25.




「じゃあ今日の火の番は私とノアールだから、ロクとマイちゃんはほどほどで寝るのよ」

「ああ」

「は~い」


 返事をすれば、アルガとノアールは建てたテントから少し離れた位置に設置した焚き火に向かって行き、それに伴いロクとマイはテントの中へと入った。


「マイちゃんもう寝る?」

「いや、武器の手入れをしてからだな」

「おっけ〜。あたし見ててもいい?」

「ん? ああ、別に構わないが」


 言って、マイは今自分のメイン武器としている弓を取り出し、持ち手の皮の具合を確かめたり、弦が切れないかの確認をする。そんな様子を傍らでじっと見つめてくるロクに、「見てて楽しいものなのかな」と思った時だった。


「ねえ、マイちゃん」

「うん?」

「マイちゃん、ノアールのこと好きなの?」

「……………………は?」


 ロクの口から飛び出してきた言葉は、あまりにも突拍子もない言葉であったため、マイは暫く何の声も出せなかった。漸く出すことの出来た疑問の言葉に対して、ロクを見てみればロクはただ、不思議そうに首を傾げている。マイからしたら、首を傾げたいのはこちらの方だった。


「ノアールのことは…………好きだが……」

「そ〜いうんじゃない〜っ! ライクじゃなくて、ラブの方でっ!」

「ら、らぶ……?」


 何故、いきなりこんな話になったのか全くついて行けず、マイが若干混乱していれば、ロクはにこっとマイに対して笑いかけてくる。


「別にいいんだよ? マイちゃんがノアールのことそういう風に思ったって。あたしたちパーティ内で恋愛禁止とかされてないし~」

「い、いや、そういう風とか言われても……わたしは別に、」

「じゃあ、何で最近マイちゃんノアールのこと避けてたの?」

「っ! き、気付いてたのか……」

「そりゃあねえ。ちなみにあたしだけじゃないから〜。みんな気付いてたよ?」

「ノ、ノアールも、か?」

「ノアールも。ノアールに至ってはあたしたちに相談してきたよ〜。マイちゃんに避けられてるっぽいけど何で~って」


 ロクの答えに、マイが純粋に「それは悪いことをしたな……」と思っていれば、ロクはふと息を吐いてから「それで?」と小首を傾げて見せた。


「ノアールのこと、好きなの?」


 改めて聞かれたそれを、マイは静かに考えて「ううん……」と唸り声を上げる。


「人として好きだとは思うが……それが恋愛感情かどうかは分からない……」

「え~~~~? あっ、じゃああたしとノアールがイチャイチャしてたらどう思う~?」

「え? いや……別にどうも思わないが……」

「え~?」

「だって、ロクもノアールも……お互いそんな気ないだろう……?」

「マイちゃん、そういうのは分かるんだ……」

「えっ?」


 マイの言葉に「他人の機微は分かるのに、自分のことは分からないのか」とロクが思う中で、そもそものことにはっと気付いた。


「――そっか! マイちゃん、まだ“マイちゃん”になってから日が浅いもんね!」

「うん?」

「そうなるとあたしのがお姉ちゃんだねっ! うんうんっ、じゃああたしが恋について教えてあげようっ」


 そんなロクの発言に「変なことが始まってしまったなあ」とマイが思っていれば、ロクは「ふふっ」と楽しそうに笑う。


「マイちゃんはきっと、まだ恋したことないよねえ」

「まあ……そもそも色々なことに必死だったからな、記憶がないわけだし」

「でもね、あたしマイちゃんのノアールに対してのそれは、きっと恋だと思うよ」

「……何でだ?」

「だってマイちゃんは、ノアールがあたしたちじゃないマイちゃんの知らない女の人と一緒に居たとしたら、嫌だって思うでしょう?」


 言われて、マイは目を見開いた。そうして想像をしてみた。自分の知らない女の人と一緒に居るノアールのことを。

 今のところ、ノアールが自分たち以外と居る姿をマイは見たことなかったけれど、それを想像してみれば面白いくらいに気分が悪くなってしまった。だから、自嘲的にふと笑いがこぼれた。


