EP 3
『技術者たちの困惑とパナマの鍵』
1941年12月9日夜。
総理大臣官邸の一室は、かつてない異様な熱気に包まれていた。
真珠湾の戦勝ムードは、この部屋には微塵もない。あるのは、東條英機(中身は坂上真一)が持ち込んだ、未来の「悪夢の仕様書」がもたらす、戦慄と困惑だけだ。
招集されたのは、海軍技術研究所のエース、伊藤庸二中佐。そして、彼らが「電探(レーダー)」と呼ぶ技術の第一人者でありながら、その重要性を理解されず干されかけていた天才科学者、八木秀次博士だった。
「八木博士。君が開発した『八木アンテナ』というものは、極めて重要だ。私はそう確信している」
坂上(東條)は、普段なら軍事機密に厳しい彼らに対して、極めて異例の単刀直入さで話を切り出した。
八木博士は驚愕した。東條英機という人物が、自身の研究に言及することなど、これまで一度もなかったからだ。
「は、はあ…総理閣下。アンテナ自体は単なる導波器であり、特別な技術では…」
「導波器ではない! システムの目だ!」
坂上(東條)は、技術者相手には一切のヒステリーを排し、現代のプロジェクトマネージャーのように、簡潔に「要求」を突きつける。
「伊藤君、八木博士。米軍はすでに、艦隊の索敵、射撃管制、さらには高高度爆撃機の誘導に、この『電波探信儀』をフル活用している。ドイツの報告によれば、その探知距離は100海里(約185km)を優に超えるという」
「そ、そんな馬鹿な…」伊藤が思わず声を上げる。「我が海軍の『二号電探』の現状の試作機では、せいぜい30km程度が限界で…」
坂上は冷たく切り捨てた。
「その『限界』が、この戦争の敗北を意味する。B-29を200km先で探知できねば、本土防空は成立しない。貴官らには、その『限界』を突破してもらう。予算は青天井だ。陸海軍の垣根はすべて取り払う。必要な機材は総理大臣(俺)が直接手配する。目標は1943年末。間に合わなければ、死を意味する」
坂上は、二人に「排気タービンの基礎原理」や「パルス波長の選定」といった、未来の知見をオブラートに包んだ**「ドイツからの極秘ヒント」**として提供した。
彼らは困惑し、総理の「狂気」を感じながらも、その提示された「技術的未来図」のあまりのリアリティに、技術者としての魂を刺激された。
(この総理は、何かの間違いで、未来を見てきたのではないか?)
伊藤と八木は、顔を見合わせた。
翌日。坂上(東條)は、海軍軍令部へ「極秘の」召集をかけた。相手は、潜水艦の運用に携わる少数の将校たちである。
「海軍が、超大型潜水艦を開発中と聞く。名称は『伊四〇〇』型だったな」
坂上は、史実では1944年末まで完成しない、この特殊潜水艦の存在を指摘した。
驚く将校たちを前に、坂上は地図を広げる。そのペン先が指したのは、パナマ運河だった。
「真珠湾の成功に水を差すようで悪いが、米国の工業力は我が国の10倍だ。一隻の空母を沈めても、奴らは二隻、三隻と平然と造り出す。物量では絶対に勝てん」
「では、総理。どうすれば…」
坂上は、目の奥に鋭い光を宿した。
「喉元を掻き切る。米国の工業力は、太平洋と大西洋の工場の連携で成り立っている。その大動脈が、パナマ運河だ」
彼は、椅子から立ち上がった。
「伊四〇〇型を、ただの潜水空母で終わらせるな。あれを『パナマ運河破壊用 特殊攻撃兵器』として再設計(リビルド)する」
将校たちは、その非現実的な目標に息をのんだ。
「そ、総理。パナマ運河の閘門は分厚いコンクリートで守られております。航空魚雷では無理です」
「知っている」
坂上は、自信たっぷりに答える。それは、彼が開発隊で培った「技術転用」の知見に基づいていた。
「ドイツからの極秘情報によれば、彼らは『成形炸薬(HEAT)』という、特殊な爆薬の形状で、一点に爆発エネルギーを集中させる技術を研究している。対戦車砲弾がその一例だ」
(※史実では、日本軍はこれを理解できず、実用化が遅れた)
「貴官らは、その技術を応用した『特殊徹甲弾』を、伊四〇〇に搭載する攻撃機(晴嵐)のペイロード(積載量)に合わせて開発せよ」
将校たちは、頭の中で、今まで想像もできなかった「コンクリートを貫通する爆弾」のイメージを構築し始めていた。
「伊四〇〇型の目標は、1943年末までの竣工だ。パナマ運河の破壊を完了させ、米大西洋艦隊の太平洋回航を、最低でも半年は遅延させる。これができれば、マリアナで我々に『勝機』が生まれる。この作戦は、陸海軍の垣根を越えた、総理大臣直轄の『プロジェクト・ウロボロス』とする。最高機密だ」
「(パナマの破壊で、時間稼ぎをする……)」
坂上は、目の前の海軍士官たちの顔を、一人ひとり見つめた。
彼らに、特攻で犬死にさせる未来は与えない。
彼は、己の技術的知識と、東條英機という「最強の権力」を融合させ、帝国というシステム全体を、破滅のロジックから引きずり出そうとしていた。
その夜、坂上は、陸軍中野学校の幹部に「米国内への工作」を命じた。目標は、軍需工場ではなく、B-29の「心臓」を造るエンジン工場へのサボタージュ。
坂上真一の戦争は、真珠湾の美しさではなく、泥臭い「技術とロジスティクスの冷戦」として幕を開けたのである。
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