通り、この話をきっかけに自分だけこのパーティを抜けることになることを覚悟していた。元々たまたま出会って組んだパーティなのだから、そうなっても仕方がないと思っていたけれど、彼らとこの一年は特にずっと一緒に居たことを思い返す。


 一人でいる時間の方が少なくて、でも一人になりたいとはあまり思わなくて、彼らと過ごす時間はずうっと居心地が良かった。

 ふと、ラピスが運んできた料理を摘まみながら楽しそうに話し合うみんなを改めて見て、マイは「家族って、こんな感じなのかな」とそんなことを思う。


「だんにゃさま、この機会だから言っておくにゃ」

「えっ?」

「ラピスは、ラピスである限りだんにゃさまとずーっと一緒にゃ。ラピスを拾ってくれたのはだんにゃさまだにゃ。だから、だんにゃさまがラピスのことを捨てるまで、ラピスはだんにゃさまに着いてくにゃ!」

「っ! わたしがお前のことを捨てるなんて、そんなこと……」

「にゃら、ラピスはだんにゃさまとずーっと一緒にゃっ!」


 満面の笑みで自分に近寄って来たラピスに、マイは小さく「ごめんな」と手を伸ばしてラピスの頭を撫でる中、それを見てノアールは機嫌よく「いいね、それ」と笑った。


「ラピスちゃんの言う通り、オレらも一緒だよ!」

「な、何がだ?」

「マイちゃんの方からパーティ抜けたいって言わない限り、ずっと一緒ってこと!」

「ノアールずるいっ! あたしもそうだからねっ!!」

「まあ、私もそうねえ。こうも気の合うメンバーはそうそう集まるもんじゃないでしょうし」


 それぞれから言われたそれに、マイはまた目を丸くして、ふっと肩の力を抜く。

 この話を切り出すことを、少しだけ怖いと感じていたのを、バカみたいだなと思った。


「ふふっ、じゃあお前たちはみんなわたしに着いて来てくれるんだな……」

「だから、着いて行くんじゃなくてオレが行きたいからオレも行くの!」

「あたしも!」

「分かった分かった。うん、でも、嬉しいよ。ありがとう」

「――ところで、いつ行くつもりなのかしら?」

「えっ? 明後日にはこの村を出ようかと思ってるが……」


 アルガの問いかけにさらりとマイが答えれば、それを聞いたロクとノアールは大げさに「えっ!?」と二人して声を上げた。


「えっ、何だ?」

「明後日!? さすがに早すぎない!?」

「いや、だが先方が早めにと言っているらしく……」

「そうは言っても引っ越しの準備とかないの!? マイちゃんもここに三年は住んでるんだから引っ越すのもっとかかるでしょ!?」

「いや、何ならわたしは明日にでも旅立てるが……ハンターの装備はわたしは一張羅で、以前使っていたものは全部売っているし、使っている武器は大体六種類ぐらいだろ? 私服にしたって私は二、三着しか持ってないし、家具はここの備え付けだったもの以外ないし、私物も別にほとんど置いてないし……なあ、ラピス」

「……にゃ。だんにゃさまの荷物は武器以外にゃら、そこのリュックに全部入るくらいしかにゃいにゃ」

「そーいえば、マイちゃん家って物増えないね……マイちゃん物欲なさすぎ~……」

「オレ無理だよ……五日、いやせめて三日はくれないと……」

「あたしも~……」


 二人の発言に「そういうもんなんだなあ」とマイが思っていると、アルガは一口飲み物を嚥下して「ちなみに」と言った。


「私はそれだと十日くらい遅れて行くことになるから、別で行くわね。ま、後から合流するわ」

「そうなのか?」

「ええ。ちょっとナビーさんに頼まれごとされてて。高難易度のクエストを」

「あ~あたしたちがまだ行けないやつだ」

「あんたたちもアマリでちょっと経験積めば高難易度のライセンスもうそろそろ取れると思うわよ。そうなったらお手伝いよろしくね?」

「うえ~……絶対しんどいよね、そのクエスト……」

「そうでもないわよ」

「このそうでもないわよ、は信じちゃいけないやつだ。んーと、じゃあアルガちゃんはそれから帰ってきた後にー、準備して、ここから向かうってこと?」

「そうなるわね」

「あ、ならあたしはアルガちゃんと一緒に行こっかな……あたしどー頑張っても三日じゃ準備終わらないだろーし……」

「いいんじゃない? じゃ、ノアールはマイちゃんに荷造り手伝ってもらって、二人で先にアマリに向かったらどうかしら」


 アルガに提案されたそれに対し、マイは「え」と動きを止めて、ノアールは「えっ」と嬉しそうな声を上げる。


「マイちゃん手伝ってくれるの!?」

「えっ、いや、それは」

「いいじゃない、マイちゃんは特別荷造りする必要ないんでしょう? 早く来てほしいって言われてても、貴女一人で行かせるのはかな〜り不安だもの。ねえ、マイちゃん?」

「うっ、」

「ロクの片づけは私の予想だと五日以上かかるだろうし、そうなるとまあノアールと先に行くのがベストだと思うから……うん、やっぱりそうしましょう。マイちゃんはノアールの荷造り手伝ってあげて、ちゃんと二人で向かうことね」


 荷造りを手伝ってもらえると聞いたノアールが「わーいっ」と喜びの声を上げる中、マイは不服そうに眉を寄せて何も言わなかったため、アルガはマイに対してにこりと笑いかけた。


「マイちゃん、返事」


 一言静かにそう言われ、マイは抗議しようと口を開けたがにこにこと笑みを浮かべるアルガの圧に負け、小さく「……分かった」と頷いたのだった。

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