第11話 彰太の無邪気さと罪の重さ
浅草でのあの夜から、一週間が経過していた。三人の間には、永遠に墓場まで持っていくと誓った秘密の協定が成立している。外から見れば、佑樹と菜月、文香の三人の関係は、夏休み中のいつもの幼馴染のそれと何一つ変わらない。しかし、その内側では、友情の境界線が完全に崩壊し、歪んだ共犯関係が築かれていた。彼らの心には、昨夜の情事の熱と精液の匂いが、鮮烈な記憶としてこびりついている。
その日の午後、四人は、真面目な親友である彰太の家で、勉強会を開いていた。夏休みも後半に差し掛かり、受験という現実が近づいている。
彰太の部屋は、彼の几帳面な性格を反映し、整理整頓が行き届いていた。剣道の道具は部屋の隅に綺麗に片付けられ、机の上には受験用の参考書が整然と並んでいる。彰太は、文香の隣に座り、難しい数学の問題を、穏やかで無邪気な笑顔で解説している。彼の瞳は、文香への純粋な信頼と、未来への誠実な希望に満ちていた。
その何の裏切りも知らない無邪気な笑顔が、佑樹、菜月、文香の三人の心に、鉛のような罪悪感を重くのしかからせた。特に、佑樹にとって、その罪悪感は、彼自身の裏切り行為を、鏡のように映し出す、耐え難いものだった。
文香の様子は、佑樹の目から見ても明らかに不自然だった。彼女の行動は、いつものお淑やかさから逸脱し、彰太に対して過剰なほどの甲斐甲斐しさを見せている。彰太のコップが空になる前に、素早く新しいお茶を注ぎ、彼の頬に汗が滲めば、すぐにハンカチで優しく拭う。その一挙手一投足は、まるで罪を償うための過剰な儀式のようだった。彼女は、佑樹の肉体で得た快感と、彰太への嘘という罪悪感を、この過剰な献身で埋め合わせようとしていた。
「文香、ありがとう。大丈夫だよ、自分でやるから」
彰太は、文香の過剰な優しさに、戸惑いながらも、幸せそうな笑顔を浮かべる。その幸せそうな笑顔を見るたびに、文香の身体は、目に見えないほどの小さな震えを見せた。文香の内面では、清廉な理想を体現する彰太への嘘と、肉体の快楽を与えた佑樹への渇望という、二人の男性の間で、激しい葛藤が繰り広げられている。
菜月は、一見、平静を装っていたが、その表情は硬く、彼女の丸い瞳は、絶えず佑樹と文香を監視していた。彼女は、佑樹の隣に座り、参考書を広げているが、その集中力は、秘密が漏れないように神経をすり減らすことに大半が費やされていた。彼女は、佑樹が不用意な発言をしないか、文香が罪悪感に耐えきれずに崩壊しないか、その脆い協定を一人で必死に守ろうとしていた。菜月にとって、この秘密は、佑樹との特別な絆を維持するための鍵であり、決して失ってはならない武器でもあった。
佑樹自身も、極度の緊張状態にあった。彼は、彰太の無邪気な友情を前に、自分が犯した裏切りの罪の重さを、改めて痛感していた。彰太の優しさが、彼の自己嫌悪を激しく煽る。彼は、この罪悪感から逃れるために、無意識のうちに昨夜の文香の愛液の温かさを思い出そうとし、それがかえって危険な衝動となって、彼の口を滑らせそうになる。
数学の休憩時間、彰太が「そういえば、浅草のホテル、すごく豪華だったらしいな」と、世間話のつもりで口を開いた瞬間、その場の空気は一気に凍り付いた。
「ああ、まあ、豪華、だったよな。特に、ベッドが……」
佑樹は、つい口が滑りそうになった。彼の脳裏には、キングサイズのベッドの上で、文香の豊満な胸が露わになり、菜月が彼の肉塊にキスをした、淫靡な光景が鮮明に蘇っていた。
その時、危機を察した菜月が動いた。彼女は、机の下で、佑樹の右脚を、血が滲むほど強く蹴り上げた。
「っ!」
佑樹は、痛みで思わず口を噤んだ。
「何だよ、菜月。急に」
彰太が、驚いて菜月を見た。
「ごめん、彰太。佑樹が、私の足を間違えて踏んだから。アンタ、自分の不注意さに、いつになったら気づくんだよ」
菜月は、そう言いながら、怒りの視線を佑樹に送った。その視線は、「これ以上、口を滑らせたら、あんたを許さない」という、共犯者からの明確な警告だった。佑樹は、菜月の必死な様子に、内心で戦慄した。彼女は、秘密を守るためなら、友情を破壊する暴力さえも辞さない、能動的な共犯者になっていた。
文香も、このやり取りを、顔色一つ変えずに見つめていた。彼女は、優等生らしく、何の罪もない第三者として、そっと口を開いた。
「佑樹君、昨夜の疲れが残っているんじゃないですか。あまり無理しないでくださいね」
文香の言葉は、表面的には心配だが、その裏には、「昨夜、あなたが私を深く満たしたという事実を、忘れないで」という、秘密の快楽の要求が隠されていた。
佑樹は、自分の体についた罪の重さを、改めて感じていた。彰太の無邪気な友情、菜月の必死な監視、文香の冷徹な要求。この三人の幼馴染が織りなす綱渡りのような日常は、いつ崩壊してもおかしくない脆い均衡の上に成り立っている。
しかし、この罪悪感と隣り合わせの秘密を共有しているからこそ、佑樹は、幼馴染の輪から自分が排除されていないという、歪んだ安寧を感じ始めていた。彼は、この共犯関係が、彼の失われた夢の代わりとなって、彼の人生を支配し始めていることを、自覚していた。
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