EP 4

『呉(くれ)の激突、あるいは「海」の邂逅(かいこう)』

1942年春、呉軍港。

連合艦隊旗艦「大和」の長官室は、凍てつくような怒気に満ちていた。

「総理が、呉(ここ)まで何の御用ですかな」

山本五十六連合艦隊司令長官は、東條英機(坂上)の顔を見るなり、隠しようのない敵意を剥き出しにした。

真珠湾の勝利以降、この「陸軍総理」のやることは、海軍(山本)にとって不可解極まる「妨害」でしかなかった。

「大和」の建造を中止させ、資材を護衛艦に回す。

ミッドウェー攻略(MI作戦)という海軍の乾坤一擲(けんこんいってき)の作戦に対し、「兵站が維持できん」と横槍を入れ続ける。

「山本長官。単刀直入に言う。貴官の『MI作戦』は、そのままでは失敗する」

坂上(東條)の言葉に、室内にいた参謀の黒島亀人(くろしま かめと)らが色めき立つ。

「総理、陸軍の方が海軍の作戦に口を出すとは、統帥権の干犯でありますぞ!」

山本が、それを手で制した。

「……ほう。東條閣下は、神か何かになられたか。失敗の理由をお聞かせ願おう」

坂上は、東條の丸眼鏡の奥で、かつて自分がイージス艦長だった頃の目を光らせた。

「理由は三つある」

彼は指を一本ずつ立てる。

「一つ。戦力の逐次投入。貴官は、主力(戦艦部隊)と機動部隊(空母)を分けすぎだ。敵に各個撃破される典型的な愚策だ」

「二つ。作戦目標の不徹底。ミッドウェー攻略と、米空母撃滅。二兎を追うものは一兎をも得ず、だ」

「三つ。そしてこれが最大だが、貴官は敵の航空戦術を侮りすぎている」

「……何だと?」山本の眉がピクリと動いた。

坂上は、アタッシュケースから「例の」資料を取り出した。

「これも、ドイツ総統府から入手した『欧州航空戦 教訓レポート』だ。ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)が、バトル・オブ・ブリテンで得た血の教訓だ」

彼は、その資料を机に叩きつけるように広げた。

そこには、坂上が知る「未来の常識」が、ドイツ語(風の偽装)と共に記されていた。

【ドイツ空軍レポート(偽)】

* 格闘戦(ドッグファイト)の終焉

* 「旋回性能に頼った格闘戦は、敵(スピットファイア)の『一撃離脱戦法(ヒット・アンド・アウェイ)』の前に無力だった。高速で上空から突入し、攻撃後、そのまま速度差で離脱する敵機を、零戦(我が軍)は捉えきれない」

* 新編隊戦術『ロッテ(Rot)』

* 「単機での戦闘は自殺行為。必ず二機一組(ツーマンセル)で行動し、互いの死角をカバーさせよ(※ロッテ戦法 / フィンガー・フォー)。三機編隊は非効率の極みである」

* 艦隊防空陣形『輪形陣(りんけいじん)』

* 「敵のレーダーとVT信管(※例のドイツ情報)の前では、単縦陣(たんじゅうじん)で航行する艦隊は、ただの『的』である。空母を中心とした『円陣(サークル・フォーメーション)』を組み、全艦艇の対空砲火を集中させる以外に、防御の方法はない」

山本五十六は、そのレポートを凝視し、目を見開いた。

特に「一撃離脱」と「ロッテ戦法」の箇所。それは、彼が理想とする航空主兵の戦い方そのものであり、零戦の格闘性能に驕(おご)る部下たちに、彼自身が説きたかったことだった。

「……東條閣下。貴官は、いつからこれほどの航空戦術家になられた」

山本は、目の前の男が、本当にあの「カミソリ東條」なのか、本気で疑い始めていた。

坂上は、ここで「賭け」に出た。彼は東條の仮面を一瞬だけ剥がし、一人の「海(フネ)の男」として呟いた。

「……俺も、昔取った杵柄(きねづか)でな。艦(フネ)の上で、敵機がどう飛んでくるか、そればかり考えていた」

「……何?」

「いや、こちらの話だ」

坂上は、東條の仮面に戻る。

「山本長官。俺は貴官の作戦に反対しているのではない。勝率を上げろ、と言っているんだ。この『ドイツ戦術』を採用し、戦力をミッドウェーに集中させろ。アリューシャン(陽動)などに、貴重な空母(龍驤・隼鷹)を割いている場合ではない!」

山本は、沈黙した。

目の前の男は、陸軍大臣の服を着ているが、中身は、自分以上に「航空戦」と「艦隊防空」の未来を理解している「何か」だった。

「……分かった」

山本は、深く頷いた。

「レポートを置いていけ。作戦は、再考する」

黒島参謀が「長官!?」と叫ぶのを、山本は再び手で制した。

「東條総理。一つだけお聞きしたい。なぜ、そこまでして海軍(われわれ)に肩入れする。陸軍(あなた)の利益にはならんでしょう」

坂上(東條)は、長官室を出る直前、足を止めた。

彼は、窓から見える呉の海――彼の故郷であり、祖父が出撃した海――を見つめ、静かに答えた。

「……負けたくないだけだ。この国を、非合理な『精神論』で滅ぼすのだけは、御免こうむる」

山本五十六は、去っていく東條英機の背中に、初めて「同志」に近い何かを感じ取っていた。

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