「ああ……――それは、嫌だなあ……」

「それと、ノアールから聞いちゃったけど、マイちゃんノアールに“マイちゃんのことだから分かる”って言われて、それに苛立ってたんでしょ?」

「……ああ」

「それは――……」

「……ノアールにとって、当たり前のことだからわたしは多分、苛立ってたんだ」


 言って、マイが顔を上げれてみればロクは一度目を丸くしてから、ふと嬉しそうに笑ったのだった。


「うん。それで、マイちゃんはそれがノアールにとって当たり前のことだったからって、何で苛立ったのかは分かる?」

「それは……分からない、けど」

「あたしはねえ、きっとマイちゃんがノアールに特別な目で見て欲しかったんだって、そう思うよ」


 そう言って笑顔を浮かべるロクを見て、マイはノアールのことを思い浮かべた。


 ヘタレで、いつもぼんやりとしていて、そのくせ狩りの最中は鋭くて。ロクに虐められるくらいになよなよしてるのに、他人の機微には敏感で、誰も気付かないのにノアールは、いつだってわたしのそれに気付いてくれた。


 優しい、陽だまりみたいな人。


 だから、わたしはノアールにそれを気付かれたとき、悔しくて堪らなかったのだ。それが、ノアールにとって特別なことではないと、すぐにどこかで気付いていたから。


「わ、たしは……――――、」

「ねえ、マイちゃん。ノアールのこと、好き?」


 聞かれて、気付いたそれにマイはぐっと眉を顰めてから、小さくこくりと頷いた。声は、出せなかった。なんだか、泣きそうだったから。


「……わたし、ノアールにいつの間にか、恋してた、のか」

「うん、きっとね。ね、マイちゃん、ノアールに告白する?」

「えっ。しないっ、するわけないだろ」

「え〜何で〜? あたし二人はお似合いだと思うけどなあ~」

「そうは言われても、そもそもノアールにそんな気全くないだろ……」

「ああ……マイちゃん自分の気持ちには鈍感なのに、他人のことは分かるんだねえ……」


 ロクの言葉に、ノアールが自分のことをただの仲間としか思っていないということを再確認し、マイが内心「ほら見ろ」と思っていれば、ロクは「大丈夫っ!」と謎に大きく頷いた。


「ノアールなら、押せば行ける気がするっ!!」

「お、押せばって……」

「マイちゃん美人だし! 行ける行けるっ」

「いや、い、行けるって言われても何もするつもりはないっ」

「な~ん~で~っ!!」

「~~~~わたしはもうそういうのはいいんだよ!!」


 腕に絡みついてしつこく言ってくるロクに対して、叫ぶようにそう言った後、マイ自身はっとした。顔を上げてロクを見てみれば、ロクが驚いた表情で固まっていたことに、マイは開けていた口をゆっくりと力なく閉じていく。


「……今の、どういうこと?」

「え……いや、分からない、すまない……ただ口をついて出ただけで、」

「何で、いいとか言うの」

「それは、でも、わたし……本当に、いいんだよ……ノアールとどうにかなりたいとは、思わないから」

「でも、」

「だからいいんだ! ほら、もう寝よう。武器の手入れも終わったし、わたしは寝る」

「マイちゃんっ」


 ロクの声を無視して、マイはテント内で寝転がり、布を被った。布で頭まで隠してしまったマイに、ロクは言及しようとしたけれどそれは止め、口を尖らせた後に「ごめんね」とだけ言い、ロクもロクで同じくマイに背を向けて寝転がる。

 そんな中で、布に包まった暗い視界で、マイは大きく目を見開いたまま、心臓の辺りの服をぎゅううっと手で握りしめた。その顔は、何故か青ざめていて、どころか冷や汗だって頬に浮かんでいる。それらをロクに気付かれないために頭まで布を被ったマイだったが、ロクにそれを気付かれなかったことにほっとすると同時に、身体が震えた。


 ただ、動揺した。愕然としてしまうくらいに。

 そして、恐怖を感じていた――あの双剣を握った時に感じたものと、同じ類の恐怖を。



 ――「わたしはもうそういうのはいいんだよ!!」――



 それを言ったのは確かに自分でありながら、自分じゃなかった。

 そんなことに気付いたマイの心臓は、どっどっどっ、と早鐘を打つ。


 誰かが、居た。


 誰かはまるで分からない。記憶がないから。

 けれど、自分がそう言った言葉の裏に、確実にその対象となる「誰か」が居たのだ。


 口には出さなかったけれど、あの瞬間、マイの頭によぎったことがあった。


 ――わたしはもう、恋などしてはならない

 ――わたしはもう、好きな人など作ってはならない

 ――わたしはもう、大切な人など作ってはならない


 ――自分には、そんな資格などない


 思い返して、これ以上身体が震えないよう、マイは自分で自分の身体を抱きしめた。

 何で自分がそう思ったのか、考えたって分からない。分からないということは、記憶がなくなる前の自分が、きっとそう考えていたのだろうと思う。ただ、理由までは当然分からない。

 そして、それを知りたくないと思った。


(わたしは、一体……)


 感じてしまった恐怖は拭えず、マイは眠れそうになかった。

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